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 闇が空間を支配する、暗い室内。人一人がすっぽり入れるくらい巨大なガラスの円筒形
をした装置や、何に使うのかも分からない異形の金属の塊など、部屋のあちこちには大小
様々な機械が置かれている。それらからは部屋のいたるところへ細いケーブルが延び、機
械同士を繋いでいた。闇が凝る壁際には実験器具の詰まった戸棚が置かれ、機械に埋め込
まれた様々な色のLEDが輝き、さながらイルミネーションのように幻想的な光景を作り
出す。何かの研究室、あるいは実験室を思わせる空間の中、途切れることなく低く唸るよ
うな機械の稼動音が、不気味に空気を震わせている。
「…………」
 部屋の中、椅子に座った女性が目の前のデスクに置かれたモニターをじっと凝視する。
科学者か、医者が着るような白衣を纏った女性を照らすモニターの光の中には、無数の数
字やグラフといったデータが次々と表示されていた。無数の文字や数字が浮かぶ画面上を
女性の視線が滑る。
「ふむ……まだまだデータが足りないかしら……?」
 椅子の背もたれに体重をかけ、彼女が呟く。顎に手をあて、軽く息を吐き出すと女性は
デスクに手を伸ばし、机上に置かれた小さな物体を取る。視線は画面からそらさないまま、
彼女はそれを手の中でくるくると回し、弄んだ。
 不意に、室内に自動ドアの開く音が響き、光が差し込む。
「まったく、明かりくらいつけたらどうなんだい? まあ、あたしたちには光よりも闇の
方があっているのかもしれないけれどね」
 ヒールが鳴らす甲高い足音と共に、声が響く。研究室に入ってきたのは、一人の若い女
性であった。
 だが、その姿は暗がりの中でも一目で異様だと分かる。すらりとした、まるで肉食の獣
を思わせる体つきの女。その銀色の髪から覗くのは、大きな獣の耳。腰からは長い尻尾が
伸び、左右に揺れている。長い身体にぴったりとフィットする、布面積の小さなレオター
ドがモニターの放つ光を受けて、艶かしくきらめいた。
「何か面白いことでも考えているのかい? ドクトレス」
「まあ、そんなところね。システム自体は完成したとはいえ、Fユニットはまだまだ実験
不足。貴方たち用の特別品はともかく、麗人を量産するためにはもっと実証実験を行って、
調整しないと」
 獣人の女性にドクトレスと呼ばれた人物は、視線を彼女に向けることすらなく、そう返
すと椅子に座ったままじっとモニターを見つめる。その様子に獣人がやれやれと肩をすく
めた。
「まあ、何でもいいけれどね。何か楽しめそうな作戦をやる時は、あたしにも一口乗らせ
てちょうだいよ?」
「ああ、分かっているともさ」
 ドクトレスの言葉に、獣姿の女性の気配が離れる。再びドアの稼動音が響くと、研究室
には白衣の彼女一人が残された。
「さて、誰かいい素体はいないものかな……?」
 ドクトレスは先ほど自身が「Fユニット」と呼んだ、手の中の物体をデスクに置く。正
八面体をしたクリスタルのような物体がモニターの放つ光を受けて、輝いた。彼女はそれ
をちらりと一瞥すると正面のモニターに向き直り、キーボードを操作し始める。
 しばしの間、女性がキーを叩く小気味よい音が室内に響き渡った。最後にタン、とエン
ターキーを押すと、画面上に彼女の部下達や組織が今まで収集した人物のデータが次々と
流れていく。
「…………」
 ドクトレスは表示されるデータを鋭い目で見つめ、書かれた情報を分析していく。その
瞳は研究者と言うよりも、まるで獲物を見定める獣のように思えた。
「ふむ。この子、よさそうね」
 ドクトレスの指がキーを叩き、次々切り替わる表示を停止させる。彼女の見つめる画面
には、一人の少女の詳細なデータが映し出されていた。画面内には、どこか気弱げな瞳の
女の子の写真が映り、その顔が彼女を見つめている。
「ふふ……貴女は心にどんな隙間を持っているのかしら? どんな望みを持っているのか
しら? どんな姿を夢見るのかしら? 叶えてあげるわよ? もちろん、代価はいただく
けれどもね……。そう。まだ、これにも改良の余地が残されているし……いいデータを取
らせて頂戴ね?」
 画面に映る少女に語りかけていたドクトレスは、どこか妖艶な笑みを浮かべ、手に持っ
た装置に視線を落とす。傷一つ無いつややかなクリスタルの表面が、妖しい光を放ったよ
うに見えた。

――――――――――――――

 とある地方にある市。その規模は大都市と言い張れるほどは大きくもなく、かといって
貧相と言われるほど小さくも無い。オフィス街があり商店が立ち並ぶ繁華街があり、道を
沢山の人や車が行き交い、日々を暮らしている。
 その市には他の市や町と同じように、中心部には駅があり、多くの建物が並んでいる。
そして、そこから離れた場所にこの市で暮らす人々の居住が数多くひしめく一角がある。
 静かな住宅街の中には、そこだけこんもりと周囲より盛り上がった小高い丘があり、そ
の上には昔から小さな神社が建っていた。この市の住人以外は、いや、この市に暮らすも
のでさえ知らないものもいるのではないかと思えるような小さな神社ではあるが、実際は
古くからこの住宅街に住む人の心を支え、また信仰に支えられて歴史の中、長きにわたり
街と人々を見守ってきていた。
 丘の斜面にのびる長い石段を昇ると、朱の鳥居がどっしりと構えている。その下をくぐ
れば、石畳の道のわきを玉砂利で敷き詰めた庭と、古ぼけてはいるがしっかりとした造り
の神社の建物が目に入るだろう。
 その鳥居の根元、一人の少女が箒を持ち、地面を掃いている。白い衣に緋色の袴。黒く
長い美しい髪をかすかな風に揺らし、乱す。そのたびにちょっと困ったように手で押さえ
ていた。
「……はぁ」
 巫女の装束を纏った少女は箒を動かす手を止め、溜息を一つ吐き出す。やや垂れ目がち
の優しげな瞳。その表情が沈むのを見れば、誰もが心配するような愛らしい少女であった。
 少女は名を「葛葉 珠音(くずは・たまね)」という。その身に纏う衣装の通り、彼女
はこの葛葉神社の娘、そして巫女である。
 彼女の実家、葛葉神社は有名な神社と比べれば流石に小さいながらも、歴史ある神社の
ため、参拝する人は意外と多い。また、古いだけに伝統ある神社らしく、他の神社や地域
との結びつきも強かった。そのため神主である父はしばしば町内会の会合や、時には遠方
の神社同士の会議などにも顔を出している。母を早くに亡くした葛葉家にとって、そんな
ときの留守を預かるのも、彼女の役目だった。
「大切な役目だって、分かってるけど」
 とはいえ、少女は一人での留守番が苦手であった。別に神社やそのお勤めが嫌いなわけ
ではない。ただ、人見知りが激しく内気な彼女にとって、参拝客の対応などをたった一人
でこなさなくてはならないという留守番はかなりの苦痛なのだった。さっきも参拝にきた
客がいろいろと話しかけてくれたが、彼女は気のきいたことを何一つ言えず、しどろもど
ろになってしまったくらいである。それも、珠音には別段珍しいことではなかった。
「お父さん、早く帰ってこないかなあ……」
 そうぽつりと呟いたものの、昨日家を出発した父は、今回の出張は泊り込みの長いもの
になるといっていた。何でも、遠縁の神社からのお呼ばれらしい。兄弟姉妹もいない彼女
にとって、今週は一人ですごさなければならなかった。
 救いは今が神社の祭りの期間でないことだ。ただ、訪れる人はそこまで多くは無いとは
言え、ゼロではない。留守を預かる以上、自分がしっかりしなければと少女は箒を握り締
めた。そしてまた、庭の掃除を始める。
 そんなときであった。うつむき石畳の上に散らばる葉っぱを見つめて箒を動かしていた
少女に声がかかる。
「おっす、葛葉」
「あ……。こ、こんにちは……斎木くん」
 まだ年若い、少年の声が鳥居の先から響く。顔を上げた少女の目に、階段を駆け上がっ
てきたらしい、やや赤みがかかった茶髪の少年が姿を見せる。珠音を見つけ、にかっと笑
顔を見せるその表情にはまだまだ子供っぽさが残っていた。元気いっぱいのいたずら小僧
のような彼の顔を見た瞬間、少女の頬がかすかに染まる。
「毎回石段使わせてもらって悪いな。やっぱり基礎体力はつけなきゃと思ってさ」
 そういう少年の格好はジャージ姿で、額には珠の汗が浮かんでいる。彼はこの神社まで
続く長い石段の上り下りをトレーニングのメニューにしているらしかった。
「今日もおつとめか? えらいな」
「そ、そんなこと、ない……」
 箒を握った少女に向かって歩み寄りながら、少年、「斎木 真夜(さいき・しんや)」
は片手を上げた。
「相変わらず、その服似合ってんな」
 巫女装束を纏う珠音の格好を頭のてっぺんからつま先まで見つめ、腕組みした少年はう
んうんと頷く。その言葉に巫女の少女は顔を真っ赤に染め、うつむいた。
「…………あぅ」
 箒をぎゅっと握り締めたまま、小さな声がもれる。顔を上げることもできず、ただもじ
もじと身体を震わせる少女は、目の前の少年がこちらをにこにこと眺めている気配だけを
感じていた。何か気の聞いた言葉を、いやせめて褒めてもらったお礼の一言でも言わなき
ゃ、と珠音は思うのだが、口からは「あ」とか「う」いった音が漏れるだけだった。
 少年の気配が、不意に遠ざかる。
「悪い悪い、ちょっとからかいすぎたかな。んじゃ、俺はもう行くよ」
「あ…………」
 思わず残念そうな声が少女の口から漏れる。しかし、そのときには既に少年は珠音に背
を向け、石段を下り始めている所だった。彼女は真夜の背に声をかけることも出来ず、た
だ視界から消えていく姿を見つめるだけであった。
 少女はしばし、少年が立ち去った後の石段をぼんやりと見つめる。うつむき、長い溜息
をつくと彼女はポツリと呟く。
「……何でわたし、いつもこうなのかなあ」
 自分の耳にのみ届く言葉が何度も頭の中で反響する。小さな頃から今に至るまで、彼女
の性格はちっとも変わっていなかった。自分を出すことが苦手で、いつもただ黙っている
ばかり。学園でも自分から人に声をかけたことなどほとんどなく、親しい友人も数えるほ
どしかいない。
「このままじゃいけないよね」
 そう、いつも自分に言い聞かせてみるものの、珠音の内気な性格がそうそう簡単に変わ
るはずもなかった。努力の大体はこうして上手く行かず、彼女は溜息をつく回数だけを増
やしていったのだった。
 でも、本当にこの性格は何とかしなくてはいけない。何せ、せっかく彼の方からここに
来てくれたというのに、自分ときたら気のきいたおしゃべりはおろか、まともな挨拶をす
ることすらろくに出来ないのだから。
 彼女、珠音の実家である葛葉神社にクラスメイトの真夜がよくやって来るようになった
のはしばらく前からだ。今日のように日曜日には決まって、彼は石段のぼりのトレーニン
グといって神社までやってくる。最初珠音はクラスメイトとはいえ、学園ではあまり話し
たことのない少年が突然現れたことに驚いた。だが、クラスでの評判の通り明るく社交的
な彼と何度か顔を合わせるうち、彼女もそれなりに慣れた。それと同時に、内気な自分に
はないものを持つ彼に惹かれていったのである。
 とはいえ、いまだまともに会話を出来たことは数えるほどしかなかったが。
「こんなんじゃ、斎木くんに……。ううん、だめだめ。弱気になっちゃ」
 ぶんぶんと首を振ると、珠音は箒をぎゅっと握り締める。うつむいていた顔を上げ、小
さな雲がいくつか浮かぶ青空をじっと見つめると、決意を固めるように言葉を発した。
 今度彼が来たときはもっとちゃんとお話しよう。そして、いつかきっとちゃんと自分の
想いを伝えよう。
「でも……」
 そのとき、彼はなんていうだろうか。いやそもそも、自分はちゃんと想いを伝えられる
ようになるんだろうか。
 そんな小さな、しかし消せない疑念が心の片隅にいつまでも残っている。巫女姿の珠音
は浮かない顔で、また溜息をつくのだった。

 沈む巫女服の少女を、離れた所から見つめる瞳がある。神社を取り囲む木々の影に隠れ、
瞳の持ち主の姿は先ほどから影のように大樹に寄り添う。そのため、じっと見つめられて
いたにもかかわらず、珠音たちはその視線に全く気付かなかった。そもそも、彼女からは
観察者の姿は全く見えなかったのだ。
 溜息をついた少女が背を向けたのを認めると、その人物は音もなく姿を笑わす。それは、
かっちりとしたスーツを纏った、珠音や真夜たちより年上の女性であった。
 切れ長の目に、どこか妖しげな空気を纏った女性は珠音を見つめるとくすりと微笑む。
 彼女は先ほど、珠音が掃除を始める前からずっとこの神社を、いや、性格には巫女の少
女を監視していたのだった。二人のやりとりと珠音のぼやき、その一部始終を見ていた人
影は面白そうに呟く。
「ふふ……お悩みのようね。ちょうどよかったわ」
 その一瞬、かすかに瞳に浮かんだのは、期待。まるでこれから、自らが手がけた映画の
始まるのをいまかいまかと待ち望んでいるようにも見えた。
「さて、それじゃあ幕を開けましょうか。とても楽しい、夢のような、ね」
 言葉と共に、薄暗い林の中、その暗がりに溶け込むように女性は姿を消す。後にはただ、
風にそよぐ木の葉のざわめきだけが響いていた。

 しばし、うつむき溜息をついていた珠音は耳に届いた足音で顔を上げた。もしや彼が戻
ってきたのだろうか。心のうちに期待が膨れ上がったが、それはすぐに萎むことになった。
 珠音の前に姿を現したのは、黒いスーツを纏い、髪をアップにまとめた女性であった。
一見やり手のキャリアウーマンにも見える彼女は、神社というこの場所においては場違い
に思える。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
 鳥居をくぐり、珠音に向かって歩いてくる女性は笑顔を浮かべて挨拶の言葉を発する。
掃除の続きをしていた珠音はその笑顔、そして彼女の持つ雰囲気にどことなく胡散臭さを
感じ取った。戸惑いながらも少女は箒を動かす手を止め、頭を下げる。
 訪問販売かしら。訝しげに見つめる巫女の視線を受けた女性は、薄い笑みをうかべたま
ま珠音に話かける。
「貴女お一人?」
「え、ええ。あの、セールスの方ですか? あいにく、父は出払ってまして」
 セールスならお引取り願わないと、と思い口を開いた珠音にスーツの女性は首を振る。
「ああ、違うわ。私は、貴女に用があるの」
「わ、わたしに、ですか?」
 意外な言葉に、少女は思わず聞き返す。女性は頷くと、珠音の顔を見つめた。
「ふふ……そう。貴女、何か悩んでいるのでしょう?」
「えっ……なんで、そんな」
 胸のうちを言い当てられ、珠音は思わず聞き返す。女性は彼女の反応を見、にやりと口
元を歪めた。どこか妖しげなその微笑にも、虚をつかれた珠音は気付かなかった。
「やっぱりね。ああ、心配しないでいいのよ。私は貴女の味方」
「あ、あの、味方って……」
「ええ、そうよ。悩める女の子の力になってあげたいと思ってね」
「は、はぁ」
 女性はまるでそれが当然のこととでもいうかのように、言葉を紡ぐ。決して押し付ける
ような調子ではなかったが、珠音は既に彼女の話術に引き込まれてしまっていた。混乱し
た頭で曖昧に頷く珠音に、女性はポケットから何かを取り出す。珠音の手を取ると、彼女
は何かを握らせた。
「あの……これは?」
 手のひらに載ったものを見つめ、顔を上げた珠音が訊ねる。
 女性が珠音に渡したものは、手のひらにすっぽりと包まれるくらいの大きさの、透き通
った緑色の玉だった。一見ビー玉のようにも見える玉は瑕一つ無く、珠音の手にひんやり
とした感触を伝えてくる。
「お守りよ。きっと、貴女の望みを叶えてくれるわ」
 女性は巫女の少女を見、にこりと笑む。
「で、でも……あの、わたし……」
「お金なら心配しないでいいわ。言ったでしょう? 私は貴女の味方」
 女性の顔と手の上の玉を交互に見つめ、不安げな声を出す少女に、彼女は言う。それで
用は済んだとばかりに、珠音に背を向けると石段へと向かって歩き出す。
 声をかけることも出来ず、手渡された玉を持ったまま、ただ呆然と立ち尽くす巫女に女
性は一度振り返る。ちら、と珠音の顔を一瞥し、誰にも聞こえないようなかすかな声で呟
いた。
「そう、貴女の望みは叶うでしょう。ただ、私も楽しませてもらうけれどもね」

――――――――――――――

「う〜ん……」
 珠音は、布団の上にうつぶせになりながら、歯切れの悪い声を漏らした。首を向けた先
には昼間、妖しげな女性から貰った玉が、枕の脇に置かれている。
 時刻は既に夜の8時過ぎ。珠音は、畳張りの自室に戻り昼間のことをぼんやりと考えて
いた。神社の仕事を終えたあと、考え事をしていた彼女は着替えをすることも忘れていた
ため、夕食の時から衣装はいまだ昼間と同じ、巫女の装束を纏ったままである。神社で育
った彼女にとって、巫女服は普段着と同じくらい着慣れているので、違和感は無かったの
だ。
「……ふぅ。結局今日もまともにお話できなかったな……」
 布団に横たわり、まず頭に浮かんだのはクラスメイトの少年、真夜のこと。その顔を思
い浮かべるだけで胸の鼓動が早まり、珠音は頬を染めた。
「やだ……」
 呟き、枕に顔を埋める。
「今度来てくれたら、ちゃんとしないと」
 決意を口にしてみるものの、それが実現できるかどうかは当人にも分からなかった。な
ぜか葛葉神社によく顔を出す彼だが、そもそも今まできちんとした会話が成り立った記憶
が無いのだから。
「うう……情けないよぉ……」
 本当に情けない。毎回決意だけはするものの、結果に結びついたことは無かった。
「そういえば、昼間の女の人はなんだったんだろう」
 昼間、神社にやってきた女性を思い出す。初めて見る顔だった。そのくせ、自分が悩ん
でいると一目で見抜き、力になってくれるとまで言った。正直、訳が分からない。
「望みを叶えてくれるって言ってたけど」
 呟き、玉を見つめる。エメラルドのように透き通った美しい碧色の石が、電灯の光を受
けて輝いている。よくあるおまじないグッズの一つなんだろうか。
 だがそれにしては、この玉が持っている雰囲気はどこか不思議だ。パッと見ただけでは
それこそビー玉のようにしか見えないのに、じっと見つめているとその輝きに引き込まれ
そうになる。
 手を伸ばし、置かれた玉を取る。身体をごろんと動かし、仰向けになった彼女は石をつ
まんでかざし、見つめる。彼女の指先に冷たい感触を伝える石は、静かに煌いていた。
「ふぅ……。ほんとに、変われればいいのに。自分の気持ちも口に出来ない、臆病な女の
子じゃなくて。もっと、可愛くて魅力的な子に」
 呟きが口から漏れる。それは以前からずっと彼女の心の底にあった願いだった。石の放
つ不思議な輝きに惑わされたかのように、思わず言葉が口をついて飛び出たように思えた。
 その瞬間、変化が起こった。

 きぃーんという甲高い音が、部屋に響き渡る。びくりと震え、身体を起こした珠音はす
ぐに音の出所がどこか分かった。思わず握り締めていたあの石だ。おそるおそる手を開く
と、そこには輝き、小刻みに揺れる玉があった。
 玉は先ほどまでのように、外からの光を受けて輝くのとは違っていた。球体の内部から、
ぼんやりと光が滲み出している。その光には、不思議な力が感じられた。
「な、なんなの?」
 怯える珠音が呟いた瞬間、光が一際強さを増す。同時に、何かが割れるようなかすかな
音が響き、彼女の手にちくりと痛みが走った。
「いたっ……」
 身体がぴくりと震える。一体何が、と思い手のひらに視線をやった彼女は一瞬の後、目
を大きく見開いた。
「な、なに……これ……」
 彼女の右手の中にあったはずの緑色の石は、いつの間にか消えていた。かわりに玉を握
っていた場所からは、皮膚の上に銀色の細い線が何本も浮かんでいる。所々で折れ曲がり、
枝分かれして走る線が模様を作る姿はまるでコンピューター基盤のように見えた。
「や、やだぁ……」
 手近な所にあった布を取り、ごしごしと手をぬぐう。しかし、描かれた模様はちっとも
落ちはしなかった。どころか、線は意思を持っているかのように蠢き、手から伸び始めた。
慌てて袖をまくると、腕、肩、胸とどんどん彼女の身体にラインが広がっていく様子がは
っきり見えた。
「ひ……」
 その光景に、彼女の心に言いようの無い恐怖が浮かび上がった。その間にも銀色のライ
ンは首から顔、服の下では胸から左腕、腹、両足へと広がっていった。
「あ……、いや、やめて……、お願い」
 涙を浮かべ、懇願する珠音の声をあざ笑うかのように、伸び続ける銀線は彼女の身体に
浮かび上がり、隅々まで侵略する。全身に銀の線による機械的な模様が描かれると、一瞬
それらが光を放つ。
「あ、ああ…………あぁ」
 全身に線を浮かび上がらせた異様な姿を見、少女はうずくまったまま怯え震え続ける。
「たすけて……たすけて……」
 直後、彼女の身体がびくんと跳ねた。同時に、頭とおしりの辺りにむずむずとした違和
感が生まれる。涙をこぼしながら腰に目をやると、穿いた袴が膨らんでいるのが見えた。
何かが布地を持ち上げているらしく、ふくらみはどんどん大きくなっていく。反射的に服
をずらした彼女は、目にした光景に悲鳴を上げた。
「…………い、いやああああああああああああああぁぁっ!!」
 布地の下にあった彼女の肌には手足と同じように銀のラインが浮かんでいたが、それだ
けではなかった。腰の辺りからは大きな何かが生えだしている。そう、まさにその通り、
肌から直接生えているのだった。赤みがかかった茶色と、先端の白い色がまるでキツネの
尻尾のような印象をもたらす物体だ。だが、色と形こそキツネの尻尾そっくりであるが、
本物とは違い毛は生えていない。その表面にはやはり機械的なディティールが見えた。し
かも、それは一本だけではない。彼女の目の前で次から次へと生え出し、最終的には9本
もの大きな尻尾が現れた。
「う、うそ……こんなの、うそでしょ……」
 思わず手を尻尾の一本に伸ばすと、低反発枕のような柔らかな感触と、自分の一部に触
れられたという感触が返ってきた。珠音は目にしたものを信じたくなかったが、新たに身
体に生まれた器官の感覚は、残酷なまでにこれが現実だと伝えてくる。
 さらに、頭部の違和感が強まる。震えながら手を当てると、皮膚の下で何かが蠢いてい
るようだった。直後、手を押しのけるように何かが髪から飛び出す。
 慌てて鏡に顔を映すと、見慣れた自分の顔の上、白い縁取りがなされたオレンジ色の三
角形が、まるで動物の耳のようにぴょこんと頭から生えていた。その耳も、細かなライン
が走り、やはりどこか機械のようなディティールを持っている。
「な、なんなの……どうなっちゃったの……」
 鏡の中の少女が涙をこぼす。いつの間にか身体を覆うような銀色の線は消えていたが、
代わりに頬にはオレンジ色の三角形が描かれていた。瞳も、よく見るとまるで精密な機械
のように、先ほどの石と同じ美しい碧色のカメラアイのようになってしまっている。
 さらに、変化は珠音の身体だけでなく、身に纏う衣装にまで及んだ。先ほどと同じよう
に銀色のラインが彼女を包む巫女衣装に走ると、その形を変えていく。
 まず、上着の丈が短くなり、おへそが露になる。両袖はふくらみ、ゆったりと腕を覆っ
た。左右の袖口には各一つずつ、丸い宝石のような部品が埋め込まれている。緋袴はする
すると短くなり、白い縁取りがされた紅い鎧のように腰の周りを覆った。逆に足袋はオー
バーニーソックスのように伸び、太ももの半ばまでを覆う。それらの表面にも、細かなラ
インが走った。
 それらの衣装は硬い機械のようにも柔らかな布地のようにも見える不思議な質感だった。
珠音の口からは最早驚きの言葉すら漏れず、変わっていく装いをただ呆然と見つめていた。
もうなにがなんだかさっぱり分からない。それも当然であった。変な女性から渡された変
な石を握ってたら、自分も変な格好になってしまったなんて、理解できる方がどうかして
いる。
 やがて、彼女はのろのろと歩き出し、布団の上にへたり込む。改造巫女服とでも言うべ
き自分の衣装と、腰から生えた尻尾を見つめ、うなだれた。
「ど、どうしよう……こんな格好、誰にも見せられないよぅ……」
 瞳からはぽろぽろと涙がこぼれる。誰かに相談しようにも、自分の身に起こったことを
信じてもらえそうに無い。そもそも今の自分の姿を見られただけで恥ずかしくてどうにか
なってしまいそうだ。
 珠音は座り込んだまま、しばし声も出さずに泣き続ける。
「あらあら、どうしたの? かわいい女の子が泣いちゃだめじゃないの」
「っ!」
 不意に響いた声に、彼女は驚いて顔を上げた。今この家には自分しかいないはずだ。そ
れに、なんだか声に聞き覚えがあるような気がする。
 振り返ると、いつの間にか部屋の隅には一人の女性が立っていた。彼女は昼間、珠音の
前に現れた女だ。
「あ、あなたは……」
 しかし、その姿は昼間とは全く異なっていた。顔の半分には妖しげな仮面をつけ、SF
映画の登場人物のような、金属光沢を持つ衣装を纏っている。変化した珠音の巫女服とデ
ザインこそ違うものの、全体的な雰囲気はどこか似通っていた。
「ああ、さっきは名乗らなかったかしら? 私はエヴィルゴッデス(EG)団の一員、
『ドクトレスアダマン』。ドクトレスと呼んでくれればいいわ」
「EG団? ドクトレス?」
「そうよ。ふふ、素敵な姿になったみたいね」
 仮面の下の女の瞳が輝く。その言葉に、珠音は女性にすがりつき、涙をこぼしながら懇
願した。
「いやぁ……こんなの、やです……。お、お願い、元に戻して……」
「どうして? 似合ってるわ。それに、貴女は自分を変えたかったのでしょう?」
 女性は珠音から身を離す。少女は畳に両手をつき、うなだれた。
「でも……こんな格好じゃ……」
「あら、何がいけないの? 可愛いわよ。ほら」
 いつの間にか珠音の背後に移動したドクトレスが彼女の肩を抱き、壁の姿見に身体を向
ける。そこには、先ほども見たキツネ耳と尻尾のような部品を生やし、巫女服風の衣装を
纏った女の子が映っていた。
「……ううぅ、やっぱり変です」
「そう自分を卑下するものではないわ。とても魅力的よ。こんな素敵な姿を見たら、想い
人もきっと貴女の魅力に抗えないでしょうね」
 思わず目を伏せそうになった珠音の耳元にドクトレスが囁く。珠音はその言葉に顔を上
げ、ドクトレスを見つめた。
「ほ、本当ですか?」
「ええ、嘘じゃないわ。今の貴女は素敵よ。ほら、もっと自信をもちなさい……」
 まるで魔法のように、言葉はするりと珠音の脳に浸み込んでいく。ドクトレスの言葉、
一言一言が耳に届くたびに、珠音の目から光が消えていった。
「わたしが、素敵……わたしが……」
 ドクトレスはぶつぶつと呟く珠音を見下ろしながら、懐から金色に輝くサークレットを
取り出すと、彼女にそっとかぶせる。中央に埋め込まれた碧の宝石が輝くと、珠音の身体
がかすかに震えた。
「ええ、そうよ。内気な貴女はもういない。貴女の魅力には誰も抗えない。さあ、あなた
の力を皆に見せてあげなさい。強く、美しく生まれ変わった貴女の姿をね」
「はい……」
 こくりと頷いた珠音は、顔を上げる。いつの間にか彼女の目はツリ上がり、妖しい魅力
を放つ紫のアイシャドウが引かれていた。いつもおどおどしていたおとなしそうな顔には、
自信がみなぎり妖艶ともいえる微笑を浮かべている。
 そんな珠音の顔を見、ドクトレスは満足げに頷いた。
「ふふ……そう、すごくいいわ。貴女はたった今、私たち栄えあるEG団の一員として生
まれ変わったのよ。そう、EG団の麗人、『キュウビミコン』にね」
「キュウビミコン……素敵な名前です。ありがとうございます」
 恭しく頭を下げるキュウビミコンに、ドクトレスは微笑む。
「いいのよ。私は貴女の望みをかなえるお手伝いをしただけ。さあ、これからどうすれば
いいのかは……分かってるわね?」
「はい。このキュウビミコン、EG団の忠実なシモベ、麗人として必ずご期待に応えてお
見せします」
 すっくと立ち上がり、胸に手を置いて珠音だった少女が言う。その姿を見つめ、ドクト
レスは邪悪ともいえる笑みに口元をゆがめた。

――――――――――――――

「う〜ん……」
 通学路を学園に向かって歩きながら、真夜は腕を組み、悩んでいた。
「なんか妙なんだよなあ。葛葉」
 呟き、思い浮かべるのは自身が密かな想いを寄せる女の子、葛葉珠音のこと。いつもお
となしく、あまり自分を出さないが、可憐な魅力を持ったクラスメイトの女の子。いつだ
ったか、たまたま暇つぶしに顔を出した神社の祭礼で、白妙と緋色の衣装を纏い、神々し
い光を纏って神楽を舞う姿を見たときから、彼の心は彼女の虜になっていた。
 それからというもの、気付くと真夜は珠音の姿を探していた。自主トレと称して神社の
階段を登り、彼女に会いに行くこともしばしばだった。
 いつか告白しよう、と心に決め、何度もその機会を窺っていたが……結局はいつも冗談
めかして逃げてしまうのだった。我ながら情けないと心の中で愚痴る。
「と、今はそんなこと考えてる場合じゃないな」
 頭を振って思考を戻す。先ほどから彼が考え、心の中から消えない疑念は、ここ数日の
珠音の様子であった。
「妙に明るくなったっていうか。なんだか、人が変わったみたいっていうか」
 そうなのだ。2、3日前から珠音は急に明るく、社交的になった。それまでの内気な性
格とはうって変わって積極的にクラスメイトたちと話すようになり、友達も増えたようだ。
 今まで彼女のことなど気にもかけていなかった男子連中も、最初こそ彼女の変わりよう
に驚いたものの、すぐにその魅力の虜になってしまったらしい。休み時間ともなれば、珠
音の周りに男女の区別なく人が集まっているくらいである。
「明るくなったってのはいいことなんだろうけど。なんつうか、あんまりにも急すぎるん
だよな。どこか、不自然っていうか」
 独り言を呟きながら、真夜は校門をくぐる。周囲のあちこちでは生徒たちの挨拶やおし
ゃべりが聞こえていたが、考え込む彼の耳はそれらを聞き流していた。
 確かに、珠音は内気な自分の性格が好きではなかったはずだ。だから、なんとか自分を
変えたいと思っていたのは彼も気付いていた。そして、努力しようとする彼女を素敵だと
思ったのだ。
 だが、それにしてはあまりにも変化が急すぎる。いくらなんでも、人の性格があそこま
で短期間に変わってしまうことなんてあるのだろうか。もし、あるとしたらいったい何が
原因なのだろう。
「だめだ、さっぱりわかんねえ。かといって、何があったんだなんていきなり当人に訊く
のもどうかと思うしなあ」
 考えが行き詰まり、真夜は片手で頭をぐしゃぐしゃとかいた。まあ、本人は楽しそうで
幸せそうなんだから、自分がでしゃばることではないのかもしれない。ただ、理屈じゃな
くどこか釈然としないのだ。
「ん?」
 いつの間にか昇降口までやってきていた真夜は、ふと見知った人影が視界の端に映った
のに気付いた。そちらに目を向けると、先ほどまで思い浮かべていた少女、珠音が一人の
女の子と一緒に校舎裏へと歩き去っていく後姿が見えた。
「なんだ? 二人でどこに行こうっていうんだ?」
 間もなくチャイムが鳴る。真面目な珠音がこんな時間にどこに行こうというのだろう。
確か、あの先にはあまり使われていない倉庫があるくらいだと思ったが。
 それに、珠音と手を繋いでいたのは隣のクラスの女子だった。お世辞にも今まで仲良く
していた様子は無い相手に、何の用があるのだろう。
「なんか気になるな」
 真夜の中で、疑念が今まで以上に大きくなっていく。彼は下駄箱に向かおうとしていた
足を止め、踵を返すと二人の少女の後を追った。

――――――――――――――

 珠音たちに見つからないよう、こっそりと後をつけた真夜は校舎裏にひっそりと建つ倉
庫にたどり着いた。こんな朝から来る場所ではないため、辺りには人気は全く無く、建物
の影になっているせいかどことなくじめじめした嫌な空気がたまっている。
「ほんとに、こんなところで何やってんだ?」
 不審を声ににじませ、真夜は息を殺して倉庫へと向かう。
 壁にはひびが入り、金属の扉にはあちこちに錆びが浮いている。存在することすら忘れ
られたような建物の鍵は外され、扉にはかすかに隙間が空いていた。おそらく珠音たちは
この中に入ったのだろう。
 そういえばこれからやんのは覗き見なんだよな、ということが不意に脳裏に浮かぶ。思
わず緊張し、少年は無意識のうちにつばを飲み込んだ。やっぱまずいかなと思い、足がそ
の場を離れようとする。
「ええい、ここまで来といてなんだよ。二人が悪いことしてないか確かめるだけだっつう
の」
 小声で誰にともなく言うと、意を決して真夜は扉の隙間を覗き込む。真っ暗で何も見え
ないのではないかと一瞬思ったが、その予想に反して室内には窓から差し込む明かりがあ
り、ある程度は中の様子が窺えた。
「さて、何でもないといいんだけど。……っ!?」
 真夜は口から漏れそうになった叫びを両手を当てて無理やり押しとどめた。顔を扉から
離し、首をぶんぶんと振り、目を何度も瞬かせる。それくらい、今目にした光景が信じら
れなかったのだ。
「な、何なんだよ……見間違い、だよな?」
 意識せず、震える声が漏れる。もう一度目を隙間にあて、中を覗き込む。
 だが、やはり目に映る光景は同じだった。
 暗く埃っぽい倉庫内にはあちこちに様々な道具が置かれている。その中央に、二人の少
女の姿があった。
 制服をまとった少女は、何だか夢見心地のような、ぼうっとした表情を浮かべている。
力なくだらりと両手を下げ、幸せそうな顔で目の前の人物を見つめていた。
 それだけでも普通の様子には見えなかったが、それ以上に真夜を驚愕させたのは少女の
前に立つ人物の姿だった。
 彼女の姿をあらわすならば、「巫女服を着た狐娘」とでも言えばいいのだろうか。ゆっ
たりとした袖を持つ白い衣と、紅く短い袴。頭からは髪を分けて獣の耳のように尖った何
かが突き出ており、腰からは9本ものやわらかそうな尻尾が生え、ゆらゆらとゆれていた。
とてもじゃないが、普通の人間の姿には見えない。
 驚きつつもじっと怪人の姿を見つめる真夜は、ふと何かに気付く。彼女の衣装や耳、尻
尾に違和感を覚えたのだ。質感が違う。まるで機械で巫女服や狐の尻尾をかたどったみた
いだと思った。
 しかし、怪人の横顔は、紛れも無い珠音のものだった。釣りあがった目は、どこかじっ
とりと絡みつくような視線を目の前の少女に注いでいる。少女はその視線に、身体を震わ
せた。
「ああ……」
 やがて、珠音の姿をした狐娘は頷くと口を開いた。
「うふふ……もうすっかりわたしの虜ね」
 今までの珠音からは考えられない、妖しげな魅力と自信に満ち溢れた声だった。危険な
魅力に溢れた表情が真夜の目にも飛び込んでくる。一目見ただけで、彼女に対する熱が、
身体の中で炎を上げたのがわかった。
 それを認めてはいけないような気がして、真夜はぎゅっと目をつぶる。もう一度開けた
時には、なんとか心の中の炎を抑え込むことができた。
「はい……あたしは、キュウビミコン様のものです……」
 だが、倉庫の中の少女は既に魔性の魅力に犯されきっていたようだった。意思の無い声
でそう呟き、うっとりと顔を染める。
「ふふ、ありがとう。それじゃあ、あなたもわたしたちの仲間になってくれるよね?」
「はい、もちろんです。あたしも、キュウビミコン様のシモベにしてください……」
 酔いの回ったような少女の様子を満足げに眺め、キュウビミコンと呼ばれた女の子の発
した言葉に彼女は即答する。心から嬉しそうな笑みを浮かべ、狐の姿をした娘にゆっくり
と近づいた。
「いい子ね。もちろんよ」
 キュウビミコンは頷き、目の前の少女に何かを手渡す。それは緑色の石が付いた首輪だ
った。銀色のそれは、窓から差す光を受けて冷たい金属の輝きを放つ。
 手渡された首輪を、少女は何のためらいも無く自らの首に巻きつける。かちりという小
さな音が響き、少女の華奢な首の周りを金属が覆った。ほぼ同時に、彼女の身体がびくん
と跳ねる。
「さあ、始まるわよ……」
 キュウビミコンの言葉が響いた瞬間、少女の肌にコンピュータの基盤のような模様が浮
かび上がった。金属光沢を持つラインはあっという間に少女の全身に広がる。
「あ、あふ、あ……ああぁ……」
 ぺたんと座り込んだ少女は、快感に震えるように頬を上気させ、涙を浮かべる。開かれ
た口からは、あえぎ声が漏れ、両腕が身体をかき抱いた。
 少女の全身に浮かび上がったラインが光り、やがて消える。直後、彼女の身体に先ほど
以上の変化が生じた。
 頭からキュウビミコンと同じような、耳のように見えるパーツが伸びだす。腰からはス
カートをめくり上げ、狐の尻尾が一本、飛び出した。肌には所々に三角形や四角形のマー
クが浮かび、ラインが走る。
「ああっ、き、きもちいいですっ……! キュウビミコンさまぁ! 気持ちよすぎて、変
になっちゃいますぅ!」
 快感に耐え切れず、涙をこぼしながら少女が叫ぶ。その顔にあるのは、これ以上ないほ
ど幸せそうな色だった。
 服も変化を始めていく。学園の見慣れた女子制服が形を変え、色を変えて巫女の纏うよ
うな紅白の衣と袴になっていく。だがそれはキュウビミコンと同じように、どこか金属光
沢を持った、メカの装甲のように見えた。
「あああああああああぁっ!!」
 全身の変化が完了し、少女は大きく背を仰け反らせる。やがてゆらりと立ち上がった彼
女の目は、まるで機械のように見えた。
「おめでとう。これであなたもわたしたちと同じ、EG団の麗人ね。『キツネビミコン』、
それがあなたの新しい名前よ」
「ああ、ありがとうございます……。はい、あたしはEG団とキュウビミコン様のシモベ、
キツネビミコンです。なんなりとご命令くださいませ……」
 キュウビミコンと似た姿の怪人になってしまった少女は、戸惑うどころか嬉しそうに頭
を下げる。キュウビミコンは彼女を優しく抱きしめ、耳元で囁いた。
「うふふ。その姿、とても素敵で可愛いわ。わたしね、他の皆にもEG団の素晴らしさを
教えてあげたいの。だから、あなたもわたしたちの仲間を増やすお仕事、手伝ってね」
 その言葉に、キツネビミコンはこくりと頷く。キュウビミコンは彼女を抱いたまま、髪
をそっと梳いてやった。

「な、なんだ、なんなんだよ……。葛葉もあの子もいったいどうしちまったんだ……」
 そっと身体を扉から離し、倉庫の壁にもたれかかると真夜は呆然と呟く。一部始終をこ
の目で見た後でも、彼には今さっき起こったことが信じられなかった。
 密かに想いを寄せていた少女が、よく分からない格好――麗人、とかいってたけど――
になってしまい、あまつさえ他の子も催眠かなんかで操って、その麗人とやらにしている。
 まるでガキの頃に見ていた特撮ヒーロー物の一場面のようだ。ばかばかしいと笑い飛ば
したかったが、今目にしたものはCGでもドッキリでもなく、本当のことだと頭のどこか
で悟っていた。
「ど、どうすりゃいいんだよ……」
 正直、目の前で起こったことが理解できないのだから、自分ひとりで何とかできるとは
思えない。ならば誰かに相談すべきだろうか。先生とか、警察とか。
「だめだよな」
 真夜はすぐさまその考えを捨てた。大体こんな話、直接見た自分でも信じられないくら
いだ。誰かにいったところで、笑い飛ばされるのが関の山だろう。
 なら、どうすればいいのだろうか。とにかくここを離れたほうがいいだろう。そう考え
た彼は、そろそろと壁から身を離し、歩き去ろうとする。
 だが、目の前の異常事態にすっかり動転していた真夜は、足元にジュースの空き缶が転
がっているのに気付かなかった。踏み出した足が缶を蹴り、からんからんと音が響く。
「げっ、しまった!」
「誰ッ!?」
 真夜が舌打ちをすると同時に、倉庫の中から珠音、いやキュウビミコンの声が響く。真
夜は慌てて身を翻すと、その場から脱兎の如く逃げ出した。
 背後で扉が開く音がする。さらに、少し焦った様子の女の子の声。どうやら麗人たちが
音を立てた誰かを探しているらしい。
 見られてませんように、ばれてませんようにと祈りながら、真夜は裏門へと向かって走
り続けた。

「はぁっ、はあっ……。こ、ここまでくれば……」
 校舎裏の倉庫から裏門を抜け、学園から離れた街中にまで駆けて来た真夜はブロック塀
に背を預け、荒い呼吸を沈めようとする。
 しばし深呼吸を続けると、ようやく落ち着いてきた。だが、頭の中はいまだ混乱が続い
ている。
「ええと、葛葉が明るくなったと思ったら、なんだか変な格好になってて。で、別のクラ
スの女子と一緒に倉庫に入ったのは彼女を仲間にするためとかで。あああわけわかんねえ。
一体全体なんなんだよ! 夢なら覚めてほしいよ本当!」
 頭に手をあて、ぶんぶんと首を振る。だがこれが現実なのであり、当然事態はなんら変
わらないのであった。
 そのとき、溜息をつく少年のズボンから突如携帯電話の着信音が響く。思わずびくりと
した真夜が慌てて取り出した携帯の画面を覗き込むと、メールが一通届いていた。
 予感とともに操作し、メール画面を呼び出す。そこには「葛葉珠音」という名前が表示
されていた。いつぞや彼女と交換したアドレスだ、珠音はほとんど携帯電話をいじらない
ので、真夜は少女からのメールに妙な新鮮さを感じた。
「っと、そんなこと考えてる場合じゃないな。わざわざメールを送ってきたってことは」
 おそらく、ばれたのだろう。息を呑んで表示された本文を読む。そこには短く「葛葉神
社で待っています」とだけ書かれていた。
 もう一度たっぷり10秒ほど文章を眺めると、真夜は携帯電話を閉じ、ポケットに突っ
込む。
「罠だろうなあ……。けど、行かないわけにもなあ」
 はあ、と息を吐き空を見上げたあと、少年はぶつぶつと呟きながら指定された場所へと
向かって歩き出した。

――――――――――――――

 両脇を森に挟まれた急勾配の石段を登りきると、朱塗りの立派な鳥居が姿を現す。
石段から鳥居の下をくぐり、石の敷き詰められた道が正面の拝殿まで続く。右側には社務
所とお守りや御神籤を売る建物。拝殿の後ろの本殿の左には、葛葉家の住居がある。小さ
い小さいといわれているものの、改めて見ると敷地はなかなかに広く、立派な神社であっ
た。
「…………」
 その敷地を緊張した顔で歩く少年が一人。真夜である。十中八九罠だと踏んだものの、
学園に戻って授業に出る気にもならず、サボることにした彼は結局珠音のことが気になっ
てここまでやってきてしまったのである。惚れた弱みというやつであった。
 平日昼間から神社に参拝するような物好きはあまりいないらしく、辺りには真夜以外の
人の姿は見当たらない。鳥居をくぐり、神社拝殿の前まで彼が足を進めると、中から珠音
の声が響いた。
「来てくれたんだ、ありがとう。さ、中に入って」
 少年は無言のまま賽銭箱の脇を通り、靴を脱ぐと拝殿への階段に足をかける。ぎしぎし
と木の軋む音を立てて短い階段を登ると、障子をそっと開けた。
「いらっしゃい。待ってたよ」
 がらんとした室内、彼の正面に巫女服を着た珠音が立っていた。真夜が入ってきたのを
見て取ると、彼女はにこりと笑みを浮かべる。今まで見たことの無い、明るい笑顔だった。
それだけで、真夜の心臓が鼓動を早めたのが分かった。
「ええっと、何から説明しようか。さっきのは、見てたんだよね?」
「ああ」
 小首をかしげ、口を開いた珠音に真夜は頷く。わざわざここまで呼び出されたんだ、さ
っきの覗きはとっくにバレているのだろうし、否定する意味が無い。
「そっか。それじゃ、誤魔化してもしょうがないね」
 ぺろ、と小さく舌を出すと、珠音はその場でくるりと一回転する。彼女から発せられた
光が身体を包み、一瞬の後、そこには先ほど倉庫の中にいた狐の怪人娘が現れた。
「えへ、おどろいた?」
「ん、まあな」
「嘘。だって全然そんな風に見えないもの」
 彼の反応が思ったほどではなかったのが不満なのか、珠音――いや、麗人キュウビミコ
ンに変身した少女は頬を膨らませ、口をかすかに曲げる。その可愛らしいしぐさに真夜は
軽く噴出し、手を振った。
「ああ、いや。変身した姿はさっき見せてもらったから。それより、その姿のことも含め
て色々話してくれるのか?」
「うん、そうだよ」
 にっこりと笑みを浮かべ、キュウビミコンはEG団のこと、自分達麗人のこと、そして
仲間を増やすために勧誘活動をしていることなどを得意げに話した。彼女の口から語られ
る内容は、信じがたいものばかりであったが、先ほどの光景を実際に目にした真夜には、
彼女は嘘などついておらず、真実だとはっきり分かった。
「と、いうわけなの」
 キュウビミコンの説明が一通り終わると、彼女は息を吐き出す。ずっとしゃべりっぱな
しだったので、流石に疲れたようだ。
「そっか、EG団に、麗人ね……。正直突拍子も無い話だけど……目の前にその証拠がい
るんじゃ信じざるを得ないな。で、葛葉のその姿も麗人ってやつなんだな」
「うん、そう。今のわたしはキュウビミコンって言うの。素敵でしょ?」
 少女は得意げにくるりと回る。腰から生えた9本の尻尾が、艶かしく揺れた。それを眺
めながら、彼は先ほどからずっと考えていた疑問を口にする。
「それにしても、どうして俺をわざわざ呼んで、そんなことを説明するんだ? さっき聞
いた話の通り、葛葉に人の心を操る力があるんなら俺のこともそうすればいいんじゃ無い
か? ここで聞いた話、他のやつにバラされたらまずいんだろ?」
 彼の言葉に、キュウビミコンは視線を外すと頬を染める。ややあって、顔を上げた彼女
は真夜に一歩近寄ると、ためらいがちに口を開いた。
「だ、だって……、わたしの好きな人に、そんなことしたくなかったから」
「え……?」
 思いがけない告白に、一瞬真夜の頭が真っ白になる。そんな彼をよそに、キュウビミコ
ンは真夜に抱きつく。長く、さらさらな髪からは女の子のいいにおいがした。9本の尻尾
が彼を逃がすまいと、身体に巻きつく。
 彼女は耳元で熱っぽく囁いた。
「だから、ね? あなたもわたしたちの味方になってほしいの。ねえ、いいでしょう?」
「う……」
 服越しに彼女の豊かな胸があたる。先ほどメカのように見えた衣装は意外と柔軟性に富
み、キュウビミコンの素体、珠音の身体、そして胸の柔らかさを損なうことなく真夜に伝
えていた。
「ねえ、いいよね? わたしの側に、ずっといて」
 顔を正面から覗き込み、希うようにキュウビミコンは呟く。ツリ目がちなエメラルドの
瞳に射抜かれ、真夜の脳を焼けるような熱が襲った。どぎまぎする彼を見つめ、少女は嬉
しそうに、だがどこか妖しく笑った。
「ずっと大好きだったの。だからね、今、こうして気持ちを伝えることが出来て幸せ。ね
え、真夜。あなたも好きっていって。ぎゅって抱きしめて。わたしのものになって?」
 狐耳の少女は、そういって目を閉じ、口付けを交わそうとする。
「……くっ。ごめん!」
 だが、唇同士が触れ合う前に、真夜は目を閉じ顔を背けると、巫女の少女の身体を自分
から引き剥がした。
「どうして……? わたしのこと、嫌いなの?」
 まさか拒まれると思っていなかった少女は、よろよろと後ずさると愕然とした表情を浮
かべる。
「嫌いじゃない。俺も……『葛葉』のことが好きだよ」
「なら! なんで!? どうしてよ!?」
 悲痛な叫びがキュウビミコンから響く。少女の悲しげな顔に胸を痛めながらも、真夜は
声を絞り出した。
「俺が好きなのは、『葛葉珠音』っていう女の子なんだ」
「わたしは正真正銘の珠音よ! 何を言ってるの!? どうして? わからないわ!」
 真夜は首を振る。
「違うよ、君は彼女じゃない。俺が好きになった女の子は、内気で、気が弱くて、いつも
悩んでて。でも、神楽の時は誰よりも綺麗で。弱い自分を何とか変えようとしていて。君
と顔はそっくりだけど、違うんだ」
「ち、違わない……。わたし、わたしは珠音なのよ。あなたに気持ちを伝えたくて、でも
いつも勇気が出なくて。だから、今こうして変わって。そうして気持ちを伝えて……」
 怯えたような声で、キュウビミコンは首を振る。
「ううん、俺が好きになった人は、そんな変な道具の力で変わろうとなんてしないはずだ
よ。そんな、媚びた声と態度で恋人の気持ちを得ようとなんてしないはずなんだ。ゆっく
りでも、情けなくても自分の力で変わろうとするはずだ。だから、俺は珠音が好きになっ
たんだ」
「いや、いや、いやあ……。やめて、そんなこといわないで! わ、わたし……、だって
……わたし、あなたに好きって伝えたくて、あなたに好きって言って欲しくて、それで、
それだけ、それだけなのに!」
 涙を浮かべ、いやいやをするキュウビミコンに、真夜は一歩足を踏み出す。逃げようと
する彼女の腕を掴み、その碧の目をまっすぐに覗き込んだ。
「俺だって同じだったんだ。いつも君に想いを伝えたくて、でも、勇気が出せずに出来な
くて。だから、今こそ勇気をだすよ。ちゃんと『葛葉珠音』に、気持ちを伝えたいんだ」
「やだ、やだあ。わたし、わたし……折角変われたのに! 勇気を出して、皆とお話した
り、あなたに気持ちを伝えられたのに!」
 腕を掴まれ、泣きじゃくる少女を真夜は強く抱きしめる。そして、先ほど彼女がしたよ
うに耳元に優しく囁いた。
「いいんだよ。そんなすぐに変わらなくっていいんだ。臆病者の弱虫同士、一緒に変わっ
ていこう? だから、元の可愛い珠音に戻って」
「元の、わたし……」
「そう、今の君は君じゃないんだ。だから、俺の気持ちは伝えられない」
「わたし、もとの、わたし? 今のわたしは、わたしじゃない?」
「そうだよ! そんな機械なんかに負けないで! 俺が好きになった子の心は、そんな機
械に負けるほど、よわっちくはないはずだ!」
 想いをこめて叫び、真夜はさらに強く少女を抱きしめる。触れ合った胸から彼の鼓動と
共に、強い思いを感じ取った瞬間、キュウビミコンは身体を仰け反らせ、大きく震えた。
「いや、あ、やあ、わたしが……きえちゃう! いや、いやあああああああああっ!!」
 糸が切れたように、少女の身体から力が抜ける。慌ててその身体を支え、真夜は彼女の
顔を覗き込んだ。
「おっと! だ、大丈夫か?」
 いまだ、彼女の身体からは耳パーツや尻尾が生えている。妙な巫女服風の衣装は元に戻
っておらず、頬や肌にはメカのようなディテールが残っていた。だが、その異様な姿とは
裏腹に、ここ数日彼女から感じていた違和感は消え去ったように思えた。
「う、ううん……」
「お、気がついたか?」
 やがて彼女の口からかすかに呻き声がもれる。ゆっくりと見開かれた目はかつての珠音
と同じ、優しげな垂れ目に戻っていた。次第に焦点が合い、目の前の光景が彼女に認識さ
れていく。
「あ……ここは、わたしの、家? ……って、きゃぁ! さ、斎木君!?」
「お、おっす。具合はどうだ?」
「な、何であなたが……。あ、そうか、わたしが、呼んだのね。そ、その……ゆ、ゆゆ誘
惑して、こここいびと、じゃなくて仲間にするために」
「ま、そういうことだな。ふーむ。身体はともかく、心はもう、元に戻ったみたいだな。
一応、これはこれでよかったのかな」
 安堵の吐息を漏らす少年を見つめていた珠音は、自分が真夜に抱きしめられていること
に気付いた。一瞬で顔を真っ赤にし、慌てて身体を離す。そして、突然頭を下げ始めた。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! わ、わたし、皆にひどいことを! い、一体ど
うしたら許してもらえるのか!」
 少女は泣きながら何度も何度も頭を下げる。どうやら正気を失っていた間の記憶もバッ
チリ残っているらしい。真面目な彼女のことだ、半ば機械に操られていたといっても、自
分が沢山の人に迷惑をかけたことが許せないのだろう。
 そんな珠音の姿を見て、真夜はますます彼女が愛しくなった。ぺこぺこと頭を下げる彼
女に近づき、その肩に手を置く。びくんと震えた少女に、真夜は優しく語りかけた。
「ええっと、そんなに気にすること無いよ。そもそも、葛葉も被害者だろ? 俺も別に、
何かされたわけじゃないし。あんまり気にするなよ」
「で、でも」
「いいって。な、ほら、泣くなよ。好きな女の子が目の前で泣いてるのって、辛くなっち
ゃうだろ」
 真夜はそういうと、珠音を再び抱きしめる。想い人に抱かれたことより、彼の発した言
葉に珠音は驚き、真正面から少年を見つめた。
「え? ええ? あ、あの。斎木君、いま、いま、好きって……」
 少女の言葉に、少年は照れたようにそっぽを向く。
「あ、あ〜。ま、その、なんだ。さっきも何度も言った気がするけど、元に戻った葛葉に
なら、ちゃんと気持ち伝えてもいいかなってさ」
「えっと、あの、その、えっと」
 戸惑いパニック一歩手前の少女の顔を真剣な眼差しで覗き込み、少年は告白する。
「あ〜っと、その。俺は、君が好きです。付き合って……ください!」
 顔を真っ赤にし、半ば最後はやけくそ気味に叫ぶ。珠音はそんな彼を驚いたように見つ
めていたが、やがてその瞳に涙を浮かべるとこくりと頷いた。
「わ、わ、わたしも、あなたが、す、好きです。う、うれしい、です……」
 そうして、二人はどちらからともなく顔を近づけキスを交わした。風が木々を揺らす音
が響く中、少年と、麗人の少女が口付けしあうかすかな音だけが、いつまでも響いていた。

――――――――――――――

 真夜とキュウビミコン姿の珠音が抱き合う神社の屋根。地上からは死角となる位置に、
一人の女性の姿があった。白衣を纏い、顔半分を奇妙な仮面で覆う女性。ドクトレスアダ
マンである。
 彼女は手のひらサイズの携帯端末を使い、キュウビミコンの状態、行動をあますことな
くチェックしていたのだ。画面には少女の洗脳が解けたことをあらわす文字と警告が表示
されている。
「ふむ。あの子はかなりフュージョナー適性があったと思ったんだけど。まさか説得で洗
脳が解けちゃうとはね。ちょっと残念ね」
 そういって、折りたたみ式のそれをたたむと、白衣のポケットにしまいこむ。
「それにしても、洗脳解除後もナノマシン自体はきちんと動いているみたいね。麗人の姿
がそのままなのが、その証拠だわ。彼女、フュージョナー適正値が高いから? ふむ、ま
だまだ実験が足りないわね。でも……ふふふ……今回はなかなか興味深いデータも取れた
し、まあ、良しとしましょうか」
 そう呟き、屋根の下、新たに生まれた恋人達のことをちらりと思う。まあ、彼女らのこ
とはこのままでもいいだろう。もしかしたら、また興味深いデータをもたらしてくれるか
もしれない。
「ふふ……是非そうなってもらいたいものだわ。それでは二人とも、お幸せに……」
 どこか邪悪さがにじむ声で祝福し、ドクトレスは白衣を翻す。直後一陣の風が吹いたか
と思うと、女性の姿はまるで煙のように掻き消えていた。

 神社の中、珠音と真夜は抱き合ったまま床に寝転がっている。お互い、幸せそうな表情
を浮かべその背に腕を回していた。
 不意に、真顔になった真夜が口を開く。
「そういえば、葛葉が変身させちゃった子たちはどうすんだ?」
「あ、それは心配要りません。特別なフュージョナーを使ってシモベの麗人に変えた子は
ともかく、今までわたしが仲間にした子達はみんな簡易改造でしたから。さっきわたしが
正気に戻った時に、ナノマシンの機能停止命令コードを送信しておきました。2、3日は
麗人の姿のままかもしれませんが、そのあと数日もすれば、フェイルセーフ機構が働いて
もとに戻るはずです」
「へえ。よく分からないけど。大丈夫なんだな」
「ええ。わたしも、変身した後知識として刷り込まれただけなので、よく分かっていない
んですけどね」
 そういうことなら、問題は無いだろう。とりあえず、シモベにされた子たちのことに関
しては安心していいと思えた。だが、目の前の少女についてははそうではないだろう。さ
っきの「特別なフュージョナー」で改造された珠音は、元に戻れるのだろうか。
「その、葛葉はどうなんだ? 戻れるのか? それとも……やっぱり、その狐の身体は元に
戻らないのか?」
 真夜の不安げな言葉に、珠音はうつむく。
「う、うん……ごめんなさい。もう、このメカ耳とか尻尾はわたしの一部みたい。なんと
なくだけど、わかるんです」
「そっか……」
「あ、でも大丈夫です! あの、人間の姿に化けることは出来るから。だから、この姿が
いやだったら言ってください。ちゃんと、人のふりしますから」
 真夜の言葉に慌てた珠音が言う。
「いや、気にしてないよ。どんな姿をしてても、葛葉は葛葉だろ? それに、その……さ
っきはああ言ったけどさ。なんだ、その狐巫女の姿も、なんか、似合ってるよ」
「え……? あ、その。あ、あぅぅ……」
 キュウビミコンの姿のままの珠音は、一瞬何を言われたのか分からずきょとんとしてい
たが、脳が言葉を理解するにつれ次第にその顔が紅く染まっていった。
 そんな少女を見つめ、真夜は彼女の心は以前のままだと改めて感じた。こんな可愛い彼
女と一緒なら、まあこの先も何とかやっていけそうだと、そんな気さえしてくるのだった。

―― 輝導戦姫 A-XESS外伝『内気な狐の恋心』 おわり ――



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