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 『銀の狐の英雄募集』
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第三話 「死人操り、気まぐれ猫」

 王都から遠く北東へ離れた、豊かな自然が広がる大地。そこに古より人と魔という異
なる種族が共に暮らす地、フリスアリスの領がある。
 その領地のほぼ中心に、一帯を治める領主の屋敷を抱く都市が存在する。
 その街の大通りを、一人の青年が歩いていた。こげ茶色の髪に、どこか冷たい印象す
ら漂う濃紺の瞳。すらりとした体つきに整った顔は、どこか育ちのよさを感じさせる。
 地方都市とはいえ街中は常に様々な姿をした者達で賑わい、中央の都に勝るとも劣ら
ない活気に満ちている。旅人や商人をはじめとした様々な人や、中央の都市ではお目に
かかれないような物さえも集まるここは、ある意味では王都以上に見所のある街といえ
るかもしれない。
 その見所の一つが、街中を歩く青年の目に映る。彼の視線の先にあったのは、大通り
を歩く仲睦まじい一組のカップルだった。一見ごく普通の男女のようだが、女性の頭の
上には獣の耳が、腰からは獣毛に包まれた尻尾が伸び、楽しそうに揺られている。彼女
は明らかに人外の存在、「魔物」であった。その特徴から、獣人と呼ばれる種であるこ
とがはっきりわかる。
 だが、それを目にしているはずの男性の方は女性の姿をまるで気にした風もなく、笑
顔で獣耳の彼女と手を繋いでいる。幸福に満ち足りた笑顔は、鼻歌でも歌いだしそうで
すらあった。
 そんな光景を目にしながら大通りを進む独り言を青年は呟く。
「ふむ……最初にこの街へ来たときには驚いたものだが、我ながらこの光景にも随分と
慣れたな」
 辺りを見回せば、先ほどのカップル以外にも様々な魔物の姿を見つけられる。昼間、
人通りの多い街中でも魔物の証である獣の耳や角、尻尾を露にしたままの者達があちこ
ちで見られるのは、流石にこの地方が「魔界に最も近い土地」といわれるだけはあった。 
 青年は大通りから外れ、細い路地へと折れる。薄暗い建物の裏手の道を抜け、彼は街
はずれの区画へと足を進めていった。進むほどに人影もまばらとなり、大通りの活気と
は無縁の物寂しい気配が漂ってくる。
 しかし、彼は気にした様子もなく、目的地へとひたすら歩き続ける。道を歩くのは彼
以外にはおらず、屋根に止まる烏や眠そうにうずくまる野良犬が、ものめずらしそうに
彼を眺めるだけだった。



 青年が歩くことしばし。街の周囲をぐるりと囲う石壁が間際に見える区画までやって
きた彼は、腰のポーチから一枚の紙を取り出す。折りたたんだ紙片を広げ、そこに描か
れた簡素な地図を眺めると、確認するかのようにぽつりと呟いた。
「ここ、だな……」
 地図から顔を上げた彼の目の前にあるのは。小さな建物だった。おそらく長い間風雨
に晒されてきたのだろう。色あせた屋根や壁は、おせじにも立派とはいえない姿を見せ
ている。そんな街はずれの空き地にぽつんと立つ建物は、人が生活するための住居とい
うよりは、物置か、作業場といったものをイメージさせる。
 実際、この建物はそのような用途に使われているようだ。誰かがここで作業をしてい
ることを示すかのように、屋根から一本突き出た煙突から白い煙がたなびいている。建
物に近づくと、その中からは金属を打ち鳴らす音が響き、彼の耳に届いた。
「ふむ。ずいぶん熱心なもんだ」
 言葉とは裏腹に大して興味もないような顔で言うと、青年はドアノブに手をかける。
古びた金具が軋む音と共に戸が開くと、室内の熱気が頬をうった。わずかに顔をしかめ、
彼は中に足を踏み入れる。やがて室内に立ち込める熱気に少しばかり慣れると、周囲の
様子を観察する余裕も出てきた。
「む。見てくれのボロさとは裏腹に、思ったよりはしっかりしてるじゃないか」
 建物内部は工房か、鍛冶場のような場所であった。作業台の上にはハンマーをはじめ
とした大小様々な工具が並び、奥の壁際には赤々と燃え盛る炉が見える。狭いながらも
一通り作業に必要な道具や設備はそろっているようだった。
 入り口に立つ彼から少し離れた場所。室内の中央にスペースをとった場所では、椅子
に座った少女が熱され、赤々とした輝きを放つ金属を手にしたハンマーで打ちつけてい
た。真剣な表情で一心不乱に槌を振る彼女の額には汗が浮かび、ハンマーを振り下ろす
たびに珠となって飛び散っている。
「……」
 少女は一言も発さず、目の前の金属に視線を留めたままただ槌を振り続ける。じっと
見つめる青年の視線の先では少女の手により金属がどんどん打ち伸ばされ、形を変えて
いった。
 やがて、大まかな形が出来た所で作業は一段落したらしく、彼女は金属を慎重に台の
上におろすと、額の汗をぬぐった。
「ふぅ」
 集中を解くように息を吐き出すと、少女の体に張り詰めていた気が緩む。そこで彼女
は初めて出入り口に顔を向けた。壁に背を預け、軽く頷く青年の姿を認めると、明るい
声を出す。
「あ、来たねにいちゃん。ごめんね、もしかして待ってた?」
 ハンマーを傍らの作業台に置き、少女が立ち上がる。火花などから目を守るためのも
のらしき防護用のゴーグルを外すと、その下から大きな一つ目が現れた。さらに額から
は、まるで尖った岩のようにも見える一本角も飛び出している。
 その見かけから分かるとおり、彼女――ルーテは人間ではなかった。元は一つ目と角
を持つ巨人族の末裔、サイクロプスという種族の一人なのだ。
「いや、別に」
 だが、青年がそれに驚いた様子は無かった。それもそのはず。さきほどの街中の光景
からも分かるとおり、この街では代々領主を担ってきた一族の方針で、人と魔物の共存
が古くから実現し、人の隣に魔物がいることはごく普通の光景なのである。
「いやーごめんごめん。どうも作業に集中すると周りが見えなくなっちゃってさ〜」
 サイクロプスの少女は人なつっこい笑みを浮かべ、ぽりぽりと頭をかく。その仕草は
一見異種族同士が顔を合わせていると信じられないほど、自然なものだった。ほかでは
信じられないかもしれないが、そんな付き合いがこの街では極一般的なものになってい
るのである。
 もっとも、彼女の自然な態度はそれだけが理由ではなかった。実は青年とこのサイク
ロプスの少女は、単なる顔見知りではない。彼らは先日起こったとある事件において一
緒に戦った仲間なのだった。生死を共にしたもの同士ということで、彼らの間にはより
強い関係があるのだ。もっとも、いつも無愛想な青年だけを見ていてはそうは思えない
かもしれなかったが。
「あの事件のあと、別れて以来かな? お互い同じ街にいるんだから、たまには遊びに
来てくれたって罰は当たらないと思うけど」
「すまんな。だが特に行く理由も、興味もなかったからな」
 青年、アルティスの無愛想な口調に少女、ルーテは小さく苦笑を漏らす。
「うわ。あいかわらずの無愛想ね。そんなんじゃ、あのおちびちゃんも大変でしょうね」
「意味が分からんが」
 ルーテのからかい気味の声に、仏頂面を崩しもせずそう返すアルティス。そんな様子
にやれやれと肩をすくめると、ルーテは壁際に置かれた台へと向かう。
 その途中で彼をちらりと見、彼女は口を開いた。
「で、わざわざ来てくれたんだから今日はこんなところまで足を運んでくれる理由があ
ったってわけね。ってまあ、当たり前か。こっちが手紙を出したんだから」
「……」
 若干皮肉っぽい言いようではあったが、アルティスは特に何の反応も示さなかった。
元々彼にリアクションは期待していなかったのか、ルーテもそれ以上何も言わず、鞘に
収められたまま台に置かれていた長剣を手にとると、アルティスへと放る。
「はい、じゃあこれ」
「……」
 それを青年が無言で受け取ったのを見、彼女は再度口を開いた。
「それが、前に折れたやつの代わりに頼まれてた剣ね。自分で言うのもなんだけど、結
構いい出来だよ。少なくとも、ちょっとやそっとの戦いじゃ刃こぼれしたりしないし、
よっぽどの重量のある武器じゃなければ、受け止めても折れたりはしないはず」
 彼女の言葉に、アルティスは鞘から剣を抜く。見た目は両刃の、一般的なロングソー
ドだった。だがその刀身は曇り一つ無く澄み、業物の風格を感じさせる。程よい重さも、
ルーテが言うとおりの剛性を彼に感じさせた。
 アルティスはしばし剣を見つめていたが、やがて鞘に戻し腰に帯びると、ルーテの方
に向き直る。
「わざわざすまなかったな。代金はいくらだ?」
 懐から貨幣の入った袋を取り出そうとするアルティスに、ルーテは首を振った。
「いいって。この間は世話になったからね。そのお礼代わりみたいなもんさ」
「そうか。それならありがたく貰っておく」
「うん、そうして。にいちゃんの腕なら、その剣も満足だろうさ。ま、出来たらでいい
からさ、大事に使ってよね」
「ああ」
 ルーテの言葉に、アルティスは素直に頷く。それで用事は済んだとばかりに踵を返し、
作業場を後にしようとする青年の背に、サイクロプスの少女は声を投げかける。
「あ、あとひとつ」
 少女の声にアルティスは足を止める。振り返った彼を見つめ、ルーテは少しだけいつ
もより静かな声を発する。
「別に愛想よくしろ、なんていわないけどさ。あの狐のおちびちゃんには、優しくして
やりなよ?」
 サイクロプスの単眼にまっすぐ見つめられ、青年はほんの数瞬、何かを考えるように
黙り込む。だが、すぐに息を吐き出すと呆れたような声で答えた。
「……それの意味も良くは分からんが。まあ、心に留めておく」
「そうして」
 ルーテの言葉を聞き、アルティスは今度こそ小屋を出て行く。見送りにルーテも小屋
を出、目に映る彼の背がだんだん小さくなるのをじっと見守っていた。
 やがて、彼が角を曲がるとその姿は視界から消える。そこではじめて彼女は息を吐き
出し、誰にともなく呟くのだった。
「まったく、愛想ってものが欠片も無いにいちゃんだね。あのおちびちゃんも面倒なの
に惚れたもんだ」
 サイクロプスの少女はしばらくの間アルティスが去った道を見つめ、先日の事件で出
会った一人の少女を思い浮かべていた。不器用で面倒な点ということでは、青年と似た
もの同士な幼い魔物の娘に同情し、また少しばかりやきもきしていた彼女だったが、や
がて中断していた仕事を済ませるべく、作業場へと戻っていった。

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 ルーテの作業場を後にし、アルティスはこの街でのねぐらにしている安宿へと、もと
来た道をたどる。しばし、両脇に建物が立ち並び、昼でも薄暗い路地裏をいつも通りの
足取りで進んでいく。そのまま歩き続け、角を一つ二つ曲がるうちに、狭い道幅が次第
に広がっていった。
 角をさらに一つ曲がり大通りに出ると、裏路地とは違って明るい日差しが地面を照ら
していた。広い通りには様々な店が軒を並べ、そんな店を興味深げに覗きこむ道行く人
や魔物の姿もあちこちに見られた。
 どこからか、料理のいい匂いが漂ってくる。立ち止まって空を見上げれば、太陽は丁
度中天に差し掛かろうとしているところであった。もうすぐ、お昼である。
「もうこんな時間か」
 戻ったら昼食にしよう、そう考え、アルティスは再び歩き出す。彼は別に今日はこの
後、何か予定を入れてるわけではなかったが、無意識のうちに道を行く足は速められて
いた。おそらく今日も、最近自分のところに入り浸りなあの少女が昼食を作って待って
いることだろう。無意識に歩く速度が上がっていたのは、そんな考えが頭の片隅にあっ
たからかもしれない。
 人通りの多い大通りを進み、さらに角を一つ曲がる。そこからは彼の泊まっている宿
のある一角へと伸びる、歩き慣れた道だった。この道は街の中でも住宅街のような区画
に続いているせいか、通りには何人かの人影が見られた。おそらくは仕事場から昼休み
に自宅へ戻ろうという人々だろう。
 本人には特に早足で歩いているつもりは無かったのだが、彼は同じ方向へと向かう人
々をすいすいと追い抜いていく。そういえば、ルーテの小屋へと向かった時よりも幾分、
短い時間でここまで戻ってきた気がする。
 もしかしたら、新しい剣を手にした興奮かなにかが気付かないうちに表に出ていたの
だろうか。
「……やれやれ。もしそうなら我ながらとんだ子供だな」
 新しい玩具を手に入れ、家路を急ぐ子供と同じレベルの自分の精神に軽く呆れながら
も、別段歩く速さを緩めることなく足を進めるアルティス。
 あと少し歩けば宿が見えてくるという所まで来たアルティスの目は、その視界の端に
奇妙な光景を捉えた。
「……?」
 思わず足を止め、目を向ける。彼の視線の先、道行く人が見落としてしまいそうな建
物と建物の間の路地で、何人かの男が頭からすっぽりとローブを被った小柄な人影を取
り囲んでいた。前後を男たちに囲まれた人影は怯えているのか、声一つ上げず、抵抗す
る様子も全く無い。それを囲む男達は皆、にやにやといやらしい笑みを浮かべていた。
お世辞にも立派とはいえない身なりといい、どう見てもまともな職についている者たち
ではなさそうである。
「へへっ、さあ、こっちに来るんだ」
 男たちの一人がローブの人物の手を掴み、路地のさらに奥へと連れ込もうとする。ロ
ーブの人物は抵抗らしい抵抗も見せず、男達に引きずられるようにしてその姿は路地の
奥へと消えていく。
 最後に男の一人が周囲を警戒するようにきょろきょろと首をめぐらし、仲間が向かっ
た方へ駆け出す。その顔にかすかな緊張と下卑た笑みが張り付いていたところから察す
るに、どう考えても、あの後ローブの人物にとって歓迎できるような事態が待っている
ようには思えなかった。
「まったく。いくらなんでもあれを見て見ぬ振りをするわけにも行かないな」
 一行が消えた路地裏を見つめ、アルティスは溜息をつく。だがそれも一瞬のこと。彼
は腰に帯びた、手に入れたばかりの剣の感触を確かめると、路地裏へと向かって駆け出し
た。



 建物と建物の間の隙間のような細い路地を抜けると、行き止まりには小さな空き地が
あった。がらくたやゴミが隅に溜まっているそこは、人々が気にすることの無い都会の
死角のようだった。まったくもって、人に見られたくないような行為をするには絶好の
場所といえる。
「……いたか」
 アルティスは空き地の入り口の壁に身を寄せ、様子を窺う。空き地の中では壁を背に
して立つローブの人物を、男達が逃げられないようぐるりと取り囲み、値踏みするよう
な視線を向けていた。男達の数は3人。手にはナイフやロープ、人一人をすっぽりと包
めるような大きな麻袋を持っている。どうやら彼らは人攫いの類のようだ。
 そのうちの一人、リーダー格らしき男が一歩前に進み出る。それでもローブの人物が
何の反応も示さないことに、男はわずかに不思議そうな表情を浮かべた。
「こいつ、随分おとなしいな。まあいいさ、下手に暴れられるよりは仕事がしやすいっ
てもんだ。どれ、まずは顔を見せてもらおうか」
 にやにやしながらそう言った男は、獲物の顔を隠すフードに手をかける。体を包む布
が剥ぎ取られ、露になった顔と、ローブの下に隠されていたその姿を見た男たちの口か
らは、思わず感嘆の声が漏れた。
「ほぉ……。まだガキとはいえ、こいつは上玉だ」
 ローブの下から現れたのは、まだ幼く可愛らしい少女の姿であった。この辺りでは珍
しい、神秘的ですらある褐色の肌を異国情緒溢れる衣装が覆っている。未成熟な体から
察するに、歳はまだ10かそこらだろう。明るい鳶色をした短めの髪が、彼女の持つ雰
囲気によく似合っている。
 幼いながらも整った少女の顔立ちは、どこか高貴さを感じさせる。その中で大きなサ
ファイアの瞳が静かに輝き、幼い彼女の美しさをさらに際立たせていた。まだ小さな子
どもとはいえ、その美貌は人の心を惑わすのに十分なものがある。
 それを証明するかのように、男達の目は彼女に奪われたままであった。
「異国の貴族の娘かなんかか? 確かにこいつほどのヤツはめったにいねえな。なあ。
折角だしよ、俺たちも楽しませてもらおうぜ?」
 やがてただ見ているだけでは物足りなくなったのか、手下と思しき男の一人が少女を
見ながら言う。その目には先ほどよりもさらにはっきりとした、下卑た欲望が浮かんで
いた。
「何だお前、こんなガキが趣味だったのかよ」
「うるせえな、最近ろくに娼館にも行ってねえんだ。せっかくの上玉、ただ売っぱらう
ってのもつまんねえだろ」
「ああ、確かにそうだよな。なあ、少し遊ぶくらいなら別にいいだろ?」
 もう一人の手下も頷き、ぎらついた目で少女を見つめたまま、リーダーに尋ねた。
「……ち、しかたねぇな。だが、壊すんじゃねえぞ」
 リーダー格の男は顔をしかめ、やれやれといった風の声を出したが、特に男達の行為
を止める気はないようだった。彼は呆れ顔で少女の前から一歩下がり、代わりに二人の
男が少女の前に歩み出る。
「さっすが! 話が分かるぜ!」
 リーダーからの許可がでたことで男達は嬉々として少女に詰め寄る。それにも少女は
何の反応も見せなかった。
「ったく。俺は荷馬車を用意してきてやるから、遊ぶならさっさと済ませろよ」
 リーダー格の男はそう言うと踵を返し、路地に戻る。物陰に身を隠したアルティスに
気付いた様子もなく、彼はそのすぐ側を通り過ぎていった。
 男が通り過ぎ、完全にその姿が見えなくなると、アルティスは小声で呟く。
「さて、どうしたものか……。あまりのんびりと見てもいられなさそうな状況だが」
 相手の人数が減ったのを見、アルティスは物陰から飛び込む機会を窺う。剣の柄を握
ってその感触を確かめていると、彼に男たちの耳障りな声が届いた。
「へへ、じゃあさっさと楽しませてもらおうぜ」
「だな」
 そのうちの一人がローブを脱がそうと、彼女の肩に手をかける。そこで初めて、ロー
ブ姿の少女がそれまでつぐんでいた口を開いた。
「……まったく、人がおとなしくしていればつけ上がっちゃって。ま、あたしの美しさ
の前じゃ、あなたたちみたいな男どもが劣情を抑えきれないのは分からないでもないけ
どさ」
 怒りというよりも、半ば呆れが混じった声で、少女は言う。その言い方はどこか相手
を見下すような、高飛車な印象を聞くものに感じさせるものだった。
「おい、下には俺が先に入れさせてもらうぜ」
「何勝手に決め手やがる。こいつを見つけた俺が先に楽しませてもらうに決まってんだ
ろうが」
 が、男達には聞こえなかったのか、それとも欲情のあまりそんな彼女の言葉を気にも
留めていなかったのか。ぎらついた目で彼女の体を見つめる男達の様子に、少女は小さ
く首を振る。
「はぁ。見た目だけじゃなくて中身も最低。あんた達のような下衆の相手なんて御免だ
わ。……その汚い手で触られるのすら、我慢できないくらい」
 次の瞬間、少女の声の調子が一段低くなったかと思うと、瞳孔がすっと細まり、碧眼
が妖しくきらめいた。それと同時に、少女の体を中心に風が渦巻きはじめる。一瞬で勢
いを増した風は旋風となり、少女の肩に手をかけていた男の体をのみこんだ。
「え?」
 突如巻き起こった旋風に、少女を掴んでいた男の体が軽々と舞い上げられる。彼は自
分の身に何が起こったのかも理解する間もなく、吹き飛ばされ、なす術もなく地面に落
下し短いうめき声を上げるとそのまま気を失った。
「なっ!?」
 困惑した声を上げるもう一人の男が状況を把握するよりも早く、さらに少女はその男
を睨みつける。その瞬間、彼女の髪の毛から、黄金色の毛に包まれた獣の耳が飛び出し
た。同時に彼女の瞳が再び妖しい光を発したかと思った瞬間、人攫いの男の体がぎしり
と強張る。
「な、なんだ!? てめえ、なんなんだ? お、おれに……なに、しやがった!?」
 少女の姿と、自分のみに起こったことに混乱したまま、かすかに怯えた声で男は言う。
だがその問いに答えることなく、動けなくなった男をつまらなそうに見据えた少女は口
を開いた。
「……汝、我を望むならば我が問いに答えよ。『朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足。
この生き物は何か?』」
「ああ? 何言ってんだこのガキ? そんなもんいるわけねえだろ!」
 まるで詠うような調子で紡がれた問いに、男は苛立った声で吐き捨てる。その答えに
少女はやれやれといった調子で首を振り、見下すような視線を向けた。
「はぁ。まあ、あんたみたいな男ののーみそはそんなもんよね。こんな古典的な、簡単
なサービス問題も解けないようじゃ魅了する価値もないわ。しばらく寝てなさい」
 少女が呆れた声でそう言った瞬間、金縛りにあっていた男の体がびくんと跳ねる。彼
の口からはうめき声が漏れ、男はそのまま糸の切れた操り人形のように地面に崩れ落ち
た。
「ふん」
 地面で無様にのびる男たちを冷たく見下ろし、少女は小さく息を吐きだす。
「はぁ、ようやく街についたと思ったら、いきなりこれかあ。先が思いやられるわ」
 大の男二人をあっさりと無力化した少女は、地面でのびる彼らにまったく構いもせず
この場を歩き去ろうとする。
 だが、次の瞬間音も無く飛来した一枚の札が少女の腕に張り付いた。札は意思を持っ
ているかのように彼女の腕に巻きつくと、鈍い光を発する。
「えっ!?」
 驚きの表情を浮かべた直後、妖しく輝いていた少女の瞳が元へと戻り、体からは力が
抜ける。がくりとつんのめった彼女は慌ててバランスをとろうとするものの、足を一歩
踏み出すだけの動きさえ、さび付いた鉄のゴーレムのように鈍くなってしまっていた。
「っ!? これは……『呪縛の霊札』!? しまっ……た……!」
 かろうじて動く左手で慌てて札をはがそうとするものの、その指先は札に触れた瞬間、
ばちんと言う音と共に弾かれてしまう。
「あぶねえあぶねえ。危うく逃げられちまう所だったぜ」
 突然の出来事に驚愕と焦燥の表情を浮かべる少女の前に、先ほど馬車を取りに行って
いたリーダー格の男が現れる。立ち尽くす少女と地面に転がる部下の姿を交互に見、一
体何が起こったかを察した男は忌々しそうに声を出した。
「ちっ、ばかどもが。嫌な予感に急いで戻ってきて見りゃあこのざまだ。しかし、さっ
きの妖眼に、その獣耳……それに加えてその力。ガキ、てめえただの小娘じゃないな?
……魔物、か」
 自分を睨みつける男に、少女も言葉を返す。
「……そういうあんたこそ、ただのごろつきにしては物持ちいいみたいじゃない。『呪
縛の霊札』なんて。こんな貴重で強力な呪、よく準備してあるじゃないの。ただの人攫
いが常日頃から持ち歩くようなものじゃないんだけど?」
 少女の言葉に男は沈黙したまま、懐からダガーを取り出す。鈍い色に輝くその刃から
は、なんらかの毒が塗られていることが窺えた。
「あら、あなたたち人攫いでしょ? せっかくの獲物を傷物にするつもり?」
「ああ、お前みたいな上玉を売りゃ、しばらくは遊んで暮らせるくらいの金になるから、
正直もったいないんだがな。だがそれ以上にお前はやばすぎる。金は諦めたよ」
「情けないわね。そんなんだからいつまでたっても三流のちんぴらなのよ」
 からかうような少女の物言いにも男は特に反応を示さず、緊張した面持ちのまま、刃
物を手にゆっくりと少女に歩み寄っていく。
「顔も見られたことだしよ、お前は逃がすわけにもいかねえ。悪いがここで死んでもら
うぜ」
「……ふん。あんたみたいな悪党に、そう言われたからって『はいそうですか』なんて
いうわけないでしょ?」
 動きを封じられ、刃物を目の前にしても少女の態度は表面上かわらなかった。だが、
一歩一歩男が近寄っていくと、流石の少女の瞳にもわずかに怯えの色が浮かび始めた。
「恨むなら、お前自身の不運にしてくれよ」
「ありきたり。最期くらい、もうちょっと気のきいた台詞をききたいものね」
「へ、続きはあの世で言ってな」
 眼前まで迫った男は、そう言うと少女の小柄な体に凶刃をつきたてようと腕を大きく
振りかぶった。
「……っ!」
 刹那の後に自分を襲うであろう衝撃と痛みをイメージし、少女は思わず目をつぶる。
「……!?」
 だが、痛みの瞬間はいつまでたってもやってこなかった。その表情に安堵よりも疑問
が浮かぶ少女の耳には、己の肉に刃が突き立つ音の代わりに、何かが壁にぶつかる音と、
鈍いうめき声が届く。
 おそるおそる目を開けた彼女は、目の前に自分を庇うように立つ青年と、その向こう
に無様に転がる男の姿を目にした。どうやら疾風のように飛び込んできた青年が、人攫
いの男を殴り飛ばしたらしい。
「ふう、間に合ったか。あれこれ考えず、最初からこうするべきだったな」
 飛び込んできた青年、アルティスは手をぷらぷらとさせながら息を一つつくと、いつ
も通りの無愛想な顔のまま、少女に振り返る。
「おい、怪我は無いか?」
「え? あ、う、うん」
 まだ上手く自体を飲み込めないでいる少女だったが、それでも彼の言葉にこくこくと
頷く。それを見た青年はかすかな安堵の色を顔に浮かべた。
「よし。ちょっと待ってろ。まずはあいつらを片付けておくから」
 少女に頷き返し、彼は男達が完全に気を失っているのを見ると、つかつかと歩み寄り
手近なところにあったロープで縛り上げる。そうやって3人とも身動きできないように
しっかりと縛り終えると、一人ずつその体をひょいと抱え上げ、空き地の隅に無造作に
転がした。
「こいつらはこれでいいだろう。さて、お前の方は……これをどうにかしないとな」
 再び少女の前に戻ってきたアルティスは、彼女の腕にまるで食い込むようにがっしり
と張り付く札を見つめ、呟く。
「あ、でもこれは」
 その言葉に、この符はただ力任せにはがせるようなものではないことを知る少女は一
瞬、戸惑いの表情を浮かべた。
「分かってる。無理やりはがせるようなものではないな」
 アルティスは少女に安心させるように言うと、自分の懐をごそごそと探り、なにやら
粉のつまった小さな袋を取り出す。その黒い中身を指先につけ、少女の腕に張り付く呪
札の表面を軽く擦り、指を動かして奇妙な紋様を描いた。
「確かこの方法でいいはずだが……。よし、効いてるな」
 彼がそう言った直後、札はまるで風化したかのようにぼろぼろと崩れ落ちる。それと
同時に、少女の体から呪縛の魔力が抜け、体には自由が戻ったようだった。
「ふう、ひどい目にあった〜」
 体をほぐし、調子を確かめるように軽くあちこちを動かして特に後遺症や異常がない
と分かると、彼女はアルティスに頭を下げる。
「あ……ありがとう。さっきのあれ、魔道具壊しの『破魔の黒砂』? 用意がいいのね。
それにこの呪法の正しい壊し方まで……お兄さん、詳しいね」
「まあ、な」
「ふうん……ここまできちんとした魔道具や術の知識を持ってる人、普通じゃ珍しいん
だけどね。もしかしてお兄さん、冒険者?」
 指先についた粉をぬぐう青年の様子を興味深げに観察しながら、少女はアルティスに
尋ねる。それに、彼は面倒くさそうに答えた。
「大体そんなものだ」
「へぇ……だとしても、博識ね」
 彼女の言うとおり、先ほど自分にかけられていたのはジパング発祥の術で、このあた
りではかなり珍しく、そしてなにより強力な封印術だ。珍しい術なこともあって、たと
え冒険者であっても、その術の解除法までを正しく知っている者はそうはいない。それ
こそ、どこかで高度な教育を受けているような、教養がなければ。
「中には、そういう奴もいるだろ」
「それはそうかもしれないけど。それにしても、お兄さん……あたしのこの耳に気付い
てないはずないでしょ? あたし、魔物なのに……助けてくれるなんて、優しいのね」
「別に。単なる気まぐれだ。そもそも街中をあんな馬鹿がうろうろしているのは、甚だ
迷惑だからな」
「ふうん……」
「なんだ?」
 じっと自分を見つめる少女の視線を受けながらも、アルティスは特に変わった反応を
見せずいつもの調子で言う。
「あ、いや、なんでもない。そういえば、ちゃんとしたお礼と自己紹介がまだだったわ
よね。危ない所をありがとう。あたしはネフェルティータ。長くて呼びにくければネフ
ェルでもフェルティでもティータでもなんでも好きに呼んでくれればいいわ」
「俺は……アルティス。別に、礼を言われるほどのことじゃない。さっきも言ったとお
りの気まぐれだ」
 ティータの言葉にいつも通りの無愛想な調子で返し、アルティスは周囲を見回す。隅
に転がされた男達はまだしばらくの間は目を覚ましそうになかったが、いつまでもここ
に長居をしないほうがよさそうなのは明白であった。
「さて、俺はもう行くぞ。これ以上の面倒ごとは御免だからな。お前もあいつらが目を
覚ます前に消えたほうがいいぞ」
「あ、ちょっと待ってよ」
 さっさとこの場を去ろうとするアルティスの背に、ティータが慌てて声をかける。そ
れに足を止めて振り返った青年のそばまで小走りで駆け寄ると、小さく息を吸い込み、
吐き出して呼吸を整えた。
「なんだ? まだ何か用か?」
「あ、えっと」
 訝しげに見つめ返してくる青年に、少女は何かを考え、少しだけためらった後、口を
開く。
「あのさ、ちょっとしたなぞなぞなんだけど、『やってくる姿は羊の如く、通り過ぎる
姿は隼の如く、通り過ぎて後は岩の如く』……これって何のことを言ってるのか、分か
る?」
「突然なんだ? なぞなぞ遊びなら……」
「いいから、答えて」
 アルティスは面倒くさそうに頭をかきつつも、真剣な様子の少女を見、彼はやれやれ
といった調子ながらも答えを口にした。
「……答えは、『時間』だ。なぞなぞのなかでも古典の一つといえる問題だな。それが
どうかしたか……」
「おー…………!」
 アルティスが答えを口にした瞬間、ティータの顔が輝く。その様子に青年はさっきの
問いに一体何の意味があるのかと尋ねようとしたが、彼の言葉も少女はまるで聞いてい
ないようだった。くるりとアルティスに背を向けたかと思うと、ぶつぶつとなにかを呟
き続けている。
「……うん、あんな珍しい解呪法も知ってたし、思ったとおり知性は合格。それにか弱
い乙女のピンチを颯爽と救う勇気と行動力も、文句ないわよね。うんうん……考えてみ
れば、これってなかなか運命的な出会いかも。どっちみちこの街での寝床は欲しかった
し……一緒に暮らすのがこの人なら悪くない、よね」
 アルティスに背を向けたままのティータは一人で納得したように、何度もうんうんと
頷く。
「おい。大丈夫か?」
 突然自分の世界に入ってしまった少女の肩に、アルティスは手を伸ばす。だが、その
手が少女の華奢な肩に触れそうになった瞬間、彼女は大きな声を上げた。
「……決めたっ!」
「お、おい? いったいどうし……」
 叫んだ直後、彼女はいまだ事態を理解できずに戸惑った表情のままのアルティスの手
をとる。全く事態についていけない彼は、次の瞬間さらに混乱させられることとなった。
「むぐっ!?」
 一瞬、アルティスは自分の身に何が起こったのか理解できなかった。突然目の前に出
会ったばかりの少女の顔がアップになったかと思ったのとほぼ同時に、柔らかな感触が
唇に伝わったのだ。
 要はティータがそのまま腕を引き、青年の体をぐいっと引き寄せると爪先立ちになっ
て彼に口付けた、ということである。実際に唇が触れていたのはほんのわずかな時間だ
ったが、それでもアルティスを混乱させるには十分であった。
「……んっ、ふぁ。ふふ、あなたの唇、おいしいね」
 数秒後、少女は青年から体を離すと、指で自らの唇をそっとなぞった。相手は幼い少
女だというのに、その仕草は妙に色っぽく、男をどきりとさせるには十分な威力を持っ
ていた。
「……」
 突然のキスに流石のアルティスも目を見開き、呆然として立ち尽くす。ほんの少し触
れ合う程度のキスだというのに、脳髄を蕩けさせるほどの熱を流し込まれたかのようで
すらあった。そんな彼に構わず、少女は彼の腕を取り自らの腕と組ませると、軽やかな
足取りで歩き出す。
「ふふ、あたし、あなたについてくことに決めたわ。丁度宿も探してた所だし、しばら
く居候させてもらうわね。よろしくね、アルティス」
 青年を引きずるように歩きながら、少女、ティータが楽しそうに言う。それにようや
く不意打ちのショックから立ち直ったアルティスが口を挟んだ。
「ちょ、ちょっと待て! いきなりそんな勝手に!」
「あら、アルティスさんってばいたいけな少女のお願いを断って、見捨てるような冷血
な方なのかしら? 乙女のピンチを救ったナイトが、そんなことしないわよね」
 いつもの彼からは珍しく、慌てて少女のお願いを断ろうとするアルティスの反論を、
計算高い笑みを浮かべたティータの言葉がばっさりと切り捨てる。
「ぐ……」
 流石にそうまで言われてはここで彼女を放り出すことも出来ず、アルティスは黙るこ
としかできなかった。その沈黙を自らの勝利ととったティータは先ほど以上ににこにこ
と満面の笑みを浮かべながら、青年の腕を引っ張る。
「決まりね。それじゃ、とりあえずあなたの家までいきましょ。ほら、ちゃ〜んと案内
してくれるよね」
「く……わかった……」
 うきうきとした軽い足取りの少女に腕を引かれ、アルティスは苦虫を噛み潰したよう
な表情を浮かべる。
 もしや、自分はとんでもない娘に自ら関わってしまったのではないだろうかと思いつ
つ、青年は自分の借りている安宿へと足を進めるのだった。



「いてて……くっ、あのクソガキ……!」
 アルティスとティータが路地裏の空き地を去ってからしばらく後。ティータとアルテ
ィスにやられた人攫いの男はようやく目を覚ました。なぜ自分が地面に倒れ込んだまま
なのか理解できず、リーダー格の男は混乱する。とにかく起きあがろうするが上手くい
かず、さらに混乱する彼はようやく自分の体が縛られていることに気付いた。
「な、なんだ!?」
 混乱する頭をなんとか落ち着かせ、記憶を整理する。と、自分は「仕事」の最中に突
然現れた青年に殴り飛ばされたのだということを思い出した。おそらく、自分達を縛り、
転がしていったのもあの男だろう。
「あ、あの野郎……仕事を邪魔したばかりかナメた真似までしやがって……」
 首を振って忌々しげに呻くが、しっかりと縛られた縄はちょっとやそっとでは解けそ
うになかった。隣に顔を向けてみると、仲間も同じく縛り上げられ、地面に転がされて
いるのが目に入った。役立たずどもめ、と彼は内心で悪態をつく。
「おい、てめえら。寝てんじゃねえ、おきろ!」
 しかしいつまでもこのままじっとしているわけにもいかず、人攫いの男はいまだ夢の
中の仲間二人をつま先で蹴っ飛ばしてたたき起こす。うめき声と共に目を覚ました二人
は彼と同じように事態が理解できず混乱した声を上げたが、彼に怒鳴られ、状況を説明
されると自分達をこんな目に遭わせた少女と青年に怒りをあらわにした。
 とはいえまずは現状を打破することが先決と考えた三人はともに、なんとか自分を縛
る縄の戒めを解こうと、身をよじらせる。
 だがよっぽど硬く、念入りに縛られたのか、縄は少しも緩む気配を見せなかった。
 しばらく縄との悪戦苦闘を続けていた男たちの前の地面に、ふと一つの影が落ちる。
「……?」
 人通りのないこんな裏路地まで一体だれがやってきたのかと思い、顔を上げた人攫い
たちは目の前にいつの間にか一人の老人が立っていたことに気付いた。漆黒の外套を纏
ったその姿はまるで地面から影が立ち上がったかのようで、目の前に立っているはずな
のにどこか非現実の存在のようにさえ思える。
 老人は白髪に豊かな口ひげを蓄え、男達を見下ろしている。その立ち居は豊かな教養
を持つ初老の紳士のようであり、その表情は穏やかで、一見優しげな人物に思える。男
達はこの老人のことを――少なくとも顔は――知っていた。だが、老人の顔を見た男達
は、助けを求めることすら忘れ、がくがくと震えだした。
「あ、あ……」
 怯えが混じった声で人攫いたちのリーダーが意味を成さない言葉を呟く。それに構わ
ず、老人は豊かな口ひげを手でいじりながら独り言のように言う。
「ふぅむ。珍しい素材が手に入りそうだと思ったのだが、残念だ。それにしても……ま
たあの青年か、よくよく妙な縁があるのかも知れんな」
 アルティスたちが去った方向を見つめ、彼は愉快そうに口元を曲げる。だがその笑み
はどこか……不吉なものを感じさせた。
 彼は足元に転がる男達にまるで感心を持たない様子で言葉を続ける。
「いや、これは思わぬ幸運かもしれん。ふむ。この間のあの青年と一緒にいたあの娘、
上手くすれば手に入れられるかも知れんな。少し試してみるか」
 言っている事はほとんどわからないものの、それでも老人の様子に男たちは嫌な予感
を覚える。よくよく冷静になってみれば、何度か依頼を受け、金こそ貰ったものの、彼
らはこの老人のことを何一つ知らないのだ。男達は、ようやくこの老人が先ほどの少女
達以上に危険な存在であることを理解しつつあった。
 こいつに関わっていたらヤバイことになる。理屈ではなく、裏社会に暮らすものの直
感がそう告げている。
「お、俺たちはこれ以上はもうごめんだぜ。あんたの望みがなんだかは知らねえし、知
りたくもない。さっきのガキは逃がしちまったが貰った金の分は働いたんだ、俺はもう
抜けさせてもらうぜ」
 不吉な気配に気おされつつも、リーダー格の男がそう言い放つ。それに続いて残りの
男たちもそうだそうだと同意を示し、頷いた。
「ふむ。倍額出す、といっても同じかね?」
 その言葉に男たちの体は一瞬反応したものの、最終的には恐怖が上回ったようだ。彼
らは一様に首を振る。
「……それでもごめんだ。悪いが、他を当たってくれよ」
「やれやれ、仕方ない、か」
 やけにあっさりとした老人の返事に、男達は安堵するよりも拍子抜けする。だが、次
に老人が口を開くとその表情は凍りついた。
「とはいえ……実のところ、今は人手不足でね。こちらとしてもこういうことに時間と
人数を割いて、使える手駒を減らしたくないのだよ。悪いが君達にはもう少し手伝って
もらうとしよう。君たちの意思とは、関係なくね」
「な、なに……!?」
 老人の目が妖しく光ると同時に、虚空に黒い穴が開く。恐怖に目を見開く男達の前で、
宙に浮かぶ黒いゲートからは白い骨の手が無数に現れていく。
「やはり契約は金などによらず、呪いにて結ぶべきだな。決してたがえることすら許さ
れぬ契約。これほど確かなものはあるまい」
 独り言を呟く老人の言葉を理解する余裕は、男達にはなかった。見る間に闇色の門か
らは亡者があふれ出し、彼らへとにじり寄ると、その体にまとわりついていく。

 ――絶叫が上がった。

―――――――――――――

 結局、アルティスはティータを連れたまま、自分が部屋を借りている安宿の前までき
てしまった。
 途中、隙を見計らって少女を撒こうかと考えたアルティスだったものの、その途端彼
の考えを見透かしたような彼女にしっかりと腕を絡められ、わずかなチャンスすら潰さ
れてしまったのである。もっとも、二人が出会った路地裏からアルティスがねぐらとし
ている宿までの距離はそれほどでもなかったため、彼自身、本気でその方法が上手く行
くとは思っていなかった。
 そんなわけでアルティスは早々に運命を受け入れ、無駄な労力を使う愚を避けたのだ
った。
 考えてみれば、最近なんだか自分は子どもと妙に縁があるような気がする。正直、こ
れ以上の面倒ごとは増やしたくはなかったのだが、ここまできてしまった以上、諦める
しかないのだろう。後はもう成り行きに任せよう、そんな諦念が、自分以外には分から
ないほどの小さな小さな溜息をつく彼の態度に表れていた。
 そんな青年の内心に気付くはずもなく、門の前で足を止めた彼に、ティータが尋ねる。
「どうかした?」
「いや……。なんでもない」
「そう? まあいいけど。ええと、アルティスの家ってここ?」
「ああ、そうだ」
「うわぁ……」
 彼の答えに、ティータは微妙な表情を作る。それも仕方がないといえた。彼らの眼前
の建物の壁面はどれも色あせ、ところどころ剥げて下地が見えている部分すらある。そ
のぼろさは窓も同様で、まともなものは数えるほどしかなかった。それ以外は皆、割れ
たガラスを張り合わせたり板で塞いで補修してある。その姿は、お世辞にも立派とは言
いがたかった。
 もっとも、それはこの宿が特別というわけではない。冒険者にとっての宿とは――特
に金の無い駆け出しにとっては――要は屋根と寝る場所さえあればいいため、大体どこ
もここと似通ったおんぼろなのである。
「どうする? 嫌なら帰るか?」
「うーん……はぁ。まあ、仕方ないかぁ」
 アルティスの言葉にティータは諦めの息を吐き出す。二人は蔓草が巻きついた門をく
ぐり、宿の敷地内に足を踏み入れた。
 ずらりと並ぶドアの前をいくつか通り過ぎ、アルティスは自分の借りている一室の前
で足を止める。懐から鍵を取り出して鍵穴に差込み、くるりと回すと小さな金属音とと
もに、鍵が開いた。
「散らかってるからな。気になるかもしれんがすまんな」
 懐に鍵をしまいなおした彼がドアノブに手を伸ばそうとする。だがその前に、戸は自
ら開いた。同時に、快活な女の子の声が響く。
「おかえり〜〜〜!」
 扉の向こうから姿を現したのは、セミロングの銀髪が美しい少女だった。まだ10代
前半程度の幼い体に、東方と西方の折衷デザインの衣装を纏っている。白い上着と、藍
色のスカートが銀色の髪と健康的な肌の色に良く映え、美しい。
「来てたのか、お前」
「うん。えっと……だめだった?」
 青年の言葉に少しだけ不安げな表情を浮かべた少女の名はタマモ。つい先日、この街
にやってきたばかりの女の子である。ある事件においてアルティスと出会い、その後は
こうしてほぼ毎日のように彼のところに顔を見せるようになっていた。
 幼く可愛らしい外見からは一見想像もつかないが、彼女の正体は魔物、それも強大な
力を秘めた七尾の狐である。その力は何度も仲間を救い、戦いを勝利に導いてきた。
 けれども、今こうしてアルティスを見つめる表情は全くの子どもにしか見えないので
あった。
「いや、別に」
 アルティスがそう言うと、不安に曇っていた少女の顔がぱあっと明るくなる。その変
化の早さにやはり子どもだなと内心思いつつ、彼は尋ねた。
「ところで鍵はどうした? 確か戸締りはしていったはずだが」
「え? ああ、うん。最初閉まってたから、帰ろうかな〜って思ったんだけど。たまた
ま通りかかった管理人のおじさんが『おや、お嬢ちゃん彼氏待ちかい。鍵開けてやるか
ら中で待ってな』って」
「……」
 タマモの答えに、アルティスはなんともいえない表情を浮かべる。いろいろ思うとこ
ろはあったのだろうが、結局そのどれもが言っても詮無いことだと悟った彼は、せめて
もの抵抗に大きく息を吐き出すのだった。
 そんな二人のやり取りに、アルティスの背後から別の声が割り込む。
「なんだ、アルティスって彼女持ち? ふーん、見かけによらず……」
 どこか面白がっている風な声で、ティータが呟く。
「違う」
 ぴしゃりと言い切った青年だったが、ティータはまったく聞いていないようだった。
「またまた〜。隠さなくてもいいじゃないの。どれどれ、アルティスの彼女さんはどん
な子かな〜?」
 彼女は好奇心に満ちた目で、声の主の少女の顔を拝もうと、アルティスの影から顔を
出す。
「あれ? 一人じゃなかったんだ。珍しいね」
 その声に気付いたタマモも、いつもの青年にしては意外だと思ったのか、声を上げる。
彼女もまたアルティスの陰に隠れていた少女を一目見ようと、体をずらした。
「……って……あなた?」
「え? ……あ」
 直後、顔を見合わせた二人の少女は、一瞬自分の前にいるのが誰だか分からない様子
だった。だがそれも刹那のことで、すぐにお互いに気付いた少女は、同時に驚きの声を
上げる。
「まさか……ティータ!?」
「た、タマモお姉ちゃん!?」
 二人して全く同じ格好で指を突きつけあう少女達に、事態が上手く飲み込めない青年
は一人、目を瞬かせるのであった。



 それから程なく。玄関先での予想外の邂逅を果たした二人の少女と共に、アルティス
は自室の椅子に腰掛けていた。テーブルの上には料理が置かれ、食欲をそそる香りが室
内に立ち込めている。お互い聞きたいことは山ほどあったのだが、空腹に耐えかねた彼
らはとりあえず少し遅めの昼食をとることにしたのであった。
「しかし、びっくりしたわ。まさかアルトがあなたを連れてくるとはね〜」
 ジパング風のスープを器にとりわけながら、エプロン姿のタマモが口を開く。それを
受け取ったアルティスは一口だけ不思議な味のするスープをすすると、先ほど尋ねる機
会のなかった質問を彼女にすることにした。
「驚いたのはこっちだ。なんだ、お前たち知り合いだったのか?」
「うん、まあ、ね。その……私とこの子、姉妹なのよ。といっても、かかさまは別なん
だけど」
 タマモの言葉に、同じくスープを受け取りながらティータが続ける。
「いわゆる異母姉妹っていうものね。タマモお姉ちゃんの方が、あたしよりちょっとだ
け年上なの。お父様の奥さんたちの子どもの中で、一番先に生まれたのがタマモお姉ち
ゃん。で、その後にタマモお姉ちゃんのお母さんとは別の、私のお母様がお姉ちゃんと
あたしを産んだのよ。とはいっても、その間はほとんどあいてないくらいの差だったけ
どね」
 彼女たちの説明に、とりあえずは納得がいったのか。アルティスはスープを一口すす
り、器を置くと頷く。
「ふむ。そういうことか。それで、お前たちの種族は違っているわけだな」
「あ、この子の正体に気付いたのね? そうそう。同じ獣人でも、私は稲荷――つまり
狐で、この子は猫族だしね」
「もう、猫族なんてひとくくりにしないでよ! あたしはスフィンクス! そんじょそ
こらの野良猫なんて比べ物にならないんだから!」
 彼と同じくスープを飲んでいたティータが、タマモの説明に口を挟む。慌てていたた
めか、熱い液体を思い切りのどに流し込んでしまった彼女は「あちちち」と言いながら
顔をしかめると、ひりつく舌を垂らした。
「なるほどな。それでさっきの問いかけ、というわけか」
「そそ」
 青年の言葉に笑顔を浮かべるティータに、タマモがぎょっとして口を挟む。
「問いかけ……? ちょっと待って。まさかあなた、アルトに『なぞかけ』したの!?」
「うん、したよ」
 平然と答え、それがどうしたのかといわんばかりの表情を浮かべたティータとは対照
的に、タマモの顔にはますます焦りが浮かんでいく。彼女はテーブルに身を乗り出し、
青年に掴みかからんばかりの勢いで尋ねた。
「っ! そ、それでアルト、どうだったの!? まさか、間違えたりなんてしてないよ
ね!?」
「ん、ああ。子どもでも解ける様な簡単な問題だったからな」
「よ、よかった……って! それじゃティータ! もしかして呪いはあなたにかかって
るの!?」
「ううん、かかってないよ。だってなぞかけはなぞかけだけど、呪いをかけるためのじ
ゃなかったもの」
「そ、そう。それじゃあれね、あなたお得意の占い代わりのなぞかけ。……よかった」
 鶏肉をかじりながら答えるティータに、タマモは胸をなでおろす。とりあえず落ち着
きをとり戻したのもつかの間、彼女はティータに指を突きつけた。
「もう、だ、ダメじゃない! いきなり『なぞかけ』するなんて!」
「え〜? あたしたちの本能にそんなこといわれても。それにアルティスはタマモお姉
ちゃんのこと、彼女じゃないって言ったよ? なら別に、タマモお姉ちゃんが怒ること
無いでしょ?」
「う……まあ、それは……」
 なんで怒られるのか分からないといわんばかりの少女だったが、姉の剣幕からふと何
かに気付いたかのようだった。にやりと意味ありげな笑みを浮かべ、ティータはタマモ
に向き直る。
「あ、なるほどわかった。今のところお姉ちゃんの想いが一方通行ってことね。しかも
その感じから見るに、ベタぼれ?」
「なっ、ちが! いや、違わない! って、ああ、もう! そうじゃなくて!」
 わたわたと慌てる稲荷の少女と、にやにやと彼女を見つめるスフィンクスの少女に挟
まれながらもアルティスは我関せずといった風で食事を続ける。その横では魔物の姉妹
がいまだにぎゃあぎゃあと騒ぎを続けていた。
「やれやれ。……ん?」
 少女たちの上げる騒音にわずかに顔をしかめつつ、アルティスは肉を噛み千切る。ふ
と、食事をしながら何の気なしに目を向けた先に、一枚の紙が置いてあるのに気付いた
彼は腕を伸ばし、それを拾い上げた。
 紙面に視線を走らせ、表面に印字された文字を読み取る。一通りの内容を読み終えた
彼は顎に手を当て、騒ぎ続ける少女の片割れに声をかける。
「……ふむ。『緊急依頼:誘拐組織の調査・逮捕』か。……タマモ、これを持ってきた
のはお前か?」
 その問いかけに言い争いをやめ、タマモが振り返る。彼女はアルティスが手にしてい
る紙に一度視線を向け、頷いた。
「あ、うん。カーライルさんのところでちょっと話を聞いてね。最近、若い女の子を狙
う誘拐事件が頻発しているんだって。特に今週に入って三件もの誘拐事件が立て続けに
起こってて、ギルドも報奨金を増やして事件の早期解決を図りたいみたい」
「むう、なるほどな……」
 タマモの説明に、アルティスは考え込む。
「誘拐、ね……」
 テーブルを挟んだその向こう側では、猫の耳をピンと立てたティータが同じく何かを
考えているようだった。
「……領主の所にも報告が行っているレベルか。タマモの話の通り、ギルドも問題視し
ている事件ということは、その分解決した時の見返りも大きくなることを意味している。
……それにより名声を高めれば、我が家名を再興することにも一歩近づくはず……」
 青年は少女たちには何の関心も払うことなく、口元に手を当てたまま考えを巡らせ続
け、誰にも聞こえないほどの小声でぼそぼそと呟いた。
「……アルト?」
 いつに無く真剣な様子で考え込むアルティスの姿に、どこか不気味ともいえるものを
感じたタマモは恐る恐る声をかける。それとほぼ同時に青年は立ち上がると、壁際に置
かれていた装備を掴み、ドアへと向かう。
「ちょっと、どうしたの!?」
 タマモの言葉にも応えず、青年は部屋を出て行く。彼女と同じくその後姿を見つめて
いたスフィンクスの少女はパンの最後の一欠けらを飲み込むと、口を開いた。
「あ〜。多分、っていうか確実にあの依頼受けるつもりなんでしょうね。実のところ、
あたしたちはさっき件の誘拐犯に遭遇してるし」
「え!? なにそれ初耳よ! なんでそんな重要なこといわないの!?」
「だって、聞かれなかったし。……さてと、それならあたしものんびりしてられないわ。
あいつらにはちょっとした借りもあることだしね」
 ナプキンで口元をぬぐい、ティータも立ち上がる。その碧い瞳には、既に肉食獣特有
の鋭さが浮かんでいた。彼女は「ごちそうさま」とだけ短く言うと、アルティス同様部
屋を出て行く。
「ちょ、もう! なんなのよ!? 待って、私も行くってば!!」
 一瞬事態が飲み込めず、呆然としていたタマモだったが二人が部屋を出、ドアが閉ま
るとはっとして食卓から立ち上がる。エプロンを脱ぎ捨て、身支度を整えると二人の後
を追い、慌しく宿を飛び出すのだった。

―――――――――――――

「はぁ、はぁ……や、やっと追いついた……」
 アルティスの宿から全力疾走で二人に追いついたタマモは、ぜいぜいと荒い息をつき
ながら言葉を吐き出す。
 場所はこの街の中でも特徴的な石造りの建物、冒険者ギルドの前。地域の自警団の詰
め所も兼ねるここで依頼の受注と、情報を手にしてきたアルティス(と、先行して彼に
追いついていたティータ)の姿をようやく捉えたタマモが合流。一時的なパーティを結
成し、事件解決に当たることにしたのだった。
「で、何か目新しい情報はあった?」
 切らした息を整えながら、タマモがアルティスに尋ねる。それにギルドからの情報メ
モを手にした青年は、報告書に目を通し終わると、首を振って答えた。
「……いや、特に追加報告は無いようだな。とりあえず分かっていることは、犯行グル
ープは若い女性ばかりを狙っていること、くらいか。目撃証言も殆どないし、犯人から
の身代金やその他の要求もないようだ」
「む〜、いくらなんでも、それだけじゃ調べようにも埒が明かないわね……。そうだ。
ね、例えば、何か被害者とかに共通している所とかはないの?」
 難しい顔をしながら問いかけたタマモに、同じような表情のアルティスが返す。
「いや、狙われた女性にも、年齢が若いことぐらいしか共通項はない。誘拐されたと見
られる時刻も地点もばらばら。確かにこれでは、相手を探るにしても対策が立てづらい
な……」
 そういいながら、苛立ったようにアルティスは報告書を睨むように見つめている。そ
んな彼の横顔に、タマモは言いようの無い違和感を覚えた。それは事件に対する怒りや
焦燥というよりも、なんだか別の思惑があるような感じに見えたのだ。
「ね。ちょっといい?」
 頭を悩ませるタマモとアルティスに、突然、先ほどから何かを考え込んでいたティー
タが声をかける。思わず顔を上げた二人の視線が自分に集中したのを確認すると、彼女
は意味ありげに立てた指を振り、口を開いた。
「こっちから相手を探すのが難しいなら、いっそ向こうから出てきてもらわない?」



 物寂しげな空気と、かすかに不穏な雰囲気の漂う裏道を、背の低い二つの人影が歩い
ている。東方と西方のスタイルを折衷した衣装に身を包む銀髪の少女と、健康的な褐色
の肌を多く露出させた異国の衣装を纏ったとび色の髪の少女。それは、こんな裏路地に
は明らかに場違いな格好と言えさえするものであった。
 昼でも薄暗く、好き好んで通るような者もいない道を二人は並んで歩く。
「……まったく。あなたの考えには時々ついていけないわよ。『あたしたち二人が囮に
なればいいじゃない』なんて。一歩間違ったらどうなるか分からないってのに」
 慣れない道にかすかに怯えた風を装って歩きながら、銀髪の少女、タマモは隣を歩く
妹、ティータに小声で呟く。
 ちなみにアルティスは、万一彼女たちが囮であることを見破られ逃げ出すものがいた
場合に備えてタマモ達とは別行動をとっている。
「とかなんとか言って、タマモお姉ちゃんだっていっぱい無茶してきたじゃない。例え
ばほら、お姉ちゃん『結婚相手を探すために一人で旅をする』って言ったりとか。あの
時のお父様とお母さんの顔、すごかったわよ」
「う……。いや、それは……」
「それに二人ならそうそうまずいことにはならないでしょ。タマモお姉ちゃんはなんだ
かんだ言って、結局最後は手伝ってくれるしね。と言っても……今回は『可愛い妹が心
配』とか『誘拐犯が許せない』ってよりは……『アルティスの役に立ちたい』から、が
一番の動機なのかな〜?」
「あ、う、それは、その……」
 年下のはずの少女の言葉にまともな反論すら出来ず、やり込められたタマモは顔を真
っ赤にする。その口からは無意味な音がただ吐き出されるだけで、こげ茶色の瞳が落ち
着き無くさまよう。
 その様子を見たティータは感心とも呆れともつかない息を吐き出した。 
「は〜……。その調子じゃ、本当に本気でベタぼれみたいね。何気に男の基準には厳し
いお姉ちゃんをここまでさせるとは、アルティスって侮れないな〜」
 小声での会話を続けながらも道に不慣れなおのぼりさんといった態度の演技を崩さず、
ティータは歩く。
「ね、お姉ちゃん」
 自分の言葉に対し、姉の反応が無いことを訝る彼女は姉の横顔をちらりと盗み見る。
先ほどから姉が熟れたリンゴのような顔をしているのを見ると、彼女は唸った。
「ありゃ、こりゃダメだわ。う〜ん、しかしそうなるとますますあたしも興味が湧いて
くるな〜」
 呟かれたティータの言葉に、タマモの体がぴくりと跳ねる。再起動した彼女は横を歩
く妹に顔を向けると、表情を強張らせた。
「え? なに、それ。ちょっと聞き捨てならないわよ? なんであなたがいきなりそん
な」
「そう言われても。恋に落ちるのに理由なんて要らないでしょ? 大体まだお姉ちゃん
の一方的な片想いでちゃんとした告白すらしてないんだから、アルティスはフリーって
ことでしょ」
「う……、確かに」
「なら、正々堂々勝負した結果あたしが勝っても文句言う筋合いは無いわよね。ふふ、
あの無愛想な人があたしの責めでどんな可愛い顔をしてくれるかって考えただけで、ど
きどきしてきちゃう。そのときこそ、賢者だって絶対解けないような『呪いのなぞかけ』
をしちゃうんだから。ふふ、そしたらあの人は身も心もあたしのもの……」
 うっとりとした表情を浮かべ、妄想にふけるティータに、タマモが慌てて口を挟む。
「だ、だめよっ! そんな呪いで縛ってなんて! 旦那様には献身的に尽くしてこその
良妻だってかかさまが言ってたもの!」
 その声に妄想を邪魔されたスフィンクスは、ぼそりと呟いた。
「ぶりっこ」
「……なっ、なんですって? 我慢も知らない、小生意気な子猫のくせに……」
「子猫? お姉ちゃん、いまあたしのこと、子猫っていった?」
 ティータの目がすっと細まり、体から魔力が立ち上り始める。タマモもそれに応じる
ように全身に力を入れ、妹を睨み返した。
 二人の間に凄まじいまでの緊張感が張り詰め、空間には不可視の稲妻が迸る。
 作戦のことなど綺麗さっぱり忘れた少女たちの取っ組み合いが始まるかと思われたそ
のとき、背後の物陰で立てられたかすかな物音が彼女たちの耳に届く。その音ともに、
自分達に近づいてくる気配を察したタマモは小さく呟いた。
「……作戦は上手く行ったみたい。無駄足にならずによかったわ」
「当然。こんな可愛い女の子を放っておくような間抜けな誘拐魔、いるわけないもの」
「はいはい。とりあえずは一時休戦ね」
 軽口を叩きながらも一瞬で鋭い空気を纏った二人は足を止め、背中合わせになると周
囲に油断無く視線を走らせる。彼女たちが構える中、そこここの物陰からはいかにもな
風体の男達が路上に姿を現した。彼らは無言で二人の行く手を遮るように陣取り、じり
じりと間合いを詰めていく。背後からも同様に人影が現れ、獲物を逃がすまいと退路を
断つように立ち塞がった。
「ひい、ふう、みい……。まあ、普通の女の子を攫うつもりなら、十分な人数かな」
「そうね。ただ、残念ながらあたしたちは『普通の女の子』じゃ、無いんだけどね」
 二人は幼い外見からは想像もできないほどの魔力を体から立ち上らせながら、すっと
構えをとる。それに気圧された男達が思わずたじろぎ、一歩身を引いた。
「悪いけど逃がすつもりは無いから。憂さ晴らしは、あんたたちでさせてもらうよ!」
 目の前の少女達が自分達をおびき出すための罠だと気付いた男達が次の行動に移るよ
りも早く、ティータは叫ぶと地を蹴り飛び掛る。
「とりゃあ!」
 身体能力に優れた獣人の体が生み出す想定外のスピードで眼前に迫った少女に、人攫
いはまるで抵抗らしいものも出来ず、彼女の振るった腕に殴り倒された。高速のパンチ
を頬に喰らい、彼は悲鳴すら上げることもできず吹き飛ぶと、ずるずると崩れ落ち、地
に倒れ伏す。
「ちょっと、やりすぎじゃないの!?」
 体をぐったりとさせ、完全に意識を失った男の様子に、タマモが少し慌てた声を出す。
「手加減はしてるわよ! ……多分」
 タマモが目をやると、倒された男の体は時折小さく動いているのがわかった。確かに
気絶はしているものの特にひどい出血はない。あの様子ならば命に別状は無いだろう。
ティータの言葉の通り、多少の手加減はされているらしい。
 その間にも、ティータは別の敵に向かって駆けだしている。
「まったく……。ああ、もう。また不用意に飛び込むなんて。相変わらずあぶなっかし
いんだから……っと!」
 遊びのような感覚で次々と男を殴り飛ばしていくティータに呆れ顔を浮かべながら、
タマモは自分に掴みかかろうとしてきた男の突進をかわしざま蹴りを叩き込む。体をく
の字に折るほどの回し蹴りを胴に打ち込まれた男は白目をむいて地面に倒れ込んだ。
「……!」
 あっという間に最前列の者達が倒された人攫いの一団は、その目に恐怖を浮かべる。
だが彼らはそれでも逃げようとはせず、それぞれ手に持った得物を握りなおした。
「あら、ちょっと意外。勝てないと分かってても最後までやるようなやつらとは思わな
かったんだけどね。玉砕覚悟?」
「油断しないの! 来るわよ!」
 その言葉をきっかけに、男達はタマモとティータに襲いかかる。それに対し二人の少
女は片や野生の獣を思わせる俊敏な動きで、片や舞うような軽やかな動きで男達を蹴散
らしていく。彼女らの腕が、足が振るわれるたびに一人また一人と悪漢は地面に倒され
ていった。
 数分と経たないうちに人攫いの男達は一人残らず倒され、路上に無様な姿を晒してい
た。
「ふう。とりあえず、片付いたかな」
 服についた埃を軽く叩いて落としながら、タマモが呟く。
「そうねえ。ま、当然の結果よね」
 ティータは倒した男たちをぐるりと見回すと、姉の言葉に頷いた。
「あとはこの人たちをギルドに突き出せばいいかな。出来れば背後関係とかまで吐かせ
たいけど、ここではちょっと難しいでしょうしね」
「う〜ん、そうだよねえ」
 相槌をうつティータは周囲に気を配りつつもあちこちに視線をめぐらし何かを確かめ
ている。なにをしているのかと訝しがるタマモだったが、やがて妹は腰に手を当てて勝
ち誇りながら言った。
「ふふ〜ん。今ざっと見たけど、倒した数はあたしの方が多いみたいね。この勝負あた
しの勝ち〜!」
「勝負!?」
 何のことだと振り返るタマモに、ティータは笑みを浮かべたまま続ける。
「そ。どっちがより『彼』にふさわしいかの勝負。女の子だって、冒険者のパートナー
になるならやっぱりいざというとき彼を助けられるだけの実力がなきゃダメじゃない? 
ふふ、まずはお姉ちゃんに一歩リード〜」
「ちょっと、なによそれ! 大体あなたの倒したのは子分っぽいのばかりじゃない! 
質から見れば、リーダーっぽいのを倒してる私のほうが上! 私の勝ちに決まってるじ
ゃない!」
「なによ! お姉ちゃんなのに負け惜しみはみっともないわよ!」
 ぎゃあぎゃあと再び騒ぎ出した少女二人の声に、突如拍手の音が割り込む。裏路地に
は場違いとすらいえるその音を耳にした二人は反射的に戦闘体勢になると、背後へと振
り向いた。
 だが、想像に反しそこには敵の姿はおろか、人のいた痕跡すらありはしなかった。戸
惑いつつも警戒を緩めない少女たちへ、風に乗ってどこからか老人の声が聞こえてくる。
「いやいや、なかなか見事な腕前だ。幼くとも流石は高位の魔物たち、といったところ
かね」
 声は感心するような調子ではあったが、本心からのものではなく演技が丸分かりだっ
た。どこか彼女たちを小ばかにするようなものとさえ感じられる。しかし、そんなこと
よりも言いようの無い不気味さの方が上回っていた。
 それにティータが内心の動揺を押し隠したまま、軽口を返す。
「あら、ここは『お褒めに預かり光栄ですわ』とでも言っておけばいいのかしら?」
「はは、これは元気なお嬢さんだ。ふむ、そちらの狐のお嬢さんさえ手に入ればと思っ
ていたのだが。君もなかなか。思わぬ収穫だったな」
「ふん! そう簡単にあんたの思い通りにいくものですか!」
 そういいつつも、ティータの表情は硬いまま。幼くとも確かな実力を持つ彼女には、
声を聞いただけでも相手の危険度が十分にわかったようだ。
「この声……? どこかで……?」
 妹が声とのやり取りを続ける間、タマモはじっと何かを考え込む。だが考えが纏まる
前に、痺れをきらしたティータが、虚空に向けて叫んだ。
「……ッ! どこにいるのよ! いい加減姿を見せなさい!」
「そうだな。いつまでも姿を見せないというのも失礼か」
 無駄だとは思いつつも叫んだ言葉に、意外にも声は応じる。その声が終わるか終わら
ないかのうちに、いつの間にか路地の真ん中に人影が現れていた。
 その姿を認めたタマモの顔に驚きと恐れが浮かぶ。 
「まさか、あのときの!? そんなはずは……っ!?」
 そう彼女が叫んだ瞬間。老人が口の端をゆがめたのとほぼ同時に、突如自分達の足元
から漆黒の闇が吹き上がる。
 不意に自分の体を襲った衝撃に二人の少女は防御するどころか、声を上げる間もなく
意識を失った。

―――――――――――――

「……う、うぅ」
 無意識のうちに漏らしたうめき声が、タマモの意識を現実に引き戻す。鈍い痛みに混
乱する頭を鎮め、ゆっくりと目を開ける。すると彼女の目には薄汚れた壁と床が映った。
ぼんやりとした視界を占めるのはどこかの倉庫か廃屋のような建物の一室、見慣れない、
記憶にも無い光景である。
「!」
 目に映るその映像に一気に意識を覚醒させた彼女は、手を縛られ床に無造作に転がさ
れていることに気付いた。隣には同じく、縛られ横たわる妹、ティータの姿もある。そ
の目は閉じられているものの、体には外傷らしきものは無く、規則正しい呼吸をしてい
ることから単に気を失っているだけのようだ。
「ふう、よかった……とは言えないか」
 妹の無事に安堵の息を吐きかけたタマモだったが、全く安心できない状況に再度息を
吐く。
「さて、どうしたものかな」
 自分たちがいる部屋には窓はあるものの、外から板でも打ちつけられているのか殆ど
明かりは入ってこない。室内は暗く、埃っぽい空気が鼻をつく。隅の方に木箱がいくつ
か置かれている以外は特にめぼしいものも無く、彼女たち以外には室内に誰もいなかっ
た。
「ええと、とりあえず状況を整理しましょうか」
 腕を組みたいところだったが、しばられていてはそれも出来なかった。しかたなくそ
のままで自分たちの置かれた現状を認識し整理すると、脳裏には先ほどまでの記憶が鮮
明に再生されていく。
 誘拐犯たちを捕まえるための囮捜査を行い、その一味をおびき出して叩きのめしたま
では良かったが……その後現れた人物の手によって気を失わされたのだった。おそらく、
そのまま攫われた自分達はここに連れてこられたのだろう。
 どうやら自分達がはっていた罠を逆手に取られて、逆に相手の罠にはめられたようだ
った。
「く、うかつだったわ……」
「ううん……、お姉ちゃん……?」
 その声で気がついたのか、傍らのティータも目を覚ました。タマモと同じく一瞬自分
の置かれた状況に理解が追いつかず、ぎょっとした表情を浮かべたものの、自分の状態
と目の前の光景から姉の説明を受けるまでも無く何が起こったのかを理解したようだっ
た。
「あ〜……ちょっとしくじっちゃったみたいね」
「……あんまり考えたくないけど、そう、でしょうね。ティータ、縄抜け出来そう?」
 タマモの言葉にしばしの間身を捩じらせていたティータだったが、やがて恨めしそう
な声で言う。
「ごめん、無理っぽい。しかもこれ、ただしっかり縛ってあるだけじゃなくて、魔封じ
の効果もあるみたいだし」
「やっぱりかあ……。道理で狐火が出せないわけね」
 嘆息するタマモに、ティータがおずおずと声をかける。
「……ね。これ、まずい?」
「……まずい、かも」
 手詰まりな状況に、流石の少女達も嫌な汗を感じる。
 それでもなんとか脱出の方法を考えようとタマモが口を開きかけたそのとき。目の前
のドアに掛けられていた鍵が外され、扉がゆっくりと開いた。金具が軋む嫌な音と共に
板の向こうから男が姿を現す。
「あ、あんたは……!」
 その顔を認めたティータが思わず呟く。タマモは分からなかったが、その男は昼間街
中でティータを攫おうとし、アルティスに倒された人攫いの一人だった。
 しかし彼は驚きを露にしたティータにまるでなんの反応も示さず、感情に乏しい声で
ぼそりと言う。
「……来い」
「ちょっと、痛いじゃない!」
 彼はタマモとティータを立たせると、彼女たちを縛る紐を掴み引きずるように部屋か
ら連れ出す。封じられた少女達は抵抗も出来ず、ただされるがままに男について歩くこ
としか出来なかった。
「どうしようっていうのよ」
「……」
 閉じ込められていた物置部屋から連れ出され、乱暴に扱われることに文句を言うティ
ータの言葉にも、男は黙ったまま。
 やがて男が一つのドアの前で止まり、その戸を開ける。ドアをくぐった二人は、広い
スペースを持った一室へと連れてこられた。ボロの内装と、床に積もった埃がこの建物
が長いこと使われていないことを物語っている。端のほうに目をやれば、何かの工作道
具のようなものが乱雑に積まれていた。おそらく、ここは随分昔に廃棄された工場あた
りなのだろう。
 室内に足を踏み入れたタマモとティータは、自分達をつれてきた男に部屋の真ん中に
突き出される。中には別の男が二人、何をするでもなく立っていた。
「おお、気がついたようだね」
 顔を強張らせる二人の少女に、つい先ほど聞いた老人の声が掛けられる。
 はっとして顔を上げた二人の目に、白髪と顎鬚を蓄えた紳士然とした姿の老人が映る。
一見人のよさそうな人物に見えるものの、その目に宿す光は見るものにどこか不気味さ
を感じさせた。
「ようこそ。もてなしをするにも気のきかない場所で申し訳ないがね。気分はいかがか
な?」
「最悪!」
「はは、やはり元気なお嬢さんだ」
 老人の言葉に、ティータが間髪入れず返す。それに気を悪くした様子も見せず、敵意
をあらわにする少女の顔を老人は愉快そうに見つめた。
「この……!」
「まって、ティータ」
 なおも悪態をつこうとする妹を、タマモが押し留める。
「あなた……、この間の魔術師、いや、死霊使い……よね?」
「いかにも。そちらの元気なお嬢さんとは初対面だが、君とは以前に会っているね。あ
あ、そうか。再会の挨拶を忘れていたな」
「ふざけないで」
 タマモはわずかに震える声で老人の言葉を断ち切る。そのやりとりが何のことか分か
らず、姉と老人の顔を交互に見つめるティータの視線を感じつつ、彼女は少しだけため
らった後、先ほどからずっと抱いていた疑問を口にした。
「本当にあなたが……私たちが以前の事件で出会った人物なら……。なぜ、ここにいる
の? あなたは……アルティスが倒したはずだけど」
「さてどうしてだろうね? 君ならばいろいろと考えは付くのではないかね? まあ、
こうして私がここにいる以上、重要なのは結果かもしれないのだがね」
 必死で目の中の恐怖を押し隠そうとする少女を面白そうに見つめ、老人は言う。
「そんなことよりも君たちには気にすべきことがあるのではないかね? 例えば、自分
達の末路、とか」
 その言葉をきっかけに、それまで無言で立ち尽くしていた男達がゆっくりと彼女たち
に近づいてきた。生理的な嫌悪感を感じ、二人は思わず息を呑む。
「……っ!? 何を!?」
 無意識のうちに体を強張らせるティータの言葉に、老人は口元を軽くゆがめたままの
表情で、実になんでもないことのように言う。
「君なら想像はつくのではないかね? 人気の無い廃屋、攫われた少女に襲い掛かる男。
この先に待っている光景など、一つしかないのだからね」
 その言葉に、二人の表情が引きつる。しかしその恐怖を無理やり押さえ込んだタマモ
が、老人へと叫んだ。
「魂の収集といい、人攫いといい……一体、あなたはなにを目的に!」
 射抜くようなタマモの視線を受け流し、老人は呟く。
「……話す必要はないな。君たちはただ、彼らとよろしくやってくれればいいのだよ。
正直な話、『今の彼ら』にはその行為も意味の無いことだが……契約は契約だからね。
なに、最初は苦しいかもしれないが……魔物の身なら、死にはしないだろう?」
「くっ……この、外道!!」
「何とでも言い給え」
 じりじりと近寄ってくる男達から後ずさりながら、タマモは老人に向かって叫ぶ。だ
が老人は彼女の叫びを一蹴すると、くるりと踵を返した。
「終わった頃にまた来る。くれぐれも壊さないでくれたまえよ?」
 背を向けたまま、老人は男たちに向かって声を掛ける。だが亡者のような動きで少女
たちににじり寄る彼らがその言葉を理解しているのかはタマモ達には分からなかった。
「ああ、そうそう。このあたりに寄り付くものなどいはしないからね。助けなど期待し
ない方がいい。折角だ、せいぜい君たちも楽しみたまえ」
 その言葉を最後に、影の中に溶け込むようにして老人の姿が消える。それとほぼ同時
に後ずさりしていた彼女たちの背に、壁が当たった。その感触は逃げ場がなくなったこ
とを無情にも少女達に教えてくる。
「……」
 逃げ場の無くなった少女達に対し、男達は無言でタマモとティータをしばし見比べて
いたが、どうやらまずはティータの方に狙いを定めたようだった。緩慢ながらも不気味
さを漂わせる動きで、ゆっくりと褐色肌の少女を取り囲む。だがその顔にはこれから先
の行為への期待や、情欲など欠片も浮かんではいなかった。
 それがどうしようもなく、少女の恐怖を駆り立てる。
「ひっ、やだ、こないでよぉ……」
 その様子に心に絶望が忍び寄り、ティータの声がかすかに涙ぐむ。だが男達はそんな
少女に対して慈悲の心を欠片も見せることなく群がると、纏った衣装に手をかけた。
「ティータ! く、この、やめなさい!!」
 タマモが怒りと焦りを露にした表情で叫ぶものの、まるで男達には効果がなかった。
彼女は縛られたままにもかかわらず果敢に男達に突進するものの、軽く突き飛ばされる。
 姉の目の前で、男達は妹に自らの欲望をぶつけようと群がり、その体に手を伸ばして
いく。
「いや、やめて……!」
 少女の哀願にも構わず、男は乱暴に布を剥ぎ取る。まだ幼い胸が露になり、ティータ
は羞恥と恐怖に悲鳴を上げた。
 能面のような表情のまま、男の一人がティータの胸に手を伸ばす。彼女はせめてもの
抵抗と、涙を浮かべたままの瞳を硬く閉じた。
「ぐが……!!」
 だが、その瞳はすぐさま開かれることになる。それも、自分の体が犯されたことでは
なく、目の前の男が上げた汚い悲鳴によって。
「え?」
 呆然としたままの彼女の目に映ったのは、ナイフを腕に生やし、苦悶の表情を浮かべ
る男の姿であった。その場の誰もが事態を理解するよりも早く、再び飛来したナイフが
他の男二人の肩口や胸に突き刺さる。
 ようやく振り返った男の一人が、彼らに向かって駆けて来る侵入者の姿を認め、拳を
振りおろす。
「邪魔だ!」
 だがそれよりも早く駆け抜けた青年はすれ違いざま長剣を振り上げ、その腕を斬り飛
ばした。吹き飛んだ腕が宙に舞い、地面に落ちると埃を巻き上げる。
「すまん、遅くなった」
「アルティス!」
 苦悶の呻きを上げる男に構わず、青年は二人の少女に駆け寄るとその体を縛る縄をナ
イフで切る。戒めから解放され、自由を取り戻した少女達を背後に庇い、青年は眼前の
敵を見据えたままで声を掛ける。
「二人とも大丈夫か?」
「う、うん」
 荒い呼吸をしながら短く言ったアルティスに、恐怖に凍り付いていたティータの表情
が和らぎ、戸惑っていたタマモの顔が輝く。
「で、でもどうして」
「あまりにもお前たちが遅かったんでな。何かあったんだろうと思った。が、いかんせ
ん手がかりが少なくてな、この辺りを虱潰しに探してたんで見つけるのに時間が掛かっ
た。すまん」
「ううん、そんなこといいよ……」
 いまだショックが抜けきらないティータが胸元をタマモから渡された布で多いながら、
弱弱しく首を振る。その様子を見た彼は、彼女を襲った男達をいつもの無表情ながらも
嫌悪感をあらわにして睨んだ。
「……下衆が。くそ、あの時見逃したのは間違いだったな」
 殺気を滲ませながらそう吐き捨てた彼の目の前で、突然の侵入者に対する警戒からか
距離をとっていた男達は再び彼らとの距離を詰め始める。
「やる気か……」
「待ってアルト! あいつら、なにかおかしい……!」
 剣を構えなおし、戦闘体勢に入ったアルティスにタマモの声がかかる。何がだと聞き
返そうとする前に、彼もまた相手の異常さに気付いた。先ほど自分が飛ばしたナイフが
突き刺さったはずの傷口、そしてなにより切り飛ばした腕からの出血が、まったくと言
っていいほど……無い。
「まさか、こいつら……すでに!?」
「ぐ、ぐが。ぐげごげえええええええ……!!」
 アルティスの言葉に応えるように、男たちの口から耳障りな音が発せられると同時に、
その背が盛り上がる。服を破り、そこから醜悪な肉の塊が飛び出すと、まるで糸を寄り
合わせるように絡み合った。腐臭と瘴気を放つ死肉はぐにぐにと不出来な粘土細工のよ
うに形を変えて行き、やがて歪な形を作り出していく。
 不気味に脈動する胴体から伸びた部分が、かろうじて手と頭だと判別できるようなも
のをもつ人型。だがその背丈は、天井すれすれまであり、巨人と言っていいほどに大き
い。
「こいつは、ネクロゴーレム……!」
 嫌悪感を露にし、アルティスがその名を呟く。見るものに恐怖と嫌悪を与えるその姿
は、まさしく命を冒涜するものだけが作り出すことの出来るモノであった。
「なんてことを……!」
 敵とは言え、あまりに非道な末路をたどった男達の姿にタマモは口元を抑えて呟く。
だが、同情や感傷に浸っている暇はなかった。頭部に当たる部分にあいた二つの空洞に
赤い光が灯り、およそ表情と呼べるものの無い顔が彼ら3人へと向く。
「……見逃してくれそうには、無いよね」
「だな」
 ティータの言葉通り、目の前の人影を敵とみなした死体人形はその死肉の腕を振り上
げると、彼らに向かって無造作に振り下ろした。
「まずい、跳べ!」
 アルティスの声に、二人も横っ飛びにその拳をかわす。巨大な岩のような拳は床板を
軽々とぶち抜き、一瞬前まで彼らがいた場所に大穴を空けた。
「げげ、なんて威力なのよ!」
 その破壊力に思わずティータは冷や汗を垂らす。
「ほら、ぼさっとしない! また来るわよ!」
「わわっ!」
 その横で、狐の耳と尻尾を生やした稲荷本来の姿になったタマモが叫ぶ。慌ててティ
ータも猫の耳と尻尾を生やし、スフィンクスの姿に変わると先ほどとは反対の腕で繰り
出された死肉人形の攻撃を俊敏にかわした。目標を外した拳の一撃はそのまま辺りを暴
れまわり、柱がへし折れ、壁が吹き飛び、破片がばらばらと舞う。
「ほんとむちゃくちゃよ! もう!」
 少女たちの声にも構わず、巨人は腕を振り回す。動き自体はさほど早くは無いものの、
圧倒的な質量差に受けることも出来ず、彼らはただ回避し続けるしかなかった。
「くそ、このままだとまずい! 攻めないと!」
「ええ!」
 回避の連発で息が上がり始めたアルティスが、焦燥の浮かんだ表情で言う。同じく額
に汗を浮かべた少女達も頷き、反撃に転じた。
「この……! これでもくらいなさい!」
 技も何もない力任せの攻撃を避けざま、タマモは得意の狐火を撃ち込む。
火球は一直線に飛び、死体で出来た巨人の顔面で爆発した。流石の巨人も至近距離での
爆裂衝撃には腐肉と汚汁を撒き散しながら、苦悶の呻きを上げる。
「いまだっ!」
「おっけー!」
 一瞬動きが鈍った隙を逃さず、アルティスとティータが突撃する。一足先に自分の間
合いまで到達したティータは闇雲に振り回される巨人の腕をかいくぐると、がら空きの
胴体に腕を振るう。獣毛に包まれた手に生えた鋭い爪が巨大な体を残光と共に引き裂い
た。
「うわ、ばっちい!」
 攻撃後、巨人の体を蹴って距離を離した少女は顔をしかめながら手を振って爪に付い
た汚汁を払う。
 その横を駆け抜けたアルティスは軽やかな身のこなしで巨人の体を足場に跳ね上がる
と大上段から剣を振り下ろした。
「これでも喰らえ!」
 裂帛の叫びと共に走る刃は巨人の肉をやすやすと切り裂き、胸元に深々と突き立った。
「どうだ!?」
 肉を断ち切る確かな手ごたえに、アルティスは叫ぶ。しかしそれに答えたのはタマモ
の悲鳴のような声だった。
「……! だめ、アルト、避けて!!」
 彼女の言葉を理解するよりも先に、青年の体を衝撃が襲う。何が起こったのか殆ど理
解できていなかったが、それでも意識を手放さなかったのは奇跡と言ってもよかった。
「アルト!」
「アルティス! 大丈夫!?」
 駆け寄ってきたタマモとティータが不安げな表情で青年を見つめる。その後ろにいま
だ荒れ狂うネクロゴーレムの姿を見、アルティスは自分が吹き飛ばされ、地面に叩きつ
けられたのだとようやく分かった。
「くそったれ……! 一発でこれか……」
「しゃべっちゃダメ! ひどい怪我よ!」
 悪態をつきつつ立ち上がろうとして、アルティスは激しく咳き込む。タマモが慌てて
その体を支えるものの、胸はずきずきと痛み、吐き出した中には血が混じっていた。頭
の辺りがぬるぬるするのを触ってみれば、手のひらは真っ赤に染まっていた。
 幸運なことにどうやら骨はどこも折れてはいないようだが、さっき喰らった一撃のダ
メージは予想以上に大きいようだ。
「ち……確かに手ごたえはあったんだが……。剣では死体相手じゃ分が悪い、か」
 忌々しげに言葉を吐き出しながら、アルティスは剣を握り締める。だがその力は弱弱
しく、かろうじて柄を持つことが出来ている、というレベルであった。
「やば、お姉ちゃん! あいつこっち来るよ!」
 ネクロゴーレムの様子を窺っていたティータが、焦った声で叫ぶ。
「く……! ティータ、幻惑!」
「分かってる! 今やってる!!」
 タマモの言葉に叫び返したスフィンクスの少女が短く詠唱すると、辺りに白く濁った
霧が立ち込めた。霧に視界を奪われ、敵の姿を見失ったネクロゴーレムが一瞬戸惑った
隙に二人はアルティスを抱え、物陰に身を隠す。
「これで少しは時間が稼げるかな……」
 アルティスの背を壁に寄りかからせながら、タマモが呟く。だがそれに答えたのは轟
音と建物全体を揺るがす衝撃だった。
「うわ、まずい! あいつあたし達を見失ってめちゃくちゃに攻撃し始めてるよ!」
 ティータの言葉に物陰からそっと顔を出したタマモも、その様子を目にした。攻撃対
象を見失ったネクロゴーレムは巨腕を振り回し、あたりのものを手当たり次第にぶち壊
している。柱や壁、床、天井までが巨人の振り回す腕に砕かれ、見る間に瓦礫と化して
いく。このままでは建物自体が数分と持たないだろう。
「くそ……。まずいな」
「く〜、死体の癖に無茶苦茶して〜! 死んだんならおとなしくあの世に行ってろって
のよ!」
「! あの世……あの世、ね……」
 暴れまわる死体製ゴーレムにせめてもの抵抗と悪態をつくティータの言葉に、タマモ
ははっとして何かを考え込む。
「……ちょっと、いい?」
 やがて何かを思いついたらしい彼女は、妹と青年の注意を引くと自らの考えた作戦を
口にした。
「……その方法が上手く行く、と?」
 タマモの説明を聞き終わったアルティスが尋ねる。それに彼女は頷くと、先ほどの説
明を簡単に繰り返す。
「あいつはゴーレムとはいえ、その素材は死体。もっと言えば、惨殺された人の怨念を
縛り、死肉に取り付かせて形にしているもの。言うなればこの世よりもあの世に近い存
在よ。なら、『門』を開いてあの世に送り返してしまえばいい」
「上手く行かなかったら?」
「終わり。あの死体人形と一緒に怨霊になるか、瓦礫に潰されるかってとこね。正直言
うと、私もこの術は使ったこと無いの。かかさまからそういう術法があるのは聞いてい
たけれど、『死』に直接触れるような術は、危険度が高すぎるから」
 タマモの言葉に、一同は沈黙する。
「……正直、分の悪い博打よね。でもそれ以外道は無いか。お父様達もこんなピンチ、
何度も乗り越えてきたって言うんだし」
「ああ、こんな所で死ぬわけには行かないからな」
 やがてやれやれと半ば開き直りながら口を開いたティータが立ち上がり、いまだ暴れ
るネクロゴーレムへと足を向ける。それに頷いたアルティスも剣を杖に立ち上がると彼
女の少女の隣に並んだ。タマモに振り返った青年は、いつも通りの無愛想な表情と口調
で少女に確認する。 
「『門』を開くのは、お前に任せていいんだな?」
 アルティスの言葉に頷いたタマモは、二人の身を案じながらも言う。
「ええ。無茶かもしれないけど、少しの間あいつの相手、お願いね」
「やるだけやってみるわよ。お姉ちゃんこそしくじらないでね」
「分かってるわよ!」
 軽口に叫び返す姉にくすりと笑みを浮かべると、ティータは物陰から飛び出す。すで
に幻惑の霧は効力をほとんど失い、薄れてしまっていた。ネクロゴーレムは飛び出して
きた人影をその虚ろな眼窩に捉えると、巨腕を振り下ろす。
「くっ、この! 無駄に馬鹿力なんだから!」
「まったくだ」
 床板を軽々とぶち抜く拳をかわしながら、ティータとアルティスは悪態をつく。めり
込んだ拳を引き戻す巨人の隙を逃さず二人はその肉に爪と剣を走らせるが、やはりそれ
ほどのダメージにはなっていないようだった。
「やはり焼け石に水か」
「アルティス! 左!」
 ティータの言葉に青年がその場から飛び退いた瞬間、空気を震わせて目の前を拳が通
過する。着地の衝撃に体が悲鳴をあげ、思わず膝を折りそうになったが、彼は歯を食い
しばって無理やり体を動かしてその場から跳び、襲い掛かる敵の攻撃をかわした。
 ちらりと視線を向ければ、目を閉じて一心不乱に何かを詠唱し続けるタマモの姿が見
えた。いつに無く焦りの混じる声で、無意識にアルティスは呟く。
「早くしてくれよ……!」
 その合い間にも、疲れを知らない不死の巨人からは鉄槌のような拳が振るわれ続ける。
一発でも喰らえばそこで終わりかねない攻撃の嵐の中をアルティスとティータは潜り抜
けながら剣と爪を振るい続けるものの、まるで相手を倒せる感触が得られないでいた。
「はぁ、はぁ……。嫌になるわね、まったく……!」
「くそ、これ以上は持ちこたえられないぞ……!」
 何度目かも分からない回避と攻撃の後、一瞬の空白時間にティータとアルティスはそ
ろっていまだ健在な敵の姿を睨みつける。額には髪が汗でべったりと張り付き、神経を
張り詰めた攻防に流石の二人も息を荒げていた。
 ティータとアルティスが限界に達しそうになったそのとき、どこか緊張した響きを持
つタマモの声が二人の耳に届いた。
「出来たっ! 二人とも、絶対にこっちを見ちゃダメよ!」
 その声と同時に、二人の背にぞくりとした感触が走る。振りかえろうなどという気は
微塵も起きなかった。一瞬で彼らを包み込む空気が冷え、まるでこの辺り一帯が現実か
ら切り離されてしまったかのようにすら感じられる。
「ヨモツヒラサカ、開門!」
 タマモの叫びと共に、突風が吹きぬける。魂までも凍らせるような冷気を纏った風が
頬をなでる感触に、二人は思わず身を強張らせた。
 その冷気、いや霊気はネクロゴーレムにも感じ取れたのか、巨体は動きを止め、紅い
火の灯る目が怯えたようにティータとアルティスの背後に向けられている。
 すべてが凍りついたかのような空間。その中でただ、タマモの声が響く。
「我が声に応え、来たれヤクサノイカズチガミよ。大雷、火雷、黒雷、拆雷、若雷、土
雷、鳴雷、伏雷……。 黄泉国、荒ぶる雷……死してなお、現世にその身を置く御霊、
在るべき場所へと導き給へ……」
 どこか現実感に乏しい響きのその声に応じ、ネクロゴーレムの周囲に八つの雷球が浮
かび上がる。
「あれは……!?」
 思わず呟くティータの目の前で、雷球はくるくるとゴーレムの周囲を回転しだした。
はじめはゆっくりと、次第に回転速度を増し、空間に紫電の軌跡を描きながら、雷の鎖
は死肉の巨人を取り囲んでいく。それとともにゴーレムの動きが鈍り、さらに雷球の回
転が増す。見る間にその巨体は完全に雷に縛られていった。
 そして、雷はゆっくり、本当にゆっくりとその巨体をティータたち、いや、その背後
のタマモの方に向けて引きずりこんでゆく。
 石像の様に硬直したままのアルティスとティータには、自分達の背後、そこに「何」
があるのかを確かめるすべはなかった。しかし、それまで恐怖というものとは全く無縁
の死肉人形が駄々をこねる子どものように激しく暴れだしたのを見るに、おそらく想像
すら出来ないものが口をあけているのだろう。
「……」
 アルティスとティータが絶句するその合い間に、雷に縛られた巨体が二人の側を通り
過ぎる。背後で巨人が戒めに激しく抗う様子が、震える空気から伝わってきていたが、
やがてその気配も消える。
「く……閉、門……!」
 苦しげにそう呟いたタマモの声が耳に届くと同時に、あたりにたち込めていた邪気が
薄れた。
「……終わった、のか?」
 それでもまだ緊張が解けずにいた二人は、背後で何かが倒れた音に思わず振り返る。
「タマモお姉ちゃん!」
「おい、しっかりしろ!」
 彼らの目に映ったのは、めちゃめちゃに壊れた建物の内装と、床に倒れ込む稲荷の少
女の姿だけ。わずかな間に全精神力を使い切ったのか、彼女の呼吸はひどく弱弱しい。
 そして、あれほど彼らを苦しめた死肉の巨人の姿は、影も形もなかった。ただ、横た
わる稲荷の少女の前の床に、まるで初めからそうであったかのように、ぽっかりと暗く
深い穴が口をあけているだけだった。

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「誘拐犯の一団はとりあえず全員捕まったみたいね。攫われた人たちも皆発見されたっ
て」
 廃屋での戦いから一日。場所は冒険者御用達の安宿の中の一室。ベッドの上に横たわ
る青年の脇で新聞に目を通していた少女が顔を上げ、言う。その頭には黄金色の毛に覆
われた猫の耳が生え、腰から伸びる尻尾が左右に揺れている。
「そうか。ひとまず『この事件は』解決、といったところか」
 体のあちこちに包帯を巻いた青年の言葉に、少女は頷き、手にした新聞をひらひらと
振る。
「そうみたいね。もっとも、あのじじいが捕まったとかは書いてないから、これで全部
終わりって訳じゃないでしょうけど」
「……そう、だな」
 少女の言葉に青年は考え込む。ギルドにはタマモ達が出会った、一連の事件の黒幕と
思しき老人のことは伝えておいたものの、結局その正体はおろか、足取りすらつかむこ
とは出来なかったのだ。
 それでも一応「今回の事件」について、ギルドは解決という声明を出してはいる。そ
うはいうものの……実際の所、ギルド上層部や領主達はすべてが解決したと楽観出来な
いでいるのが実情だった。
「その老人には俺もあった事があるから……只者ではないということは分かる。いずれ
また、敵として出会うことになるだろうな……」
 そこまで言って、彼は唇を噛む。
「なのにまだだ、まだ足りない。俺の力は……。あんな操り人形すら、一人じゃどうす
ることも出来ない。くそ、なんだって、俺は、いつも……」
 青年は唸るように呟き、胸元の包帯を掴む。あの戦いの後、稲荷の少女によって簡単
な手当てがされ、さらに街に戻ってからも治療を行ったおかげで怪我は数日もすれば回
復するとは言われたものの、こうしてベッドに横たわっているだけの時間はどうしよう
もなく自分の無力を思い知らされるようで、我慢がならなかった。
 そんな彼の頬に、不意に少女の唇が触れる。
「なっ!?」
 思わず体を起こした青年の間近に、ベッド横の椅子に座っていたはずの少女の顔がい
つの間にかあった。褐色の肌、整った顔の中で美しく輝く碧眼が彼をじっと見据えてい
る。
「そんなこといっちゃダメ。あなたが来てくれなければ、あたしたちやばかったんだか
ら。あなたはちゃんとあたしたちを助けてくれた。ね? 今はそれでいいじゃない?」
 囁きながら、猫の少女は彼の胸元に顔を埋め、その肌にそっと舌を這わす。温かいモ
ノが肌の上を撫でる感触に、彼は思わず声を漏らした。
「く……こら、やめろ」
「ふふ、舐められると感じちゃう? 気持ちいい?」
 妖しげな光を宿した瞳が上目遣いに青年を見つめる。ふかふかの毛に包まれた手が肌
の上に置かれ、そっと表面を撫でる。それがくすぐったいような、心地よいような感覚
を与えてきた。
 無意識に震える体を目ざとく見て取った少女が、楽しそうに何度も何度も肌を撫でる。
「なんか、かわいい。ね? もっと気持ちよくしてあげてもいいんだよ?」
 耳に息を吹きかけながら、少女が囁く。華奢な女の子の体を押し返すことなど簡単な
はずなのに、まるで自分の体が自分のものでなくなってしまったかのように、青年は腕
を上手く動かせなかった。
「どうする? やめる? このままだと、しちゃうよ?」
 青年の抵抗が無いこと、それを自らの行為への肯定ととった少女は、柔らかな獣毛を
持った手の片方を彼の頬のあて、もう一方をゆっくりと、青年の下半身へと這わせてい
く。胸元、お腹……そして、その手は彼の股間に達しようとする。
「ダメ――――――ッ!!」
 ついにそこへと手が触れそうになったその瞬間。大気を震わす大音声が室内に響き渡
った。
「はぁ、はぁ……、あ、危ない所だった……!」
 荒い息を吐き出しながら、室内に乗り込んできた稲荷の少女――タマモは、青年――
アルティスに跨ったままで思わず耳を押さえるスフィンクスの少女――ティータの眼前
に指を突きつける。
「あなた! 姿が見えないと思ったら朝っぱらから何やってんのよ!」
「何って……。彼とのスキンシップ」
 視線だけでドラゴンすら殺せそうなほど強く睨む狐の少女に、平然となんでもないこ
とのように返す猫の少女。その妹の態度に、さらに顔を紅く染めたタマモは叫ぶ。
「どこがスキンシップよー! 今思いっきり淫行に及ぼうとしてたじゃないの! そも
そも……なんで! あなたが! ここにいるのよ!」
「何でって言われても……ほら、あたしこの街で住むとこないし? 折角だからアルテ
ィスのとこに厄介になろうかなって思って」
「厄介になろうかな、じゃなーい!」
 真っ赤な顔で吼えるタマモに、いたずらっぽい表情を浮かべたティータは続ける。
「それにやっぱりアルティスって気になるし? 乙女のピンチに駆けつけたりとか、戦
いの時はあんなに勇敢なのにその実内面は繊細だったりとか」
「ちょっと! 『気になるし』じゃないわよ! 人の想い人にちょっかい出さないでよ
ね!!」
「いやよ。いくらタマモお姉ちゃんでも譲れないわ。人の恋路に口出ししないで欲しい
ってのは、こっちの台詞よ」
 完全にヒートアップした二人は当人の目の前だというのを忘れ、至近距離でにらみ合う。
「何が恋路よ! だいたいね……恋愛なんてあなたにはまだ早いわよ!」
「あら、そんなことは関係ないわ。好きになったら手段を選ばず一直線。お母様だってそ
ういってたもの。それにあたし、本気よ?」
 そういうや否や、ティータは姉の一瞬の隙を突いてアルティスに口づけした。目の前で
何が起こったのかわからず、一瞬呆然としていたタマモだったが、目にした光景を脳が理
解すると、烈火の如く怒り出す。
「な、なな、な……!! 何かましてるのよー!! ティータ、ちょっとこっち来なさい!
お姉ちゃんあなたとはちょっとじっくりお話しないといけないみたいだから!」
「いやよ! 悔しかったらお姉ちゃんも頑張ればいいじゃない!」
「くうう〜〜〜、何をえらそうに……! 今日という今日は、お姉ちゃん怒ったからね!」
 顔を真っ赤にしたままのタマモが床を蹴ると、にやにやとしたままのティータに跳びか
かる。姉の攻撃を妹がひらりとかわすと、室内を舞台にした壮絶な鬼ごっこが始まった。
「おい、じゃれあうなら外でやれ」
 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を呆れた目で見つめながら言うアルティスだったが、その言葉
は当然のように無視される。
「これからよろしくね? アルティス?」
 その合い間。掴みかかる姉の手を華麗に交わしながら、ウインクをする妹に軽い頭痛を
感じながら、アルティスは溜息をつくのだった。

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第三話 「死人操り、気まぐれ猫」 おわり


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