『魔女のマスカレード』


 人生は、誰のものでもない。全ては自分で切り開くものだ。
 そんな言葉を、どこかで聞いたような気がする。

――けれど、私の人生は……



「ん……」
 口から漏れるかすかなうめきと共に、私は重い瞼をゆっくりと開いた。
 目に映ったのは、どこまでも続く深い闇。
 ここはどこだろうか。視界を塗りつぶす暗闇はあまりに深く、時間も場所も分からない。
 ――奈落。そんな言葉が、脳裏に浮かぶ。
 いや、そもそも私は今まで自分がどこで何をしていたのかも、上手く思い出せなかった。
 目覚める前、今に至るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている。
 いったい、どういうことなのだろうか。私に、何があったのだろう。
 疑問は浮かべども頭は上手く動いてくれず、私はただ、ぼんやりと黒一色の虚空を見つめていた。
 目だけを動かし、辺りを見回す。けれども、私の目に映るのはかわり映えのない黒い景色だった。闇の中にはわずかな物音一つせず、痛いくらいの静寂が満ちている。
 現実感がまったくない。次第に感覚すらもあやふやなものとなり、夢と現の区別があいまいになって、まだ夢の中にいるような気さえしてくる。
 今にもこの暗闇の中に溶けて消えてしまいそうで、無性に怖くなった。
 心に浮かび始めた恐怖を紛らわせようと、私は自分の身体に意識を向けた。目には見えなくとも、身体がそこにある実感がわずかに安堵をもたらしてくれる。
 わずかに開いた口から静かに息を吐き出す音が、闇を伝わり耳へと届く。
「……ふぅ……」
 深呼吸を繰り返しているうちに、幾分落ち着いてきたようだった。少しずつ頭も動きだし他頭で次のことを考えるだけの余裕も生まれてきた。
 相変わらず状況はまるで分からないが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
 いまだ心中に淀む恐怖を無理やり押さえつけ、私は起き上がろうと身体を動かそうとした。
 その瞬間、私は己の身体に起こった異変を理解し、衝撃に目を見開いた。
「……!」
 力を込めたはずの腕は意に反してぴくりとも動かず、だらりと身体の横に置かれたままだった。
 感覚はあるのにまるで自由にならない腕は、自分の意思から切り離されてしまったかのように思える。
 改めて、自分の身体に意識を向ける。
 全身が鉛のように重い。指一本動かすのさえ、億劫になるほどだった。疲れているのとは違う、上手く言葉に出来ない違和感が身体を覆っている。
 まるで自分の体が自分のものでなくなってしまったかのような、言いようのない感覚。魂が自分の姿をした人形に閉じ込められているかのようだ。
 言いようのない不安がじわじわと広がり、押さえ込んでいた恐怖を増大させる。
「……っ! っ!」
 私は何度も何度も起きようと身体に力をこめてみるものの、結果は口から小さなうめきが漏れるだけだった。
 試行するたびに焦りだけが増していき、絶望が影となって胸中に満ちていく。
 しばし、懸命に努力を続けていた私だったが、やがてその気力も尽きてしまった。
 絶望と共に、嘆息する。本当に、私はどうなってしまったのだろうか。
すべて悪い夢ならいいのだけど、理性はこれが現実だと容赦なく伝えてくる。仮に夢だとしても残念ながら、今の私にこの悪夢から醒める方法は思いつかなかった。
「……?」
 ふと、指先に感じたものに気付き、私は思考を中断させる。
 意識を集中してみると、ひんやりとした感覚が伝わった。何か、つるつるとした滑らかなものに触れているようだ。
 その感覚に惹かれるまま意識を向けると、同じような感触が腕や足、背中にも伝わってくる。さらに、全身の肌に直接触れる空気の感覚もあった。
 依然として身体は動きそうになかったが、ちゃんと外界を感じられるということが、焦りを少しだけ和らげてくれる。
 しかし、服をまとっている感覚はない。ということはおそらく、今の自分は衣服を何一つ身に着けていないのではないだろうか。
 本来なら恥ずかしさで真っ赤になり大慌てするところだが、今の私は自分が置かれた状況の異常さに対する疑問の方が大きかった。
 辺りが真っ暗な闇で、人の気配もないことも羞恥を薄れさせる一因になっていたのかもしれない。
 指に力を込めると、ほんの少しだけ、反応があった。
 何とか気力を振り絞って指を動かし、そっと表面をなでる。肌に当たる感触は、金属のものではない。おそらくは、石。それも良く磨き上げられた、大きな石だ。
 辺りが暗いせいでよくは分からないが、横たわる私の頭のてっぺんからつま先まであるその面積は、かなりの大きさがあるようだ。
 石台、だろうか。
 ともかく、私はこの台の上に寝かされているらしい。直接見ることはできないが、それくらいのことはなんとなくわかる。
 ぼんやりとした思考の中、これは儀式のための台だと、なぜか直感した。
 ――儀式?
 頭のなかに浮かび上がった言葉に、何故だか強い不安を感じた私は、小さく震えた。
 それが何の儀式で、どういう意味を持っているのか、今の私は知っているような気がしたのだ。
 けれども、それを理解してしまったらもう元には戻れないような気がして、私は無理やり意識からその言葉を追い出した。
 のしかかるような闇が再び不安と恐怖を生み出し、私に襲い掛かる。目を開いても、閉じてもあるのは漆黒の空間だけ。
 悲鳴を上げることもできず、私はただ暗闇の中に漂っている。
 と、不意にぼっ、ぼっと小さな音を立てて、闇の中に炎が灯った。
 目を向けると、私の周囲に橙色の小さな光が浮かび上がっていた。あたりに立ち込める黒色を、炎が溶かす。
 どうやら私の横たわる台の周囲に、蝋燭が立てられているようだ。先ほどの音は、それに火が灯されたものだろう。
「気がついたかい」
 状況を理解すると同時に暗闇の中から発せられたしゃがれ声が、私の耳に響く。
 はっとして目を向けると、いつの間にか蝋燭を手にした人影が私の側に立っていた。
 魔術師のようなローブをまとった小柄な人物。頭まですっぽりとフードを被ったその姿は、まるで幽霊のようにも思えた。
 フードの奥の瞳が、こちらに向けられる。私を見つめるのは、悲しげな目をした老婆だった。炎に照らされ、顔に刻み込まれた皺がいっそう濃い陰影をつける。肩まで伸びた白髪に灯火があたり、橙色に染まっている。
 その顔を見た瞬間、私は反射的に呟いていた。
「お婆さま……」
 発した言葉に導かれるようにして、記憶が次々と蘇ってくる。
 そうだ、この人は私のお婆さま。物心つく前に両親を亡くした私を引き取り、育ててくれた人だ。
 人目を避けるように、深き森の奥にひっそりと暮らすお婆さまは近隣の人からは変わり者扱いされていたが、私にはいつも優しく、温かい存在だった。決して豊かではなかったが、それでも優しいお婆さまとの暮らしは幸せなものだった。
 では、ここはあの森の中の、お婆さまと私の家なのだろうか。
 それにしては、こんな儀式台のある、闇に満たされた部屋はなかったはず。考えられるのは地下室くらいだが、私の記憶では地下への入り口など見た覚えはなかった。
 混乱しつつ、お婆さまを見返す。私の視線を受け、お婆さまはその目に浮かべる悲しみの色をますます深めるだけだった。
 お婆さまはしばらく何かを躊躇っているようだったが、やがて小さく首を振り、口を開いた。
「気分は、どうだい?」
 反射的に起き上がろうとした私に、お婆さまは言葉を続ける。
「ああ、無理に答えなくてもいいよ。それから起き上がろうとしなくてもいい。まだ、身体が動かないだろうからね」
「え、と……」
 一瞬なんと答えたらいいのか分からず、私は言葉を途切れさせる。困惑は深くなるばかりだったが、ひとまず私は最初の問いかけに対し、小さな頷きだけを返した。
 その反応を見、それから私の瞳を覗き込んだお婆さまが安堵の吐息を漏らす。
「……見たところ、とりあえずは無事、この世に戻ってくることが出来たようだね」
 いつもどおりの、優しい声。お婆さまの肩から、わずかに力が抜ける。しかしそれでもなお、その表情には苦悩の色が滲んでいた。
 お婆さまにこんなに心配をかけてしまったことに、私の心が痛む。けれど、今の私にはそれ以上に先ほど聞こえた言葉が気にかかっていた。
 じわじわと心に何かが忍び寄ってくる感覚を何とか押さえつけながら、私は問い返す。
「お婆さま……、あの……この、世とは……? どういう……?」
 戸惑いでまとまらない私の言葉と、おそらくは混乱を浮かべた私の顔を見、お婆さまは顔を悲痛にゆがめる。辛そうに目を伏せ、お婆さまは沈んだ声で言う。
「覚えていないかい? まあ、無理はない……」
 そこで言葉を切り、しばし逡巡したあと、覚悟したように首を振る。それでもなお、お婆さまは躊躇いがちに口を開いた。
「お前は、一度死んだのだよ」
 一瞬、耳に届いた言葉が理解できなかった。受けた衝撃に私の精神は対応が間に合わず。全ての感覚が遠くなりそうになる。
「しん、だ……? わたし、が?」
 私に出来たのはただ、掠れた声でそれだけを呟くことだった。
「うそ……ですよね?」
 縋りつくように、お婆さまに尋ねる。けれど、既に私の本能とでもいうべき部分はお婆さまの言葉が嘘ではないことを、残酷なまでに理解していた。
 そんなはずはないと理性が否定しようとしても、魂の部分は現実を肯定してしまっている。
 直前の記憶がなくなっていることや、身体が動かせないことも、そう考えれば納得できる。
 そこまで分かっていてなお、私は真実を認められないでいた。いや、そんなはずはないと、駄々をこねる子どものように心の中で繰り返す。
 だって、そうではないか。あまりに突拍子もない内容だ。死んでしまったなら、ここにいる私は何なのだ。幽霊だとでもいうのだろうか。
 それにしては、身体に触れる石台の冷たさや 空気の感触が現実的過ぎる。仮にここがあの世なら、私の記憶では、まだ元気だったはずのお婆さまがいるのもおかしい。
 先ほどの言葉をもう一度思い返し、そこでふと気付くものがあった。
 お婆さまは「この世に戻ってくることができた」といっていた。つまり、私が死んだのは事実だが――その後、生き返った、ということなのだろう。ここは夢の中でもあの世でもなく、  紛れもない現実世界であり、この感触も全て本物なのだろう。
 だけど、一度死んだ者を蘇らせることなど、本当に可能なのだろうか。
 当然の疑問が浮かび上がる。だがすぐに、私の脳裏にはある考えが閃いた。
 私たちが住んでいた近くの村に伝わる、古い伝説。深い森の中に住むという、魔女の御伽噺を。
 ――この辺りの村々じゃ私が魔女なんて言われてるけど、本当の魔女は別にいるんだよ。
 いつだったか、幼い私にそう語ってくれたお婆さまの言葉が蘇る。
 お婆さまはそれ以上何も教えてくれなかったが、時折出かけた村々で人々が話すのを耳にする機会が何度かあった。その噂話の断片から、私もおぼろげながらもそのことは知っていた。
 曰く、邪悪な魔女は失われた命を呼び戻すことすら出来るという。
 曰く、ただしその忌まわしき呪術を使い蘇った代償として、死者は身命を魔女に捧げることになる、と。
 そうして人々は決まってみな、恐怖に身を震わせながら、魔女に関わってはならない、と締めくくるのだ。
 絶望的な確信を抱きながら、私は震える言葉を紡ぐ。
「まさか……。お婆さま……、私を……生き返らせるために……魔女に……」
 元より隠すつもりなどなかったのか、お婆さまは私の顔を見つめ、頷く。お婆さまの苦渋の表情に、さらに深い苦悩が刻まれるのが私にもわかった。
「ああ、そうだよ……。それしか手がなかったからね」
 溜息とともに視線を逸らし、自嘲気味に囁く。
「魔物に襲われて死んだ孫娘を生き返らせるのに、魔女にすがるとは皮肉なもんだ……」
 お婆さまの言葉から、私は魔物に襲われて死んだということがはじめて分かった。しかしその記憶がないせいかこの耳で聞いてもなお、やはり実感はない。
 だが、私が死んだときのお婆さまの悲しみと苦悩は計り知れないものだったのだろう。私には察することしか出来ないが、たった一人の家族を失った人間が魔女にまで縋りつきたくなるその胸のうちは分かるような気がした。
「お婆さま……」
 私には知る由もないが、きっと様々な迷いがあったのだろう。そして私がこうして蘇ってもなお、魔女との契約を知っている以上、単純に喜ぶことなどできず、悩んでいるのだろう。
 私の表情や態度で気付いたのだろう、お婆さまは躊躇いがちに口を開く。
「魔女との取引……死者の復活の代償のことは?」
「知って、います……」
「そうか……」
 私の答えに目を伏せ、長い息を吐き出す。お婆さまは孫娘の復活が果たされた今でもなお、自らがした選択を正しいのか迷っているようだった。
「ならば、お前がすべきことは……分かっているね?」
 囁くように小さく、悲しさを孕んだ声が、空気を震わす。どうしても感じてしまう後悔を押し隠そうとして叶わず、漏れでたそれが諦めに近い響きとなって、お婆さまの声に混じる。
その言葉に私はこくりと頷いた。
「はい、覚悟はできております、お婆さま」
 先ほどまでまったく動こうとしなかった私の身体がひとりでに動き出す。私の驚きと戸惑いをよそに、体はゆっくりと身を起こし、儀式台に腰掛けた。
「ひとたび死んで蘇った以上、私の生命は魔女のもの」
 どこか呪文めいた言葉が、勝手に口をついて紡がれる。
 その声は間違いなく私のもののはずなのに、まるで他人のもののような気がした。聞きなれたはずの自分の声が恐ろしく思える。
 自分の身体も心も、魂さえもが誰かにとられてしまったような感覚。私の奥底から全身を凍らせるような不気味な寒気を感じるが、私の意思を離れた身体をわずかに震わせることも出来なかった。
 お婆さまが無言で見つめる中、私はそっと床に足を下ろし、立ち上がる。儀式台と同じく、滑らかに磨かれた石の床が足裏に冷たい感触をもたらす。
 一歩一歩、まるで身体の動かし方を確かめるように私の身体は歩いていく。燭台に灯る小さな炎が私の裸身を照らし、暗闇の中に浮かび上がらせる。きちんと見ることは出来なかったが、魔物に襲われ、殺されたはずの身体には傷一つない。女性というにはまだわずかに幼さが残る肢体を、静謐な空気が撫でていく。
 数歩ほど進んだところで、私が寝かされていたのとは別の、石の台へとたどり着く。私の腰ほどの高さの台には奇妙な模様が掘り込まれ、供物を捧げるもののような印象を抱かせる。その周囲四隅には蝋燭が立てられ、揺れる炎が台上に置かれたものを照らしていた。
 台に置かれた「それ」と、私の目が合う。闇の中に浮かぶ一対の目が、私を見据えていた。
 魔物、その言葉が稲妻のように閃く。言葉として形をなさない原初的な恐怖が、私を貫いた。
「……!」
 悲鳴を上げようとして反射的に開いた口からは、しかし声は出なかった。私の身体は身構えようともせず、ただぼんやりとその場に立ち尽くすだけ。
 瞳を閉じることすら出来ず、惨劇を予感した私の心は現実から意識を切り離そうとする。
 だがその予想に反して、実際には何も起こらなかった。安堵よりも疑問を感じ、私はおそるおそるもう一度台の上にあるものへと目を向ける。
 そこで、ようやくそれは魔物でも、ましてや生き物ですらないことに気付く。
 一瞬魔物のように思えたものは、恐ろしげな顔をした異形の仮面だった。
 大きく曲がった牙、飛び出た瞳、突き出た鼻面。背面にかけては闇の中でも浮かび上がる白く大きな布と、髪というよりは帯のような数本の黒い布、そしてまるで触手のような数本の白い紐が垂れ下がっている。頭頂部には、血のように赤く、どこか不気味な花を象った飾りがついていた。醜悪な容貌をしたそれは作り物と理解してさえなお、今にも動き出しそうな印象を与えてくる。
 常人なら忌避するだろう異様な形の仮面に、私はなんの躊躇いもなく手を伸ばす。愛しげにその顔を撫でると、冷たい感触が指先に伝わった。しゃらん、と仮面に付いた金の飾りが音を立てる。静かな暗闇に、その音はやけに大きく響いた。
 知らず、私は小さく息を呑み込む。しかし身体は一瞬の躊躇いもなく、異形の仮面をそっと頭に載せた。白い布と黒い布とが翼のように大きく広がり、重力に引かれて音もなく落ちる。
 私の頭よりも大きな仮面は想像に反して、ほとんど重さを感じさせなかった。わずかな違和感もなかった。むしろ、まるであるべきものがあるべき場所に収まったかのような、そんな不思議な感覚さえある。
 異形の装いとなった私の姿を目にし、お婆さまが堪えきれずに言葉を漏らす。
「あぁ……」
 掠れ、途切れたその声はいかなる想いによってのものか。その真意を問う間もなく、仮面から下がる黒布がひとりでに動き出し、私のあごの下で結ばれる。
その瞬間、垂れ下がる数本の白い紐飾りが、意思を持った触手のようにうねった気がした。同時に仮面から、先ほど以上の一体感が伝わる。まるで、この仮面が私の一部になったかのようだった。それとも、私が仮面の一部にされてしまったのだろうか。
「すまないね……」
 重く沈んだ声が、背後からかけられる。
「覚悟は……できています、お婆さま」
 背を向けたまま、私はそれだけを呟く。震える声は、まだ人間としての私のものだった。
 身体がくるりと振り向く。お婆さまに向き直った私の身体は、いつの間にか奇妙な衣装をまとっていた。いや、それは衣装と呼べたのだろうか。ほとんど裸身に近い姿に、胸と股間を隠すだけの役割しかない黒い布。両手と右足にも同じく黒布が巻きつき、胸元からは金細工で装飾された赤い布が垂れ下がっている。
 そのどれもが仮面と同じく、かすかな違和感すらなく、むしろ心地よさにも似た感触を覚える。もはや完全にこの身体――私は人でなくなってしまったのだと、悲しみと共に悟った。
 そんな内心とは裏腹に、どこまでも静かな声で、私は名乗りを上げる。
「私はランダ。ひとたび新で蘇った以上、この命は魔女のもの。この身を魔女の化身とし、主である魔女のために戦うのが私の定め」
 喋っているのは私の意思なのか、それともそうでないのか、既にはっきりとは分からなくなっていた。記憶を失い、死から蘇り、代償に魔女の化身としてすべてを支配されてしまった私には、自分に何が残っているのかすら、もう確かめることは出来なくなっていた。
 ただ一つ分かっているのは――「ランダ」という、魔女の化身、妖魔と化した私の名前だけだった。
 その名前が、重苦しさとなってのしかかる。魂を支配される感覚。これもきっと、魔女の力なのだろう。
 それでも、ランダとして生まれ変わった私は静かな――それでいてその中に悦びすら感じているような――表情を浮かべているようだった。
 心まで魔女の化身となりつつある私に、お婆さまが罪悪感に苛まれ呟く。
「……恨んでくれていい。自然の節理を曲げてお前を生き返らせ、苦しみを課すだけだったこの私を……」
 俯いた顔はフードの影が落とす暗闇に包まれ、その表情を窺うことはできなかった。
 そんなお婆さまを見つめながら私はゆっくりと首を振り、口を開く。
「いいえ、お婆さま。恨んでなどおりません。私は……」
 静かな声で囁きながら、それでも、私の瞳からは後から後から涙が零れ、頬を濡らすのだった。 


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