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『ミルキー・ウェイを見上げて』

 

 両側に家が立ち並ぶ道の向こうから、地を蹴る蹄と車輪の音が響いてくる。

「あ。来た……かな?」

次第に大きくなる音に、僕は背を預けていた壁から離し、庭先へと出て行く。馬車がちょうど家の前に止まるのが見え、僕は小走りに駆け寄っていった。

僕の姿を見、御者台に座った男は軽く頭を下げる。僕の見ている前で彼は懐を探り、紙束を取り出すと慣れた手つきでめくっていく。そのうちの一枚で手を止め、再度書かれた文字を確かめると、こちらに向き直り声をかける。

「ええと、フィーリサリスさんのお宅はこちらで?」

「はい、そうです。ごくろうさまです」

 僕、ルフ=フィーリサリスは男に頷く。彼は僕の返事を聞くと、紙の束から一枚を破き、こちらに渡した。

「では、これがお届け票ですね。内容のご確認を」

 言われて受け取った紙に目を落とし、記された内容を確かめていく。伝票には確かに僕の名前とここの住所が書かれていた。しばし紙の上に視線を滑らし、書かれた品々の数や中身に間違いのないことを確認する。

「はい、確かに」

僕は紙に受け取りのサインを記すと、男へ伝票を戻した。御者は返された伝票にさらに何かを書き込むと、懐へとしまう。

「荷物は全部、この中ですか?」

「ええ」

 僕が尋ねると、彼はそう答える。僕は御者に軽く頭を下げると、馬車の後ろに回った。

幌馬車の中、外からの見た目よりも意外と広いそこには、いくつもの木箱や包みが山と積まれていた。これが全部我が家に届いた荷物――より正確に言うと、前の住居から引越しの際に持ってきた荷物――である。

「うわあ……。必要なものだけ持ってきたつもりだったんだけどなあ」

荷造りしている時はさほど気にも留めなかったが、改めて見ると、結構な量があったものだ。

 流石に一人で降ろすには量が多かったため、御者の男に頼み、二人で荷を降ろしては家の前に積んでいく。それを何度か繰り返し、ようやく馬車から全ての荷物を降ろし終えたころには、僕の息は軽く上がっていた。

「これで全部ですかね?」

 尋ねる男に頷き、僕は答える。

「ええ、ありがとうございました、手伝ってもらって」

「いえ、これも仕事のうちですから」

 僕とは違い、平然とした様子の御者は淡々と答える。

「あ、これ、少ないけどお手伝いしていただいたお代です」

「まいど。では、今後ともごひいきに」

僕が気持ち代わりのお金を取り出して渡すと、御者の男は礼と共にそれを受け取る。数枚のコインをポケットにしまった彼は御者台に戻り、最後にもう一度礼をすると馬車を走り出させた。

「……」

僕は去っていく馬車を見送り、その姿が小さくなっていくのを見届ける。程なくして完全に視界から馬車が消えると、家へと向き直った。

その姿を眺め、腰に手を当てて息を一つ。

「ふーむ」

青い屋根に、白く塗られた壁。住居としてはごくありふれた、小さな一軒家だ。作られてからそれなりに経ってはいるのだろうが、それを感じさせないのはきっと前の持ち主が手入れをしっかりとしていたからだろう。目立たないよう丁寧に補修された跡を見れば、どれだけ大切に使っていたのかは容易に想像できる。

今まで住んでいた故郷を出た僕にとって、この家と町が今日から始まる新たな生活の舞台となる。

 実際には生まれ育ってきた故郷を出、この町にやって来たのは昨日のことなのだが、生活に必要な荷物は今日の便で届くことになっていたので、昨夜は適当な宿に止まっていたのだ。

つまり、この家で暮らす――本格的な新生活が始まるのは、今日が初日ということになる。「クレイドル」という、ある意味で人間族に残された最後の領域の外での暮らしは今までとは違ったものになることだろう。

「我が家、かあ……」

 小さいとはいっても一軒家の主。その響きにはなんとなく満足感がある。

「……ん、と。」

 少しの間感慨にふけっていた僕の意識は、ふと視界に入ったものに現実に引き戻された。それというのは、先ほど荷降ろしを終え、目の前に詰まれたままの木箱やら包みやらである。

今日からこの家で暮らすというのなら、まず始めに庭の一角に山と積まれているこれをどうにかしないといけない。そもそも中身は新生活に必要なものばかりなのだから。

とはいえ荷物はかなりの量で、運ぶだけでも相当な労力が必要そうだということは想像に難くなかった。

僕はしばしその光景を見つめ、やがて覚悟を決めると長い息を吐く。

「……いつまでも放り出しておくわけにもいられないし。ちゃっちゃとやっちゃおうか」

 自分で自分に言い聞かせる。腕をまくり、よし、と気合を入れる。自分の言葉通り、荷物をいつまでもここにおいておくわけにはいかないし、よもや盗まれたりはしないと思うが、最低でも家の中まで運んでしまわなくては。

「よいしょっと」

 僕は手始めに手近な木箱に近寄り、掛け声と共に抱える。中身をぎゅうぎゅうにつめたせいで、箱は見た目の大きさ以上にずしりと重い。

「っく……」

腕に力を込めてそれを持ち上げ、歩き出す。門をくぐり、あらかじめ開きっぱなしにしておいた玄関を通って家の中へと入る。今まで暮らしていた場所とは違う、嗅ぎなれない建物の匂いが鼻をくすぐるのを感じながら、手近な床の上へと箱を静かに置いた。

「ふ〜……まず一個」

重さで箱の角が手にめり込んだ痛みを、手を振って誤魔化す。庭から家の中までそれほどの距離ではなかったが、重さのせいで想像以上に体力を使う。

正直言って、この作業は一人では厳しいものがあった。あと一人でも、人手があれば随分違うと思うのだが。

「まったく……こんな時に限って、あの子はいないんだからなあ」

ふと、脳裏に浮かんだ人物に対して文句を呟く。しかし今現在ここにいない人に文句を言った所で結局は詮無いことだと思い、僕は諦めとともに再び外へと向かった。

 しばし、ひいふぅいいながら僕は大小さまざまな箱を家の中へと運ぶ。一人きりの作業だったとはいえ、黙々とこなしていたおかげか当初思っていたほどには時間もかからずに荷物の全てを部屋の中へと運び終えることが出来た。

「ふぅ……。とりあえず終わったけど……やっぱり結構疲れるな、これ」

 張った腕や肩の筋肉を揉み解しながら、僕は呟く。

 単純な肉体労働は思った以上に体力を消耗させていたらしく、いつの間にか息が上がっている。晴天とはいえ今日の気温はそれほどではないはずだが、背中にはシャツが張り付き、額に汗がにじみ出ていた。

ここ最近は運動不足だったから、少し体力が落ちているのかもしれない。

「ま、体力づくりは今後の課題にしよう。あとは……」

僕は作業の手を一旦止め、額の汗を拭うと室内を見回す。

入り口の脇には、先ほど運んできた木箱やらが積まれて山をなしている。それ以外で室内にあるものといえば、最初から備え付けられているテーブルや棚など、いくつかの家具のみだった。当然のことながら、前の住人が使っていた家具は引っ越す際に持っていってしまったのだろう。

殺風景ともいえる部屋の中からは、以前にあったであろう生活の匂いはほとんど残っていない。がらんとした光景は、どこか寂しげな印象を与える。

「う〜ん。やっぱりこのままじゃ味気ないか。でもまあ、これからここで暮らしていけば、すぐにそんなことも気にならなくなると思うけど」

 そう考えて一人呟くと、僕は部屋の真ん中に置かれたテーブルへと向かい、椅子を引いて腰掛ける。腕を伸ばすとともに背筋を反らし、筋が伸びるのを感じながら静かに息を吐き出した。

「は〜、引越しってのも楽じゃあないなあ」

テーブルの上に上体を投げ出しながら、この後に行うべき作業について考えをめぐらせる。朝、ここに来てから荷物が来るまでの間に簡単に拭き掃除をしておいたので、テーブルは綺麗になっている。べったりと肌をつけても、埃で汚れる心配はない。

とりあえず積荷は全部降ろして家の中に入れた。後で梱包を解いて荷物を取り出してから、それぞれを整理しなくてはいけないが、今日はもう、最低限必要な分だけでいいだろう。残ったものの整理も、てきぱきやれば明日くらいには終わるはずだ。

「今日中は無理でも、明日のうちには整理も終わらせたいよね」

 頭の中で予定を立て、体を起こしてもう一度部屋の中をぐるりと見回す。

壁に見えるドアの向こうには、寝室、その反対側には台所があるだけのシンプルなつくりの家。今まで住んでいたところに比べれば小さな家だが、それでも十分な広さがある。  それに、故郷を離れ、これから新たに暮らす場所になると思うと感慨もひとしおだった。

 しばし、ここでの新生活を脳裏に浮かべる。

 不安が全くないわけではないが、それ以上に期待と希望が大きい。

加えていうなら、今日からここで暮らすのは僕一人だけではないのだ。

 と、玄関のドアが開く小さな音が僕の意識を現実に呼び戻した。直後に誰かが家の中へと入ってくる気配。その人物は遠慮のない足取りで、廊下を進んでくるのが音で分かる。

やってきた人物は部屋の中の様子を窺うように、部屋の入口の所で一度立ち止まる。だが、すぐに中に僕がいることに気付いたらしく、室内に足を踏み入れた。こちらに向かって歩くたびに床板が軋む音が、だんだん近づいてくる。

「……」

 もっとも、僕には玄関のドアを開けた時点で、誰がやってきたのか大体の予想はついていた。だからわざわざ、席を立って確かめたりもしていないというわけである。

というか、この町に引っ越してきたばかりの僕の、この家のことを知っている人物などそうはいない。さらに、この靴や裸足とは違う響きを持つ独特な足音を聞けば、わざわざ振り向いたりしなくとも僕には相手の正体は簡単にわかってしまう。

そんな僕の考えに気付いているのかいないのか。室内に入ってきた相手はまっすぐにこちらへと向かってくる。ドアが開き、閉まる音が消えるよりも早く、かつかつという足音がすぐ側まで近づいてきていた。

足音が僕の真後ろで止まる。椅子に座る僕の背後に立った人物は一瞬のためのあと口を開き、こちらに声をかけた。

「ただいま〜」

 おっとりとした、柔らかな女の子の声。ただ帰宅を告げる短い挨拶にも、どこか甘えるような響きが含まれている。頬が緩むのを感じつつ、僕も挨拶を返す。

「おかえり、フレア」

「わ〜、ルフく〜ん」

僕が返事をするが早いか、少女は腕を体に回し、ぎゅっと抱きしめてきた。ほのかに香るミルクの匂い。暖かな体温とともに、柔らかな感触が背中に伝わる。

予想外の行動にちょっとだけ驚いたものの、なんとか変な声を出しそうになるのは留めることが出来た。ただ、それでもお互いの服越しでもその存在感を示す、少女の持つ二つのふくらみが押し付けられ形を変えるのが分かって、僕は内心どきりとしてしまったが。

そんな心のうちが顔に出るのをなんとか押し隠し、僕は抱きついてきた少女へと顔を向ける。

「遅かったね。どこ行ってたのさ?」

 ほんのわずかでも動けば肌同士が触れ合ってしまいそうな距離、そこにはもう既に見慣れた僕の彼女――フレアの顔があった。

「ごめんね〜。荷物が来るまでちょっとだけお散歩するつもりだったんだけど〜。新しい町を見て回るのが楽しくて〜」

「……そっか。ま、いいけど」

 僕の言葉に咎められていると思ったのか、少しだけばつが悪そうに答えるフレアにそう返す。

本当のところは荷物運びを手伝ってくれなかった文句を一言くらい言ってしまおうかと思ったが、すまなそうに目を伏せるフレアをそれ以上責めるのも気の毒な気がした。そもそも彼女の顔を見ているうちにそんな気はあっさり消えてしまったし。

 言葉を飲み込んだ僕は、間近にあるフレアの顔をつぶさに観察する。

やさしげに垂れた目に、いつも穏やかな微笑を浮かべる口元。「美人」というよりも「かわいい」といった言葉が合う顔立ちは、のんびりおっとりとした彼女の性格をよく表している。温かく柔らかな彼女の印象は、いつしか部屋の雰囲気も変えていたような気がした。

ちなみに先ほど「見慣れた彼女の顔」といったが――いつも笑顔を浮かべ、見るたびに安心感を与えてくれるフレアの顔を見慣れたとしても、僕が飽きるはずなどないことは僕と彼女の名誉の為にここで言っておく。

「えへへ〜」

僕に触れることが嬉しいといわんばかりに、フレアは笑顔で頬ずりする。半ば無意識のうちに目を閉じてしまうが、すべすべの肌が触れ合うのは僕も気持ちよかったので、なすがままになっていた。

やがて頬ずりに満足したのか、フレアは顔を少し離す。その拍子に、少女の様子を見つめる僕の目には、目の前の少女の、人とは違う特徴を持った姿が映った。

大きな目や鼻、可愛らしい口などは人と同じものだが、肩までかかる彼女の髪からは人には無いはずの太く短い角がのぞいている。同じく髪を掻き分けて姿を見せる耳も、肌色ではなく白地に黒いぶち模様を散らした毛で包まれた、人のものとは異なる形をしていた。

視線をずらせば、下半身、スカートから覗く彼女の足は、耳と同じ、白と黒の体毛で覆われている。床に接するのは靴ではなく、硬い蹄。先ほどの独特な響きを持つ足音は、この蹄が立てていたのである。

人とは異なるその姿は、見るものにある一つの動物を思い起こさせる。

――そう、牛である。それも、牧場などで酪農の為に飼育されるような種の牛だ。

「ん〜? どうかした〜?」

フレアは小首をかしげながら僕に問いかける。その度にぴくぴくと動く耳は、よくできたアクセサリの類などでは決してなかった。それも当たり前。角や耳、毛に覆われた下半身などは仮装の類ではなく、フレア自身の体の一部分、生身そのものなのだから。

ちなみに、はちきれんばかりの大きな胸を包むチューブトップは腰に巻きつけたパレオと同じく、体毛ではなく身に付けた衣服である。それもご丁寧に、下半身を包む毛の色と同じく、白地に黒まだらの牛の模様がデザインされていた。

この、牛の特徴を持つ獣人――正確な種族名としては「ホルスタウロス」という――の体が今のフレアの体である。

そう、今のフレアは人間種とは異なる存在、魔物の女の子なのだ。

「いや、なんでもないよ」

 首を振る僕に、フレアは不思議そうな目を向ける。

「そう〜?」

「うん、なんでも」

 だが、僕はそんな彼女の姿に今更驚きはしない。というか、僕以外の人も驚きなどしないだろう。さっきまで町の中を散歩してきていて、騒ぎになっていないのがそのいい証拠である。

 何故かと問われれば答えは簡単。この世界において、フレアのような、人とは異なる姿を持つもの――「魔物」は決して珍しい存在ではない……というよりも、既に日常の中にありふれた存在になっているからだ。

別の言葉で言い表すならば、僕のような「人間種」とフレアのような「魔物」が町の中で一緒に暮らす光景は今日では珍しいものではなくなった、というべきか。

 

それについて語るためには、この世界がたどってきた歴史について少しばかり触れることになる。

 僕達が暮らすこの世界において、「人類」という言葉が指すものは、今から約三百年ほど前に大きく変わった。古くより存在していた「人間」と「魔物」という二つの種族、これがとあるきっかけで統一され「人類」として同じ一つの種になったのである。

以前は異なる二つの種族間で幾度となく戦いが起こっていたらしいが、その長きにわたる争いも、ついには「魔物」側の勢力の勝利という結末を迎えることになる。世は平定され、人々は互いに手を取り合って新しい歴史を紡ぎ始めた。

これが今から約三百年前のこと。

以後二つの種族は同じ「人類」として、世界を統べる魔王様を中心としながら今日まで共に時を過ごしてきた、というわけである。そうした状況で数世紀も過ぎれば、「頭が固い」と言われる人間種たちもいい加減、変化した世界の姿に慣れるというものだった。

 ちなみに「人類」の統一前も、「人間」と「魔物」が共に暮らすというケースはあったそうだ。現代にもそうした者達が書き残した書物などがいくつも残っている。ただ、人と魔が一緒になって暮らすのは現在ほど自然なことではなかったという。

何故なら、姿形・能力・考え方……様々な面で異なる二者は時にぶつかり合うことも少なくなかったからだ。世界が統一された後も、双方の違いに端を発する問題はすぐに無くならなかったらしいが、それも当然といえば当然だったのだろう。

それでもその後、人と魔の双方は時間をかけてその溝を埋め、歩み寄りを進め、生きてきた。その努力の甲斐あって、今の平和な世界があるのだ。どのような試みがあり、どのような苦難があったかということは「学院」でも習ったから、僕も知識として多少なりとも知っている。

統一から数世紀という――特に長い時を生きる「魔物」にとっては――短期間でここまで互いが解け合った社会を築くことができたのは、一つの奇跡だというものもいる。

 もっとも、今この世界で暮らすほとんどの人はこの現状――「人間種」と「魔物」が手を取り合って暮らす姿を見て育ってきているから、特段何かを感じることなく、これが自然なもの、ごく普通の光景だと捉えているのが大半である。歴史だのなんだのについてあれこれ考え悩むのは、やはり人間種の学者くらいのものなのかもしれない。

 良くも悪くも、今の時代は「平和ならいいじゃないか」という考えが多数派なのである。

 

けれども、「同じ人類」といってもやっぱり人と魔の二つは異なるわけで。何もかもが完璧に上手く行くわけではなかったりする。平和な世の中といっても、時に様々な問題が起こったりもするのだ。

 

……などとインテリぶってみたが、世の中に起こる問題の全てが、二つの種族の差と関係があるものではない。むしろ、今の世の中で起こるの多く問題は種族の統一以前からの、人が人である以上、心を持つもの同士が共に生きる以上どこまでも付いて回る問題だったりする。

そう、例えば今の僕が密かに悩んでいるもの――「男女の仲」に関してなんかは。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「あ〜。またぼ〜っとしちゃって。ねぇ〜やっぱりどうかしたんじゃないの〜?」

 間延びしたフレアの声が、僕の意識を引き戻す。声に振り返り改めて見てみれば、肩の上には僕が上の空だったことに少しだけ不満そうな少女の顔。

「いや、なんでもないって」

 頬を膨らますフレアに少しだけ慌てて、それでも内心を表に出さないように僕は答える。

「そう〜?」

「そうそう」

 小首をかしげるフレアの顔を、僕は真っ直ぐに見つめる。しばしこちらに疑惑の視線を向けていた彼女だったが、やがてその顔をへにゃっと緩めた。

「えへへ、なんだかそんなに見つめられたら照れちゃうよぉ〜」

 僕の視線を受け、フレアは軽く頬を染める。困ったように眉根を寄せながらも、彼女はどこか嬉しそうだった。

言われてみれば、僕は鼻先がくっつきそうなほどの至近距離で、女の子と顔を見つめ合っているの状況に今更ながらに気付く。毎日のように見ていた顔だというのに、間近で見るとなんだかいつも以上に魅力的にも思えた。

彼女の視線が僕を見つめ返す。改めて意識してしまうと、途端に恥ずかしくなってしまった。

「……!」

耐え切れずに視線をずらした僕の目に、自分の体に回された華奢な腕が映る。豊満な胸とは別のベクトルで女の子らしさを示す腕に、ますます顔が熱くなる。

なんだか、変な汗をかいてしまいそうだった。というか、既ににじみ出ている。

そういえば先ほど荷物運びを終えて、汗をかいたままで着替えもしていなかった。服がべたつくのは、この状況だけのせいではないのかもしれない。

「あ、えっと。そうだフレア、あんまりくっつかないほうがいいよ。汗臭いかも」

それを口実にして、僕は抱きつく彼女を引き剥がそうと試みる。ちょっとだけもったいないな、と思ったが、その考えは無理やり頭から締め出した。

流石のフレアも汗臭いと言われれば抱きついている状態からは離れるだろう。これで少なくとも密着した状態からは解放されるか、と僕は考えたのだが、その想像は全くの見当はずれだった。

「え〜? そんなことないよ〜。ルフくんはいい匂いだもん」

 僕の言葉にきょとんとしたのも一瞬、彼女はそう言うと先ほど以上に体を密着させてくる。そのせいで、大きな胸が先ほど以上に強く押し付けられ、耳元に吐息がかかる。意識せずともすぐ側にいるフレアの匂いが漂ってくる。温かく、やさしく包んでくれるような、安心できる匂い。僕なんかより、フレアの方がいい匂いがすると思う。女の子はみんな、こんな匂いがするのだろうか。

 なんだか、このままフレアの匂いに包まれていたくなってきてしまう。ぼんやりと考える僕に、体に腕を回して抱きついたまま、フレアは耳打ちする。

「ねえねえ〜」

「ん?」

 なにかをおねだりするような、フレアの口調。再び彼女を不機嫌にはすまいと、僕はその声に耳を傾ける。だが、その口から飛び出したのはおねだりという意味では想像通りの、またその中身と言う意味では全くもって想像していなかった言葉だった。

「ね、ルフく〜ん……えっち、しようよぅ〜」

「ぶっ!?

 あまりにもストレートな言葉に思わず噴出す。面と向かって話すような状態でなくてよかった。もし目の前にいたら、思いっきりつばを飛ばしてしまっていただろう。

「ね〜? だめ……?」

そんな僕に構わず、ホルスタウロスの少女は耳元で言葉を重ねて尋ねる。体に回されていた彼女の手は僕の胸からおなかの方へと、そっと撫でるようにゆっくりと動いていく。

「わたしね〜……ルフくんと、気持ちよく、なりたいな〜……」

 ちら、と目を向ければ至近距離でこちらを見つめる少女の顔。やや上目遣いの視線にうっすらと上気した頬は、反則といっていい破壊力を秘めていた。この顔はどんな頼みでも、無条件で男に頷かせるだけの力を持っているような気さえする。

多分、この状況ではほとんどの男は少女の頼みを断ることが出来ないだろう。

 実際、僕も一瞬、思考が止まったくらいである。

 それなのに。そう、その魅力は十分すぎるくらい理解していたし、効果があったというのに。

「あ〜……」

 僕は即答できず、言葉を濁してしまっていた。

「その、ええと……」

開いた口から歯切れの悪い音を吐き出し、わずかに目を伏せる。下腹部の辺りまで伸ばされたフレアの手をつかむと、その動きを止める。

 誤解のないように言っておくと、僕は決してフレアと「すること」が嫌だと言うわけではない。まがりなりにも僕とフレアは「彼氏・彼女」の関係なのだから。それに男である以上、僕だって当然、彼女と「そういうこと」をしたいと思ったことは幾度と無くある。

 ただ、現実には僕達は――というよりも、僕が――最後のラインを越えられないでいた。そもそも、自分から彼女を誘うことすらしていないのだ。大体においてその話題を切り出すのは、フレアの方。しかも、今みたいに彼女の側から誘ってくれても、なんだかんだと理由をつけて断ったり、誤魔化してしまっている始末である。

 ここまでお膳立てされて「しない」など、他人から見れば単なる臆病者、といわれるだけだろう。実際、知り合いなんかには変わり者だと随分とからかわれたものだった。自分でも意気地無し以外の何物でもないと思うだけに、言い返せない。

このままじゃいけないとは、自分でも思っている。思っているのだが……。自分から誘うことはおろか、それを話題に出すことすら出来ないでいた。挙句の果てに今さっきの通り、彼女の誘いに素直に「じゃあ、しようか」とも言えない体たらく。

「……」

 僕の自己嫌悪やらなにやらが生み出した、数秒にも満たないだろうわずかな沈黙。

だが、ホルスタウロスの少女にはそれだけで僕の心情を察するのには十分だったらしい。

僕のためらいに敏感に気付いた彼女は、あっさりと体にまわしていた腕を解く。

「……あ、ごめんね〜。ちょっと〜いきなりすぎだったよね〜」

 謝り、ばつがわるそうな表情を浮かべたフレアはすっと離れ、僕から距離をとる。

「あ、いや、フレア……」

僕は椅子から腰を浮かせると、今度は内心を隠す余裕もなく、慌てた表情そのままに口を開いた。彼女の名を呼び、なにか声を発しようとする。

「ううん、いいよ〜」

 だが、彼女は僕の言葉を振り払うようにかすかに首を振った。寂しげな微笑を浮かべ、フレアはくるりと僕に背を向ける。

「あはは……私〜、ちょっとお買い物にでも行ってくるね〜」

「待っ……」

僕は反射的に立ち上がり、歩き出したフレアを引きとめようとしたが、口から漏れた音は言葉にはならず、足を一歩踏み出すことも出来なかった。

結局、中途半端に伸ばした手はむなしく空を切る。僕には目の前で歩み去る彼女を止めることはできず、フレアは部屋を出て行ってしまった。扉が閉まる音が、やけに耳に残る。

「……はぁ」

ドアを見つめ、溜息とともに力なく椅子に腰掛ける。さっきよりも部屋が広くなったような錯覚に陥りながら。僕は自嘲気味に呟いた。

「……なにやってんだ、僕は」

 

・・・・・・・・・・・・

 

「はぁ……」

 もう何度目かも分からない溜息が漏れる。

 ホルスタウロスの少女がこの場から去ってからしばらくの間、僕は椅子に腰掛けたままぼんやりと考えごとをしていた。

 その中身は当然、先ほど出て行ってしまった僕の彼女、フレアのことである。

 

 僕とフレアが出会ったのは、ここに引っ越す前に暮らしていた人間種の保護領域、「クレイドル」の中。「学院」の入学式の日に、自分の教室が分からなくなっていた女の子を見かね、声をかけたのがきっかけだった。

その後すぐに共に同じ学年、同じクラスの生徒ということが分かり、いつの間にか仲良くなり、その延長として自然に付き合いだした、というのがなれそめになる。

 僕とフレアの付き合いは友達以上恋人未満といったもので、良くも悪くも大きな波風が立つことはなかった。僕らはそれでも十分だと思っていたが、えっちとは無縁の付き合いを続ける僕らは、世間の常識に照らしてみると随分と変り種のカップルだったようである。

愛し合う恋人同士が体を重ね合わせ、深く結びつくことこそ愛の証という考え方が常識なのだ、変に思われないほうがおかしいのも分かる。例えば、クラスメイトに「恋人同士になったのに彼女とえっちしないなんて、変わってるね」などと何度か言われたこともあった。実際、生徒達のおしゃべりの中で「昨日は恋人と何回した」だの「どういうシチュエーションが興奮する」だの「週末には彼としちゃう予定」だのといった話題が飛び交っているのを聞けば、僕らは随分と変わった付き合い方をしているのかもと思い、フレアとはこのままの付き合い方でいいのか、と考えることもあった。

それでも僕らは学院入学から卒業まで、小さなけんかくらいはあったものの、別れるような気配を感じることはまるでなかった。学院生時代をずっと一緒にいたのだから、考えてみればフレアとの付き合いは結構な年数になる。もちろん互いの全てを理解してる、なんてことを言うつもりはないけれど、一緒にいた長さの分だけ、他のクラスメイトよりは彼女の事を分かっているつもりだった。

 が、ここ最近、僕は彼女のことが分からなくなってしまった。僕の悩みの大半は、結局の所それに集約される。

おそらく、というか確実に、その原因は僕の恋人である彼女、フレアが人間から魔物になったことと関係があると思う。

僕と同じくフレアも人間種の保護領域「クレイドル」出身ということからも分かるとおり、元々は彼女も僕と同じく人間だった。両親も、その親も、祖先を辿っていってもなんら変わった所のないごく普通の「人間種」の家系である。

ただ、今の世の中では生まれたときに人間種だからといって、死ぬまで人間でいる者ばかりではないのだ。今の時代、人間が魔物になるのは別段珍しいことでも何でもない。

実を言うと、学院の中でも卒業を控えた学生のうち、結構な数の女の子が人間から魔物になっているのである。僕らと同じ卒業生の中にもサキュバスやらラミアやら、ちょっと変わったところだと茸の魔物、マタンゴになった女子もいたくらいである。

フレアもその一人。彼女が魔物になったのは学院卒業の直前、つい先日のことである。

僕はその場面を実際に見たわけではないのだが、なんでも転送装置を使って魔王城に行き、魔物になる儀式だか何だかを受けて、ホルスタウロスにへと変わったのだそうだ。

ちなみにフレアが魔物になる、ということは卒業のかなり前からフレア自身の口から聞いていたし、儀式を受けて魔物になったことも、その後すぐさま会いにきた彼女から報告を受けていた。

ちなみにフレア、魔物になった当初は色々と勝手の違う体に戸惑っていたようだったが、数日のうちにすっかり慣れたらしい。最近では既に人よりも優れた身体能力などの魔物の特性を様々な面で有効活用しているようである。例えば、今朝の食卓に並んでいたミルクは彼女のお乳だったりする。

そんな風に、ここ数日でフレアは昔の彼女を知らない人や、今の彼女を初めて見る人からすれば、元からホルスタウロスだったと思われてもおかしくないくらいの馴染みっぷりを見せてくれている。

とはいえ、それだけを見れば自然でも、人間だった頃のフレアを知っている者からすれば、今のフレアを見ていてどうしてもギャップを感じてしまうことがあるわけで。

元々はおとなしい、というよりも引っ込み思案とすら言っていいような彼女がことあるごとに体――特に胸――を触れ合わせてきたり、さっきのようにストレートに行為を求めてきたり。そんな「今までと違うフレア」を感じるたびに、僕の中では言い表せない戸惑いが大きくなっていく。

ただ、誤解をしないでもらいたい。世間一般の一般価値観と同じく、僕も魔物に対して偏見は持っていないし、「彼女が魔物になったこと」自体に対してはなんら文句もない。彼氏だからといってそんな決定権を持っているわけでもないし。

 フレアが求めてくるのは、彼女が僕のことを好きだから、ということは多分、間違ってはいないと思うし、思いたい。他人から見ればうぬぼれも甚だしいと言われるかも知れないが、数年以上付き合ってきた彼女なのだ。それに僕だって、フレアが僕のことを好いてくれるのと同じか、それ以上に僕も彼女のことが好きだ、と嘘偽りなく言うことが出来るから、分かる。

 それなのに一線を越えられないのは何故か。いや、その答えはもうとっくにわかっている。ただ、頭では理解していても心までは納得していない……というか、行動に移すことができない。行動に移るまでに、戸惑いを消しきれないのである。

 そう、問題は僕が感じている感情なのだ。

今までのフレアなら口にすることなど無い誘惑の言葉を発し、かつての彼女からは想像すら出来ないような積極的なスキンシップを求めてくる現在(いま)のフレア。女の子にここまでさせておきながら、僕は戸惑いどう接していいか分からなくなってしまっているのである。情けなくも、申し訳なくもある。いつまでもこのままでいいわけがないという焦りもある。

でも、それ以上に怖いのだった。

家族や恋人が人から魔物になる。「人類」という言葉がはるかに広い範囲をカバーするようになった今の時代、そんなことは珍しくもなんともないのだが。それでも、やっぱり身近にいる少女の言動や態度に、ふとした拍子に「変化」というものを感じさせられることがある。

 そして、その変化に対し自分はどのように対応すればいいのか、まるで答えが見つからないのである。彼女の変化は僕の心に戸惑いを、戸惑いは恐怖を生み、彼女に応えてやれない自分の情けなさは焦りを生むばかり。もやもやばかりが大きくなるばかりで、どんどん答えが覆い隠されていってしまうような気さえする。

 

 心の中で唸りながら考えをめぐらせていると、ふと、一つの疑問が頭に浮かんだ。今まで気にさえしていなかったが。考えてみれば疑問に思うのも当然の問いである。

 

そういえば……そもそも、何で彼女は魔物になったのだろうか。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 結局の所、黙考しても新たな疑問が生まれただけで、答えは相変わらず出そうになかった。考えても出ない答えを求めるのは諦めて、僕は椅子に腰掛けたまま背を弓なりに反らせる。視界の中で天地逆になった部屋の様子をぼんやり眺め、そのままの姿勢でポツリと独り言。

「……どうしたものかな」

 短いその言葉には色々な意味が込められていたが、僕はわざとそれらを考えることを避けた。思考を纏めようともせず、手足を投げ出して椅子の背もたれに寄りかかる。

視界の端には、山積みの荷物。

「食器とか衣服とか、なんとかしないとなあ」

口に出しては見たものの、しかし今日はもう、荷物の片づけをする気などすっかりなくなってしまっていた。

姿勢を戻してテーブルに再び突っ伏すと、僕は目を閉じてぼんやりと時間を過ごす。

 

どれくらい時間が過ぎた頃だろうか。いつの間にか自分以外に気配が一つ、室内に増えていることに僕は気付く。あまりにぼうっとしていたせいで、ドアの開く音はおろか、いつ部屋に入ってきたのかも全く分からなかった。

もしかしてフレアが帰ってきたのだろうか。確かめたいとは思ったが、しかし、彼女がどんな顔をしているかと思うと、なんとなく、目を開けるのが怖かった。

期待と不安をない交ぜにしたまま、僕は目を瞑り続ける。

その間に近づいてきていた気配は僕の目の前までくると、そこで動きを止める。言いようのない恐怖に、僕は無意識のうちに瞼を強く閉じた。

と、予想していたものとは別の声が僕にかけられる。

「何だ少年。折角の引っ越し祝いに来てみればこんな所で昼寝か?」

「え? あ……」

間近で聞こえた声に目を開ければ、腕組みをしてこちらを見下ろす女性の姿が視界に入った。凛々しいというよりも、鋭いといった言葉がぴったりなツリ気味の瞳と目が合う。

すらりと伸びた手足。褐色の肌を持つ体は無駄なく引き締められ、薄紫色をしたくせっ毛が後頭部で無造作に束ねられている。身に纏うのは所々破け、擦り切れたデザインの野性味溢れる印象の衣服。少ない布地からのぞく肌には奇妙な紋様が描かれ、彼女の姿に不思議な魅力を持たせている。

「ヒルデ……さん」

ぼんやりとその姿を見つめながら、僕は目の前の人物の名を呼ぶ。彼女はヒルデさん。魔物の一種である「アマゾネス」の女性で、髪からのぞく硬質の角や腰から生えた羽根と尻尾、尖った耳はその証である。

僕とヒルデさんは「クレイドル」に暮らしていた頃からの知り合いで、面倒見のいい性格から、僕にとっては歳の離れたお姉さんといった感じの人だ。

といっても生粋の魔物である彼女は、元から「クレイドル」に住んでいたわけではなく、あちこちを旅する途中で僕らの住む「クレイドル」によく立ち寄る旅人という存在だった。旅暮らしで蓄えた豊富な知識を持ち、、珍しい外の話をたくさんしてくれる彼女は子どもだけでなく、大人たちからもいつも歓迎されていた。

ちなみに、この家や引越しの手配に関してもいろいろと彼女のお世話になっている。

「すみません、ぼうっとしてました」

知人とはいえ来客に対していつまでも机に突っ伏した姿勢のままでいるわけにもいかず、僕は体を起こすと、彼女に向き直る。

「あ、ちょっと待っててください。引っ越したばかりで見ての通りの状況ですが、確かお茶くらいはあったはず」

「いや、気にするな。たまたまふらりと立ち寄っただけだからな」

軽く頭を下げ、何か飲み物でも用意しようと立ち上がりかけた僕をヒルデさんが制する。彼女は手近な椅子を引き寄せると、テーブルを挟んで僕と向かい合うように腰を降ろした。ゆっくりと息を吐き出し、くつろいだ表情を見せる。

だがそれもつかの間、正面から僕の顔を見つめた彼女は、腕を組んで呆れ顔を浮かべた。

「……少年。今日は随分ひどい顔をしているな」

「そんな顔してますか」

 僕が尋ねると、ヒルデさんは頷き、即答する。

「ああ。まるで精気を根こそぎ奪われたような顔してるぞ。知らないうちに人間を辞めて、ゾンビになったのかと思ったくらいだ」

「……そこまでひどくはないと思うんですが。というか、男性のゾンビっていませんよね」

 気落ちしていたのは事実だから認めるものの、流石に死人扱いはあんまりではないかと非難の意を込めて僕はヒルデさんに視線を向ける。が、まるで効果はなかった。

げんなりして溜息を吐くと、ヒルデさんは真面目な顔になって僕の顔を覗き込む。

「どうした? 何かあったなら力になるぞ」

 こういうところが、皆から頼られるヒルデさんらしいところなのである。ただ、「彼女とけんかした」などとストレートに言うのも恥ずかしく思えて、僕は口ごもる。

「あ、いえ。その」

 正直なところ、自分ひとりではどうすればいいのか分からなくなっていたのも確かなので、ヒルデさんの言葉はありがたかった。「最近フレアと上手くいっていない」なんて部分はなんとか上手く誤魔化せないものかと僕は考える。

 しかしそこはヒルデさんの方が一枚上手だった。僕の葛藤をあっさりと見抜き、すっぱりと言い放つ。

「フレアとけんかでもしたか」

流石はそんじょそこらの男よりも男らしいアマゾネス。単刀直入である。

「……う」

「何だ? 図星か。まあ少年が悩むとしたら、大体はフレアとのことだろうとはおもったが」

 僕の表情から確信を得たらしく、肩をすくめるヒルデさん。完全に読まれている。なまじ付き合いの長い知り合いだと、隠し事もできやしないので困ってしまう。

 やれやれといった調子で首を振り、彼女は言葉を続ける。

「仕方のない奴だな。彼女とはこれから一緒に暮らすのだろ? 初日にけんかしてどうする」

「……うぅ」

 真正面からちくちくと責められ、僕は視線をそらす。ヒルデさんの言うことは全くその通りなので、弁解の言葉もない。俯いた先では、彼女の尻尾がゆらゆらと揺れていた。

 いたたまれなくなってちぢこまる僕に、ヒルデさんは心持ち顔を緩めると、言う。

「とはいえ、知り合い二人の仲が上手く行っていないのでは私としても気になるしな。相談くらいは乗ってやるぞ」

「え? 本当ですか?」

「こんなことで嘘をついてどうする。それに少年の顔には、『誰かに助けて欲しい』と書いてあるぞ。流石に無視するわけにもいくまい」

 なんだかんだ言っても、こちらが困っていると分かれば損得抜きで力を貸してくれるのがこのアマゾネスの女性なのだった。ヒルデさんは室内を見回し、頷く。

「ふむ……相談するだけなら場所はどこでもいいのだが、家に閉じこもっていては気が滅入るばかりだな。場所を変えるのも一つの手、か」

 確かに、さっきから沈みっぱなしだった僕のせいで部屋の中にはどんよりとした空気が溜まっていると言えるかもしれない。

 そうこうしているうちに考えが纏まったのか、ヒルデさんはもう一度頷き、椅子から立ち上がった。彼女は僕を見下ろし、有無を言わせぬ口調で言う。

「よし、出かけるぞ」

「え?」

 思わず聞き返した僕の手を取り、立ち上がらせた彼女はそのままずんずんと歩き出す。

「ちょ、ちょっと?」

「いいから、任せておけ」

抗議の声を上げるも、ヒルデさんはまるで聞く耳を持っていなかった。人間よりもはるかに強い魔物の力を振りほどくことも出来ず、僕は腕をつかまれたまま引きずられるようにして彼女に連行されていくのだった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 アマゾネスのヒルデさんに拉致といってもいいような状態で僕が家から連れ出されてしばらく後。

今現在、僕は町の商店街の一角、とある喫茶店の中で彼女と向かい合って座っていた。家から商店街まではそれなりの距離があり、ここまで来るのも僕にとってはちょっとした運動といったところだった。ソファーに深く座り、足を伸ばす。

余談だが、この店に入るまで僕は路上で何度かサキュバスや妖狐といった魔物の女性に声をかけられていた。しかも彼女たちの誘惑の眼差しや言葉は、そこに込められた魔力のためか流石に強力で、僕一人だったら抗うことなど出来なかっただろう。もしも誘いに乗っていたら、その後、どうなっていたことかは想像に難くない。

実際には、ヒルデさんがその眼光で追い払ってくれたおかげで何も起こらなかったわけだけれど。

「こんな喫茶店があったんですね」

「なかなかいい店だろう? もちろん、味のほうも保証するぞ?」

 僕の言葉に得意げに返すヒルデさん。しかしそれも頷けた。

店の規模はそれほど大きくはないが、店の外も中もよく手入れが行き届いており、色使いと相まって落ち着いた雰囲気を与えてくれる。

「こういう店、よく行くんですか?」

僕の質問に、ヒルデさんが眉を上げる。

「ん? まあな。なんだ、私のイメージからは意外か?」

「いえ、そんなことはないですけど」

 そう答えたものの、正直にいうと意外だった。

ヒルデさんはもっとこう、酒場みたいな雰囲気のところを好むと思っていた。無論、本人を前にして馬鹿正直に言いはしないけれど。

「ふらふらと旅暮らしをしていると、こういう落ち着いた店が恋しくなることもあるのさ」

 彼女は店内を見回し、呟く。

昼過ぎの店内はなかなかに盛況らしく、目をやれば数人の店員が慌しく動いている様子が見えた。ウェイトレスの女の子達の頭に、角やら獣の耳やらがついていたりするのはアクセサリなどではなく、彼女たちが魔物だからなのだろう。

硝子越しの外では、晴天の空からは日差しが降り注ぎ、店内には談笑する客の声が響いている。のどかで平和な昼下がりの光景だ。

ちなみに。ここから見える町の様子は、今まで暮らしていた「クレイドル」の姿とあまり大きくは変わらない。ただ、道行く人々――特に女性――の姿は皆、僕のような人間種とは異なり、魔物として種族ごとの特徴的な姿を見せている人がほとんどだ。一応、男性は僕と同じく一見すると人間に見える姿をしているが、おそらくはそのほとんどがインキュバスになっているのだろう。

結界に守られたクレイドルの外では、人の目には見えないものの、大気中に高濃度の魔力が含まれている。そんななかに何の対策もせずに一月もいれば、人間の体は魔物のそれに変わってしまうらしい。もっとも、クレイドルの外で暮らす人間種の多くは大気中の魔力が浸み込んで魔物になるよりも早く、恋人との性行為などで魔力を取り入れて変わってしまうのだろうけど。

それと特徴的といえば特徴的だったのは、人目を気にせずキスしたりしている魔物の娘さんが多いことくらいだろうか。やはり魔物の皆さんはクレイドルに暮らす人間よりも積極的なようだ。

そこまで考えて、僕は自分たちカップルが世間の一般常識と如何にずれていたかを再認識する。思えば、僕が人前でフレアにキスをした記憶など無い。そもそも、デートらしいデートすら数えるほどしかしたことは無かった。

「ご注文はお決まりですか?」

ぼんやりと窓の外を眺めていた僕は、間近でかけられたウェイトレスの声に我に返る。 

声のした方に顔を向けると、いつの間にか十六、七歳くらいのウェイトレスの少女がテーブルの脇に立っていた。どうやら僕が取りとめもない考えに没頭しているうちに、ヒルデさんが注文をすべくウェイトレスを呼んでいたらしい。

僕の視線に気付いたのか、ウェイトレスはにこりと微笑む。同時に頭上の猫の耳が動いた。どうやら彼女は猫の特徴を持つ魔物の女の子らしい。

 メニューの書かれた紙を見つめ、ヒルデさんはわずかに考えた後注文を告げる。

「私は……そうだな、コーヒーでも飲むか。少年はどうする?」

 ヒルデさんが視線を向け、僕に尋ねる。別にのどが渇いていたわけでもなかったが、何も頼まないのも店に悪い気がして、僕は差し出されたメニューにざっと目を通した。

「ええと、あ、じゃあ僕も同じので」

 あまり時間をかけるのも悪いと思ったので、深く考えることなくヒルデさんと同じものを注文する。

「コーヒー二つですね。少々お待ちください」

 ウェイトレスはメモに二人分の注文を書き込み、ポケットにしまう。

少女はメニューを下げると最後に僕の方を見つめ、意味ありげにウインクをした。

「?」

いまいちその意味の分からなかった僕は小首をかしげる。

そういえば、改めて見てみるとウェイトレスたちの衣装は結構きわどいものだった。大きく開いた胸元もそうだが、見えるか見えないかくらいの非常に短い丈のスカートは、そよ風でも吹いたらめくれ上がってしまうのではないだろうか。

と、僕の視線に気付いた彼女は何故か舌なめずりをした。

「あの……?」

 さっきからウェイトレスの意図するものがなんなのかさっぱり分からず、僕はその意味を問おうとする。

だがそれよりも早く、ヒルデさんが彼女に目を向けた。

「すまないが急いでもらえないか? のどが渇いているんでな」

「あっ……はい、すみません、ただいま」

ヒルデさんの視線を受けると、少女は慌てて軽く頭を下げ、厨房へと戻っていってしまった。なんとなくだけど、一瞬がっかりしていたような気もする。

「なんだったんだろう?」

きわどいミニスカートからからのぞく、猫の尻尾を軽やかに揺らして歩くウェイトレスの後姿を何とはなしに見送っていた僕の耳は、すぐ側から響いていたぶつぶつと呟く小さな声を捉えた。

「……まったく。油断も隙もありゃしない。まあ、他の魔物の女性の匂いがしない男性がいれば、誘いたくなるのも無理はないか。やれやれ……少年もさっさとフレアとヤってくれれば、私がこんなお守りをする必要もないのだが……」

 小声のせいで何を言っているのかはよく聞き取れなかったが、その表情から察するにあまり楽しい話題ではないようだ。僕はおそるおそる、ヒルデさんに声をかける。

「あの、ヒルデさん?」

「ん? ああ、いや。なんでもないから気にするな」

気のせいか、わずかに慌てたように見えるヒルデさんはお冷を一口飲む。明らかに誤魔化されたとは思ったが、僕もそれ以上追求する気はなかった。

ヒルデさんはコップを置くと、真面目な顔で僕に言う。

「さて、ただ茶を飲みにきたわけでもないしな。さっさと本題に入るか」

「あ、はい」

 真っ直ぐこちらを見つめるヒルデさんに、僕も真面目な表情を作る。

「と、言ったものの……とりあえずは状況を聞かないとなんとも言えんしな。どれ、話してみろ」

「ええと、何から話せばいいんでしょうか……」

「とりあえずは全部だ。話しやすい所からでいい」

 彼女に促され、僕は頷くと事の次第を少しずつ、言葉にしていった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「……と、大体はこんな感じです」

 魔物になったフレアを最初に見た日のこと、その日以降のフレアの言動。引越しを決め、フレアと一緒に暮らすことを決めた日のこと。今日フレアとの間に起きた出来事、最近自分が考えていたこと、とにかく思いつく限りのことを一通り話し終わった僕は、カップを持ち上げ、コーヒーをすする。コーヒーはすっかり冷めてしまっていたが、それでも話し続けて渇いた喉を潤すくらいの役にはたった。

「なるほどな」

 僕が話す間、ずっと目を閉じ、口を挟まないでいたヒルデさんは、全てを聴き終わった後でそれだけを言う。彼女もまた自分のコーヒーに口をつけ、中身を一口すすった。

それからカップをテーブルに置くと、まぶたを上げ、心底あきれ返ったような表情を浮かべた。

「随分と思いつめた顔をしていたから、どんなに深刻な状況かと思ったが……話を聞いてみると予想以上につまらんことで悩んでいるものだな、少年」

「な……っ! つまらないことって!」

 時間を無駄にした、といわんばかりの態度と、あまりな物言いに思わず声を荒げ、僕は席から立ち上がりかける。

だがヒルデさんはそれを視線だけで制した。鋭い眼光に射すくめられ、僕はのろのろと椅子に腰を下ろす。それに、冷静になってみればここは店の中だ。騒ぐのはマズイだろう。

そう考える僕の様子を見、少しは落ち着いたと思ったのか。ヒルデさんは小さく息をつくと口を開く。

「まあ、『つまらないこと』というのは少々言葉が悪かったかもしれんな。すまん。だがそれにしても、先ほどの少年の話を聞く限り、悩み自体ははっきりとしているし、そもそも答えもとっくに出ているような気がするのだが?」

「……」

 押し黙る僕に、ヒルデさんの言葉が続く。

「とはいえ、相談に乗るといった以上、少しばかりの手伝いはしてやろう。そうだな、まず悩みをもっとはっきりさせる所からはじめるか。まず一つは、『ずっと付き合ってきた恋人が魔物になって変わってしまった気がする』だったな?」

 僕の顔を覗き込み、反応を確かめながら、ヒルデさんが尋ねる。

「はい。あ、もちろん外見的なことじゃなくて」

「分かっている。彼女の言動や態度、要は内面的な問題の方だろう? 少年があの子に戸惑っているというのは」

 その言葉に僕が頷くと、ヒルデさんは少しだけ言葉を選ぶように宙に視線を巡らせた。

「私もそんなに学のある方ではないし、生まれつきの魔物だからな。人間から魔物になった場合の変化についてちゃんと説明することは難しいが……。少なくとも今まで見てきた者たちの様子から考えるに、あの子が人から魔物になったからといって、精神が全くの別物に変わってしまった、というわけではないだろうよ」

 ヒルデさんの言葉に、僕は口を挟む。

「でも……今のフレアは」

「以前のあの子を知っている少年からすると、別人のように感じられることもある、だろう?」

「ええ。それが悪いというつもりはないんですけど、どうしてもそう感じてしまって」

 段々小さくなっていく僕の言葉に、ヒルデさんはううむと唸る。

「そう感じるのは少年自身の問題だから、私が直接どうこうしてやることは出来ないが……。悪いというつもりはないのならいいではないか」

 それでも納得できない僕に、彼女は続ける。

「ただ、そうだな、人間が魔物になれば、必然的に人間のときとは物の見方や考え方が変わってくることはあるだろう。そして考え方が変われば行動も変わる。例えばだな、『今までは出来なかった形で、少年との距離を近いものにしたい』と思い、実行するとかな」

「……」

「別におかしなことでもあるまい? 好き合う二人の距離をもっと近づけたいというのは、ごく自然な願いだと思うが。いくら変わり者といわれた少年だって、そういう願望はあろう?」

ここからは推測だが、と一言付け加えると、彼女は言葉を続ける。

「それで、折角魔物になったのだから、『魔物らしく』自分から働きかけてみようと思った、というのがあの子の行動の動機なのではないかな。根底にある想い自体は変わらず、その表現方法が変わっただけの話だ。けれど以前のフレアを知る少年には、そのギャップが大きすぎて、その気持ちを受け止める以前に、あの子の真意を察する余裕もないほど動揺してしまった、といったところではないか?」

 自分一人では思いつかなかった、いや、うっすらそうじゃないかと思っていてもそこまできちんと纏まらなかった考えが、すらすらと言葉になって語られていく。

「で、そう決めて行動を起こしたあの子に対して、少年がどういう風に答えを返すかというのが大事なわけだ。『今までとは違う、彼女の態度にどう接していいかわからない』……か。なんとも単純で贅沢な悩みだな、少年」

 からかうような彼女の声に、いまさらながらに頬が熱くなる。その様子を微笑みながら見つめ、ヒルデさんは言った。

「この問題は結局のところ、少年があの子をどう受け止めてやるか、ということに尽きるよ。難しく考える必要のないことを、あれこれ考えすぎなんだと私から見れば思うがな」

「難しく考えすぎ、ですか」

「そうさ。好きなんだろ、あの子のこと」

直球な問いに答えるのは少し恥ずかしかったが、ここで答えないのはフレアに対して悪い気がした。僕は顔を赤らめつつ、蚊の鳴くような声で答える。

「えっと……はい」

 僕の答えに満足げに頷き、彼女は続ける。

「うん。私にそう答えられるのなら、心配することは無いな。それに少年はあの子が人間からホルスタウロスになった時、外見が変わったからといって嫌いになったりしなかったんだろう?」

「はい。見た目が変わっても、フレアはフレアですから」

 僕の言葉に、ヒルデさんは呆れ気味の吐息を一つ。

「そこまで言えるのに、なんで悩むんだかな。あの子から冷たくされたというならまだしも、より直接的に好意を伝えられたからといって戸惑うというのもおかしな話だ。まさか自分に彼女の好意が真っ直ぐに向けられていることに、気付いていなかったわけじゃあるまい」

「……ええ」

 いくらなんでも自分はそこまで鈍感ではない。と、思いたかった。

「まったく、学院を卒業して、『クレイドルを出て恋人と一緒に暮らす』と言うから少しは大人になったと思っていたが、そういうところはさっぱり成長していないな。変わり者だからか、それとも初心なのか。不器用というか、臆病というか」

「うぅ」

 痛い所を突かれ、僕は呻く。薄々感じていることを改めて指摘されるのは、結構きついものがあった。

「ま、偉そうなことを言ってしまったけど、大事なのは少年の気持ちだよ。さっき自分で言った言葉のとおり、あの子のことを好いているのは本当なんだろう? ならあまり難しく考えず、時には相手の誘いに乗って、身を任してしまってもよかろうよ。『してあげたい』という彼女を受け止める。それも男の甲斐性だぞ?」

「……」

 ヒルデさんの言葉に反射的に僕は「その光景」を思い浮かべてしまい、既に赤い頬をさらに染める。僕の顔を覗き込み、それに気付いた彼女はいたずらっぽい表情で言う。

「なんだ、まんざらでもなさそうじゃないか。いやいや、女性が主導権を握って、というのはいいものだぞ? 今度あの子が誘ってきたら、いや、誘ってこなかったら少年から頼んでみるといい」

「い、いえ! あの!」

 慌てて言い返そうとする僕に、彼女は笑う。

 だが、不意にその笑いが止まり、代わりに焦燥にも似た表情が浮かび上がった。

「……! しまった!」

「どうしたんですか?」

 突如顔色を変えたヒルデさんに戸惑いながら尋ねると、彼女にしては珍しく焦りを隠そうともせずに叫んだ。

「あの子が――フレアがいた!」

「ええ!?

 予想外の事態に思わず振り返った僕の視界の端に、見慣れた白地に黒縁模様の体が一瞬だけ映る。が、それも道行く人ごみに紛れ、すぐに見えなくなってしまった。

「私としたことが迂闊だった。いま外からこっちを見ていたんだが、私と目が合った瞬間走って行ってしまった。くそ、妙な誤解をされたかもしれん」

 呆然と窓の外を見つめる僕に、ヒルデさんの声が飛ぶ。

「何ぼさっとしてる!? 追いかけろ少年! すぐに!!

「あっ……!? はい!!

 彼女の怒声に背を叩かれ、我に返った僕は弾かれたように駆け出す。店員や客が何事かと目を向けてくるが、今の僕には気にしている余裕はなかった。

最後にちらりと背後を振り返ると、申し訳なさそうな表情を浮かべたヒルデさんの姿が視界の端に映る。

「ありがとうございました、ヒルデさん! やるだけ、やってみます!」

 それだけを叫ぶと、僕は店を飛び出す。道行く人の間をすり抜け、時に無理やり掻き分けるようにして、僕は恋人の姿を求めて町へと駆け出していくのだった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

――少しだけ、時は遡る。

 

 町の中、人通りも多い商店街を一人の少女が歩いていた。晴れた空から降り注ぐ陽射しに照らされ、道行く人々の表情は皆明るい。

しかしその中でただ一人、ホルスタウロスの少女の顔だけが曇っていた。いつものやさしく柔らかな笑顔は影を潜め、牛の特徴を持つ柔らかな毛に包まれた耳は垂れ下がり、肩も落とされている。その姿はどこか幽霊のようでもあり、全身の元気というものが失われてしまっていた。

少女の足取りからは確固たる目的地は見えず、とぼとぼと歩くその足にも力がない。

「……ふう」

 溜息。先ほどから何度も繰り返される溜息のたびに、彼女の顔は俯き、視線は地面に向けられる。考えを占めるのは、大好きな彼のこと。

「ルフくん……」

 誰にも聞こえないくらいの小さな声で、彼の名を呼ぶ。それだけで、彼女の胸中には様々な想いが渦巻いた。

「どうして、こうなっちゃったのかなぁ〜……」

 故郷、「クレイドル」の学院で出会ってから数年間、ずっと一緒に過ごしてきた。初心で恥ずかしがり屋だった自分には、魔物の女の子のように積極的に彼との距離をつめることは出来なかったが、それでも、いつも自分の隣には自然と彼がいてくれた。それは十分に幸せなことのはずだった。

でも、やはり。大好きな彼ともっと近く、もっと強く繋がりたかった。

だから、「魔物になろう」と思った。不安がまったくないとはいえなかったが、彼の側にずっと一緒にいるためならば、怖くはなかった。実際に魔物になってからも、なれない体や、精を求める魔物としての衝動に戸惑ったことはあったけれど、決めたことに後悔は無かった。

魔物になって、人だったときには表に表すことが出来なかった想いを示すことが出来るという期待は大きかったし、彼と一緒に同じ家で暮らせるなんて、夢のようだった。

そのはずなのに、大好きな彼との距離が今は遠い。

距離を近づけようとすればするほど、夏の日の陽炎の如く、彼は離れていく気がした。そのことに焦り、より積極的になってみても、結局は逆効果。

「何が、いけなかったんだろう〜……」

焦りは疑念を生み、疑念はじわじわと心に染みを作っていく。そしてついに、彼女はさきほど少年から逃げ出してしまったのだった。

石畳の道に、彼女の蹄が立てる音が響く。俯いた先には、白と黒の毛に覆われたふっくらとした下半身。その姿は、牛の獣人であるホルスタウロスの証である。

「変われば、上手くいくと思っていたのに〜……」

 学院にいた頃は、男の子と自然に近づくことの出来る魔物の女の子達のことが羨ましかった。自分もああなれば、きっともっと幸せになれる。そう漠然と思っていた。

 けれど、本当にそうだったろうか?

 彼と上手くいかないのは人間だから。彼氏と上手くいくのは魔物だから。そう信じ込んでいたが、人と人のつながりとは、そんな単純な問題ではないのでは無いか。

「どうすれば、いいの〜……」

 虚空へ尋ねかけてみても、答えはない。

 雲が太陽を遮ったのか、辺りが暗くなる。だがそれも一瞬のことだった。雲が通り過ぎると、すぐに明るい日差しが再び町に降り注いだ。空を見上げた彼女は、中天にあった太陽が先ほどとは少しだけ、その位置をずらしていることに気付く。自分が家を飛び出してからもう、随分と時間が経っていたようだ。

「そろそろ〜……帰ろう、かな〜」

 ぽつりと呟くも、その声とは裏腹に彼女の足は家へと続く道へは向かず、別の角を曲がる。そうして家からは遠ざかるものの、完全に離れることも出来ないのか、ある程度まで道を進むと彼女は立ち止まり、踵を返す。少女は気付いていないようだったが、その足取りは先ほどから、まるで迷子の子どものように何度も何度も同じ道を歩いていた。

「あ……」

 何度目かの角を曲がった瞬間、ホルスタウロスの少女は声を漏らし、不意に目に入ってきた光景に足を止める。

 少女の視線の先にあったのは、仲睦まじい一組のカップルだった。道端のベンチに座った若い男に、透き通った紫色の体をした女の子――察する所、スライムだろうか――が抱きついていた。いや、抱きつくというよりも、絡み合うといった方がより適当かもしれない。仲のよい様子で、ふたりは互いの体に腕をまわしている。

見たところ、彼氏も彼女も、少女と大体同じくらいの歳に見える。

「いいな〜……」

 視線の先のカップルたちに、無意識のうちに自分たちを重ねた彼女は呟く。自分も、ああいう風に彼と触れ合いたかった。ホルスタウロスになって大きくなった胸で、彼のことを包み込んであげたかった。

でも、思えば、ああいう風に強く抱き合ったことは――人間だったときも魔物になってからも――あっただろうか。

恋人である彼は、自分のことを大切に思ってくれている。それは分かっていたが、心の片隅では、誘い求めても彼とのふれあいを得られないことに、寂しさを感じてしまう。

「んっ……」

 思わず疼いた体を、腕をつかんで抑える。それでも彼を求める心までは、押さえ切れそうになかった。少女は壁に背を預け、自分の体を抱きしめて心から湧き上がってきた寒さを堪える。

「……ルフ、くん……私、さみしい、よぉ……」

 いつのまにか目の端に浮かんだ涙が一粒、言葉と共に流れ落ちる。しかしその姿を見たものは、誰もいなかった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「はぁ……はぁ……。はぁっ……どこにも、いない……!」

 僕は呼吸を整えることすら忘れ、喘ぎながら呟く。口の中はもうずっとからからに乾いており、体は必死に水分を求めていたが、休憩する余裕などあろうはずがなかった。

「はぁ、はあ……っ! くそ、もう一度……はぁ、最初から町を見て回ろうか……」

僕は無理やり体の要求を跳ね除け、再び走り出そうとする。だが、気力よりも先に体力の方が限界を迎えてしまった。ふらつき、転びそうになるのをなんとかこらえると、ひざに両手を当てしばし呼吸を整える。地面を見つめると、汗が一滴落ち、地面に染みを作った。

既に日は傾き、橙色の空にはねぐらへと向かう鳥達の鳴き声が響いている。後少しすれば、夜の帳が下りてくるだろう。

商店街、宿、町はずれの公園、裏路地と町のいたるところを探してみたが、フレアの姿はおろか痕跡すら見つけることはできなかった。もしやと思い、家にも一度戻ってみたものの、期待も空しく彼女が帰ってきた形跡はなかった。

「どこにいったんだろう……フレア」

 僕と同じく、引っ越して来たばかりのフレアもこの町についての知識や土地勘はほとんどないはずだ。思いつく所は大方探したし、彼女が知っていて僕が知らない場所があるというのは考えにくい。

こうも見つからないと、嫌な想像ばかりが浮かんできてしまう。

なにかトラブルに巻き込まれてしまったのだろうか、とか。それとも……考えたくはないが、愛想を尽かせて僕の元から去っていってしまったのだろうか、とか。

「そんなはず……ないよね……?」

 嫌な考えを追い払おうと口に出しては見たが、思った以上に弱弱しい声しか出てこなかった。焦りは不安となり、不安は恐怖となって心を蝕んでいく。嫌な汗が噴出し、顎を伝って地面に落ちる。絶望は心に忍び寄り、真っ黒に塗りつぶそうとしていく。

「そうだ。そう、いえば」

心の片隅に、わずかに諦念が生まれそうになったその刹那。ふと僕はまだ探していない場所が後一つだけ残っていたということに気付いた。

「もしかしたら……!」

 微かな希望に、僕は疲労の溜まった体に鞭打ち顔を上げる。見つめる視線の先、既に藍色の闇に染まった遠くの丘に、天を突くような巨大な一本の木のシルエットが見えた。

 僕らがこの町に最初に来たとき、二人で一緒に町を見下ろした大樹の丘。

「行って、みよう」

自分に言い聞かせ、すがるような思いを胸に抱きながら、僕は再び走り出す。

出会えても出会えなくても、あれこれ考えなくてはいけないことは山ほどあったはずだが、今の僕には「ただ彼女の顔を見たい」という思いだけしかなかった。

酷使に悲鳴をあげる体を黙らせながら、僕はひたすら夕暮れの町を駆け抜けるのだった。

 

 いつの間にか辺りはすっかり闇に包まれ、空には星が瞬いている。町外れの丘まではそこそこの距離があり、加えて疲れ果てていた僕の足はもどかしいほどに遅く、大樹の元へとたどり着くのには想像よりも時間がかかってしまっていた。

僕の立つ場所よりも数歩先、大樹が落とす影は夜の闇よりさらに黒く、まるで結界のように地面を染めている。

「……」

 その中心、大樹の幹に寄りかかるように、一人の少女が立っていた。暗闇の中でもはっきりと分かる、豊かな胸に白と黒の特徴的な体毛。俯いているせいか、今どんな表情をしているのか窺うことはできない。ただ、柔らかな毛に覆われた耳が力なく垂れているのを見れば、彼女の気持ちが沈んでいるということは分かった。

 しばし少女の姿を見つめ、やがて僕は決意を固めると一歩足を踏み出す。

「フレア」

 短い呼びかけに、彼女の体がびくりと震える。それでも、彼女は顔を上げない。

 ただ、この場から逃げたり、僕のことを拒絶しているような感触はなかった。

 僕はもう一歩、彼女に近寄る。俯いたままの彼女がわずかに首を振ったが、構わずさらにもう一歩。闇に包まれた木の下で、彼女に向けて言葉を発する。

「ごめん、フレア」

 短くはあったが、心からの気持ちを込めたつもりだった。

僕の言葉に、ホルスタウロスの少女がようやく顔を上げる。影になっていて分かりづらかったが、彼女は怖がっているような、戸惑っているような、今にも泣き出してしまいそうな、そんな複雑な表情をしているようだった。

 いつも穏やかな笑顔を絶やさない彼女にそんな顔をさせたのは誰でもない、この自分だと思うと、罪悪感が胸を締め付ける。

だが、今の僕にはそんなことを悔いるよりも先に、しなくてはいけないことがあった。

「ごめんね、フレア」

 もう一度謝罪の言葉を紡ぐ。彼女はやはり、表情を変えない。僕は胸の痛みを堪えながら、一拍、間をおいてさらに言葉を続ける。

「その……フレアの気持ちに、ちゃんと向き合えないでごめん」

 彼女は無言。

「魔物になっても、フレアはフレアのままで、ちっとも変わってなんていなかったのに。僕は勝手に戸惑って、勘違いして……フレアはいつだって、僕のことを思ってくれてたのに、僕はいつもいつも誤魔化したり、逃げたりして。寂しい思いとか、辛い思いとか、させちゃったよね」

 あはは、と変な笑いが漏れる。少しばかり自嘲気味になってしまうのは、仕方なかったかも知れない。それでも彼女は怒るでもなく、軽蔑するでもなく、僕の言葉に耳を傾けてくれている。

「今頃になって謝っても、遅いかもしれないけど。でも、謝らせてほしいんだ。ごめんなさい、フレア」

フレアはわずかに首を振る。そして、彼女の瞳が初めてまっすぐに僕へと向けられた。彼女の瞳は暗闇の中でもそれ自体が輝きを放つかのように、神秘的に煌いている。

僕もフレアの瞳を真っ直ぐ見返し、決意を言葉に乗せて、言う。

「でも、これからはちゃんと、全部受け止めるから。フレアのこと、まっすぐに見るから。恥ずかしさを理由にして誤魔化したり、逃げたりしないから」

 そこで初めて、彼女は口を開いた。

「……ほん、とう〜?」

 おそるおそるといった風に尋ねる彼女に、僕は大きく頷く。

「うん。約束する。だって、僕もフレアのことが、大好きだから。ずっと一緒にいて欲しいから。だから……帰ってきて、フレア」

 僕が心から想う言葉、嘘偽りのない本心をフレアに伝える。今の僕に出来ることはこれで全部だった。後は、彼女次第。そう考え、僕は目の前の少女をじっと見つめて答えを待つ。

 だが、不安を感じる必要はなかった。なぜなら、ほとんど刹那の間もなく、僕の胸にフレアが飛び込んできてくれたのだから。

「ルフく〜ん!」

「わ、わ、うわっ……と」

 まるでぶつかるように、勢いよく抱きついてきたフレアをなんとか受け止め、僕はその体をしっかりと抱きしめる。

「私もね〜……ルフくんのこと〜……大好きだよ〜」

 彼女は僕の胸に顔を当てると、そっと囁いてくれる。それだけで、今まで二人の間にあった見えない壁が崩れ、距離が縮まった気がした。

「こんな、簡単なことだったんだ……」

 本当に、つまらないことで悩んでいたものだ。

 自分に呆れる僕をよそに、フレアは僕の感触を堪能していた。嬉しそうに目を細め、呟く。

「えへへ〜……ルフくんがぎゅーってしてくれるの〜初めてかも〜」

そういえば、付き合い始めてから彼女をきちんと抱きしめたのも、今が初めてのような気がした。どれだけ寂しい思いをさせていたのだろうか。自分は彼女に対して随分とひどいやつだったと思うと、胸がちくりと痛む。

「ルフくんのからだ〜、あったかいなぁ〜」

 フレアはそんな僕の内心に気付いた様子はなく、僕にしがみつきながら、胸に顔を埋めていた。胸元のシャツを濡らしているのは、嬉し涙だろうか。そうであって欲しかった。

 少女のさらさらの髪をそっと撫でながら、僕は耳元で囁く。

「ごめんね。もう、こんな辛い想いはさせないから」

「ううん、いいの〜……。私こそ〜、ルフくんのことも考えず〜わがままばっかり言って〜、ごめんなさい〜……」

「フレアのせいじゃないよ。僕がうじうじしてたのがいけないんだから」

「ううん。私が悪いの〜。今だって〜ルフくんに心配かけて〜……こんなになってまで〜ずっと探してくれてたんでしょう〜?」

 町中を駆けずり回っていた時に、転んだりぶつけたりしてあちこちに出来た傷を見、フレアは俯く。そういえば、さっきまでは気が張っていて感じていなかったけれど、気が緩んだ今ではあちこちがぴりぴりと痛む気もした。

彼女の心の痛みを考えれば軽すぎると思うが、これも僕への罰なんだろう。彼女に気にしてほしくなかった僕は、わざと明るい声を出す。

「いいって、これくらいなんともないよ」

「でもぉ……んぷ……っ!?

 なおも言いかけるフレアの口を、僕は自分の唇で塞ぐ。突然のキスに一瞬目を見開いた彼女だったが、すぐにその表情に幸せな色が浮かぶ。フレアも目を閉じると、自分からも唇を強く、押し付けてきた。

 僕らはしばし唇を重ねあい、互いの体に回した腕に力を込めて強く抱き合う。

どれほどの時間、そうしていただろうか。そっと顔を離し目を開けると、目の端に涙を浮かべ、真っ赤になったフレアの顔が見えた。歓喜に彩られたそれは、ようやく欲しかったものを手に入れた、そんな表情に思える。それは僕も同じだった。そう認識した瞬間、今更ながらに僕の顔も熱くなる。

と、不意にフレアが口を開く。

「ね〜ルフくん〜」

「ん?」

顔を向けると、彼女は真面目な表情を作ってこちらを見つめていた。

「私もね〜、ルフくんに〜聞いてほしいことがあるの〜」

「聞いて欲しいこと? 僕に?」

言葉を繰り返した僕に、フレアは少しだけ躊躇った後、決心したように頷くと切り出す。

「あの〜、私がどうして魔物になったのか〜そのこと、話したくなって〜」

「魔物になった、理由? フレアが?」

 僕の再度の問いかけに、フレアはこくりと頷く。そういえば、彼女が人間から魔物になった理由はまだわからないままだった。わざわざ聞きだすのもどうかと思っていたのも確かだったから、今まで僕から尋ねることは無かったけれど。

それを彼女自身が語ってくれるというのなら……聞いてみたい。

「教えて、くれるの?」

「うん〜。ちゃんと、知っててほしいから〜」

 そうは言ったものの恥ずかしいのか、彼女は暗闇でもそうと分かるほど顔を朱に染め、目を伏せる。僕はそんな彼女を急かすことなく、ただ黙って見守った。

少しの間をおいて、彼女はぽつぽつと語りだす。

「最初はね〜。魔物になろうって、きちんと考えていたわけじゃなかったの〜。ううん、学院にいたころはね〜、将来のことなんて全然考えてなかったのよ〜」

「そうなの?」

 意外な言葉に、僕は思わず声を上げる。卒業間際のぎりぎりまで将来のことを考えていなかったのは、むしろ僕の方だと思っていた。なにせ「たまたまヒルデさんが仕事の誘いを持ってきて、小さいながらも住む家まで用意してくれるというからそれに乗っかっただけ」というくらいの無計画ぶりだったのだから。

「うん〜。でもね〜。クラスの皆が『卒業したらどうする?』って話をするようになって、私の将来って、どうなるのかな〜って考えたの〜」

「ああ、卒業がはっきり見えてきたころって、そんな話ばっかりだったよね」

「うん。でね〜。色々考えたんだけど〜、結局〜私にとってのやりたいことっていうのは〜『ルフくんの側にいること』だったの〜」

「そうなんだ……」

 恥ずかしそうに俯くフレア。でも、こうもストレートに言われると、聞いている僕の方が恥ずかしい。

「それで〜どうすればずっと一緒にいられるかなって〜ずっと考えて〜。ヒルデさんに相談したら〜、『少年と一緒に、クレイドルの外で暮らすというのはどうだ? 何、そのお膳立ては私がしてやる』っていってくれたから〜。二人とも人間のまま、クレイドルの中で暮らしても一緒にいられたかもしれないけれど〜、私が魔物になって、ルフくんも長生きできるようにすれば〜、ずっとずっと一緒にいられるって思ったから〜」

「それで、魔物になったんだ……」

「うん〜。結局は、自己満足だったんだけどね〜……。空回りして、失敗ばかり〜……」

 そういって、彼女は小さく笑う。

最後の方は声が小さくて聞き取れなかったが、フレアが僕のことをずっと想ってくれていた、ということは十分に伝わってきた。彼女は自己満足といったが、自分の人生をかけてまで誰かと一緒にいたいという想いを貫き通すのは、並大抵のことではないだろう。

自分はそこまで想われていたこと、そして自分の臆病さのためにその思いをどれだけ無下にしてきたことかと思うと、申し訳ない気持ちで一杯になる。

「そっか……」

「軽蔑、した〜?」

 不安げに問いかける彼女に、僕は首を振る。

「いいや。むしろ嬉しい、かな」

「?」

「うん。だってさ、魔物になってまで、僕と一緒にいたいって想ってくれてたんでしょ? そんなに強く想われて、幸せだな、って思ってさ」

「ルフくん〜……」

 僕達はどちらからともなく、自然に顔を近づけもう一度、長く、強くキスをした。二人が離れることのないように、ずっと、ずっと一緒でいられるようにと願いを込めて。

 唇を重ね合わせた時と同じく、自然に顔を離す。間近で見つめあい、僕達は一緒に笑った。

「えっと……ルフ、くん〜」

 潤んだ瞳でフレアが僕の名前を呼ぶ。ホルスタウロスらしく、大きな胸が押し付けられているのを感じるまでもなく、彼女が何を求めているのかは明らかだった。フレアが魔物になってから、想いを伝えようとして今までも何度となくしてきた行為だ。それなのに僕は彼女の訴えを察していても、きちんと答えたことは無かった。

けれども、自分の想いを伝えた今、もう誤魔化すことはしない。それに愛する彼女からのお誘いを、断る理由など何もなかった。

 それでもまだ恥ずかしさが完全に消えたわけではなかった。瞳をそらしてしまいそうになるのをなんとか堪え、僕は正面からフレアの顔を見つめる。

「えっと……。それじゃ……お願い、してもいいかな?」

「……うん!」

 僕は初めて自分からフレアに願い、彼女の願いと想いを受け入れる。そして、僕の言葉に、ホルスタウロスの少女もまた心から嬉しそうな表情を浮かべ、頷いてくれたのだった。

 

「いたく、ない〜?」

「大丈夫、平気だよ」

 フレアがゆっくりと体重をかけ、僕の体を押し倒していく。幸い地面は軟らかな土で、加えて草が生い茂っているので、寝そべってもほとんど気にならない。

 完全に地面に仰向けになると、フレアはいそいそと僕の上に跨る。頭上には枝葉の黒いシルエットと、その隙間から見える星空があった。時折吹く風が枝を揺らすと、さわさわと音が鳴る。

「う〜ん、いきなり外で、かぁ」

彼女の想いを受け止める、と決意したものの、初体験が外というのはいかがなものなのだろうか。僕はふと、そんなことを思って指で頬をかきながら呟いた。

僕の言葉に、フレアがこちらを覗きこみ、ちょっとだけ心配そうな顔を見せる。

「やっぱり……嫌〜?」

 悲しそうに問いかけてくるフレア。どうやら彼女は、僕が「したくない」と思っていると勘違いをしているようだった。大体、ここで彼女と「する」ことを拒んだりしたら今まで積み上げてきたものが台無しである。いや、そういう損得勘定を抜きにしても、僕がフレアと「ひとつになること」を望んでいることに嘘偽りがあるはずなかった。

僕は慌てて首を振ると、言葉を発する。

「あ、いやそういう意味じゃないよ。さっきはのさ、ええと……」

 説明するのも恥ずかしいことなので、少しだけ言いよどむ。

「こんな時間にこんな場所まで来る人なんていないと思うけど、もし誰かに見られたら、って思ったからさ」

「あ……、そう、だね〜……」

 言われてフレアもその可能性に気付いたのか、頬を染めて視線をそらす。流石に魔物になって性に関しておおらかになったとはいえ、他の人に見られるのは恥ずかしいらしい。

だが、彼女が僕の上からどく気配は欠片もなかった。期待に胸を躍らせているのがありありとわかる態度と、上気したままの頬はこの後に控える行為を止める気などさらさらないと物語っている。

 そして、実のところそれは僕も同じだった。照れと恥ずかしさも手伝ってさっきはああ言ったものの、ここで止めて家まで我慢することなど、とてもじゃないが出来そうになかったのだから。

「まあ、わざわざ夜にこんな場所まで誰かが来る可能性なんてほとんどないしさ。もし見られてもそのときはそのとき、ってことで」

「えへへ。そうだね〜」

 僕が冗談めかしていうと、フレアもにこりと微笑む。僕も微笑み返し、仕切りなおしというかのように口を開いた。

「それじゃ、改めて……しよう、か?」

「あ、うん……」

伸ばした手をフレアの頬にあてがうと、嬉しそうに目を細める。彼女は片手をそっと僕の手に添え、そのぬくもりを確かめるように瞳を閉じていた。

やがて目を開いた彼女は、その手をそっとどける。僕の顔を覗き込み、それから顔を近づけると、耳元で囁く。

「じゃあ〜、脱がせてあげるね〜」

 言葉と共に伸ばされた手が、シャツのボタンを一つ一つ丁寧に外していく。肌が外気にさらされると、彼女は僕に覆いかぶさるようにして胸にキスをした。

「上だけじゃなくて〜、こっちもね〜」

そう言いながらフレアは僕のズボンを下げ、さらにその下の下着もずらしていく。女の子に脱がされるという羞恥に顔が熱くなるが、拒んだりはしなかった。

下着が完全に脱がされ、彼女の下半身を覆う柔らかな獣毛が直接肌に当たる。同時に僕のものが外気に晒され、その姿を見た瞬間、彼女はほんのわずかに驚いたような表情を見せた。

「……」

 やると決めた以上、ある程度は想像し覚悟もしていたが、やっぱり女の子に自分のものを見られるというのは恥ずかしい。さっきから僕は真っ赤になりっぱなしで、熱も一向に引いていなかった。

 そんな僕を見、頬をあからめたまま、ちょっとだけ申し訳なさそうな顔をした彼女は言う。

「ルフくんだけじゃ、恥ずかしいよね〜。待ってね〜。今、私も脱ぐから〜」

 そして、その言葉が終わるが早いか、体を隠す衣服を脱いでいく。まずパレオの結び目を解き、次に胸を覆う布がはらりと地に落ちる。覆い隠すものが無くなり、惜しげもなく晒された胸では、はちきれんばかりに実った乳房が揺れた。思わず、視線が吸い寄せられる。

「どう、かな〜? 私のおっぱいね、ホルスタウロスになってこんなに大きくなったんだよ〜。ルフくんは〜、大きい胸って〜どう〜? 気に入ってくれると、うれしいな〜」

僕の視線を感じているのだろう、期待と不安がまぜこぜになった表情でフレアがたずねる。正直気恥ずかしくて答えにくい問いではあったが、彼女の顔を見れば、どれだけの勇気を振り絞って尋ねたのかが分かった。となれば、答えないわけにはいかない。

「……あ、いや、えっと……その、好き、だよ。大きいとか、そういうんじゃなくても……なんていうか、フレアの、だから」

僕は顔から火を出しそうになり、所々どもりながらも、なんとか答える。恥ずかしさのあまり余計なことも口走った気もしたが、あまり深く考えたくなかった。

「……ありがとぉ〜」

それでも、フレアにとっては十分な答えだったようだ。安堵と共に、彼女は嬉しそうな表情を浮かべる。フレアは指で目の端を拭うと、僕の手をつかみ、胸へと導いていく。僕は彼女にされるがまま、大きな丘に触れる。

「ん……っ」

 やわらかく、温かな感触が手のひらに伝わると同時、フレアの口から呼気が漏れた。汗のせいだろうか。彼女の肌はわずかに湿り、同時にほのかに温かかった。

 僕は動きを止めたまま、彼女の胸の感触を楽しむ。手のひらから伝わるフレアの鼓動は、規則正しく鐘を打ち、そのリズムは安心感を与えてくれた。

それだけでは物足りなくなって、僕はそっと手を動かす。それに合わせて胸は形を変え、彼女の体が震える。

しばし、さわさわと撫でるようにわずかに手を動かす。次第に彼女はじっとりと熱を帯び、肌には汗が浮かんでいった。

いつの間にか硬く勃ちあがった乳首を指でつまみ、軽く弾く。先ほど以上に強烈な快感が襲ったようで、彼女の体が大きく跳ねた。

「あ……っ、だめ……ぇ、ちくび、しちゃ、だめぇ……っ」

 いきなりの刺激に驚いてはいたものの、その声には嬉しそうな響きがあった。僕は彼女の顔を覗き込み、たずねる。

「……本当に? 胸、しちゃだめなの?」

 聞くまでもなく口では拒みながらも、本心ではもっとして欲しいと思っているのはフレアの表情を見れば明らかだった。

「ほんと……やぁん……だよぉ〜……んん……ぅ」

「嘘ばっかり」

僕は彼女を体に跨らせたまま、執拗に胸を責める。

「あっ、あっ……ふあぁ……っ! るふくん、ひゃぅ……あ、すご、あっ、おっぱい、いい……いいよぅ……!」

 フレアは歓喜に満ちた声で、謳うように喘ぐ。そのうちに完全に魔物の本能に支配された彼女は自らの手を僕の手に重ね、より快楽を得ようと自分自身でも双丘を揉みしだきはじめる。その姿は完全に発情した獣そのものだった。彼女の声と肌から伝わる熱、そしてミルクの甘い匂いは僕の理性をも狂わせていき、否応無しに興奮をかき立てていった。

 いつしか僕も獣と化し、激しく手を動かしていた。快感が与えられるたびに彼女は歓喜の叫びを上げ、涙を零す。僕は彼女にもっと声を出させようとして、無我夢中で愛撫を続けた。快感と興奮は際限なく高まり、

「あぁ……いく、いっちゃ……、ルフ、くん……あ、わたひ、あふ……ふぁぁぁぁぁっ!」

 揉むと同時に一際強く彼女の両乳首をつねった瞬間、彼女は大きく背を仰け反らせて絶頂に達した。あまりに強烈な快感のせいか、胸からは白い乳が迸り、降り注いだ液体は僕の体を濡らす。

「ふぁ……あ……、おっぱいで、いっちゃったぁ……」

 脱力した彼女はくたりと倒れこみ、僕の上に覆いかぶさった。激しく上下する肩をそっと抱き、僕はフレアに囁く。

「……大丈夫? ごめん、やりすぎちゃったかな」

 そういいつつ、頭の片隅では元凶である自分が「大丈夫?」も何もあったものではないと思う。ただ、正直いって最初はあそこまで彼女を責めるつもりはなかった。なのに、初めて肌を重ね合わせた彼女が愛しすぎて、あまりにも気持ちよすぎて、途中から自分が自分でなくなってしまった気がしたほどだ。

それでもわずかな自己嫌悪を感じる僕とは裏腹に、彼女は気にした様子はなかった。むしろ嬉しそうに目を細め、こくんと頷く。

「はぁ……あ……、すご、かった、よぉ〜」

 いまだ夢見心地なのか、答える彼女の言葉には力がない。だがそこは元々人間よりもはるかに体力のある魔物。しばし僕の上に横たわって体を休めていると、荒かった呼吸もだんだんと静まっていった。

「はぁ……ふぅ〜。それじゃ〜、今度はぁ〜……私がしてあげるね〜」

 息を整え、フレアは僕に言う。

「無理してない?」

 顔を覗き込むと、彼女はにこりと微笑んだ。いまだ額に浮かんだ汗が前髪をはりつけているものの、そこに無理をしているような色はなかった。

「大丈夫〜。それに、ルフくんのそれも〜、そのままじゃつらいでしょ〜」

 彼女の視線につられて見た先には、さっきの興奮で硬く勃ち上がった自分のものがあった。思わず赤面する僕。恥ずかしい話だが、確かにこのままにしておける状態ではない。

 フレアは僕のものを見つめ、やさしく囁く。

「苦しそう〜……。待っててね〜、すぐに私が気持ちよくしてあげるから〜」

 彼女は体を起こし、跨る位置をずらす。両胸に手をあて、何かを確かめるように動かした。

「ええっとぉ……、こう、かな〜?」

何をするのだろうかと疑問の表情を浮かべる僕に目配せすると、彼女はその大きな胸でいきり立つ僕のものを挟み込む。予想外の行動と、柔らかな肉に圧迫され、与えられた快感に思わず声が漏れる。

「うぁ……っ!」

 僕の叫びに安堵したのか、彼女は目を細める。

「気持ち、いい〜?」

「う、うん……」

 彼女の問いかけに、僕はそれだけを返すのが精一杯だった。こうして胸の間に挟まれているだけでも、温かさと程よい圧迫感が快感を生み出し続け、気を抜けばすぐに達してしまいそうになる。

「よかったぁ〜。それじゃ、動かすね〜……」

 僕の返事に満足げな声を出し、彼女は両手ではさんだ胸をゆっくりと動かし始める。滑らかな肌と肉棒が擦れるたびに先ほど以上に強烈な快感が脳を駆け巡り、視界が明滅する。

「ん、ふぅ……あっ、おっぱい、ん〜……ルフくんのと〜……擦れる、よぉ……あふ、私も……ん……きもち、いい……きもち、いぃ、よぉ〜……」

 快感を味わっているのは僕だけでなく、フレアも同じようだった。彼女が動くたび、僕のものと胸が擦れるたびに、二人の口からは声が上がる。

 最初はやさしく、静かに。だがお互いの快感と興奮が高まっていくにつれ、その動きは激しいものとなっていく。

「んっ、ふ……あっ……んん……、もっと、もっとぉ……」

 やがて胸だけでは足りなくなったのか、フレアは挟んだ胸からのぞく僕のものの先端に舌を伸ばした。

「うぁあ……っ!? ふ、フレア……っ!?

突然の行動がもたらした快感の不意打ちに、僕はびくりと震えた。思わず射精してしまいそうになるのを、なんとか堪える。

「ちゅ……れろ……、んじゅ、んっ……ちゅぱ……れろ、れろ……んじゅ、ぷ……」

 彼女は僕には構わず、胸で肉棒をしごきながら、口に含んだ先端を舐め、吸う。興奮のあまり彼女の尻尾は激しく振られていた。それは時折僕の体にも当たっていたが、まるで胸と口での奉仕に翻弄される僕には、まるで気にならなかった。

「くっ……あぁ……っ!」

フレアの奉仕から与えられる強烈な快感は、瞬くうちに僕を限界まで連れて行こうとする。この快感を少しでも長く味わおうと達しそうになるのを堪えるものの、限界は時間の問題に思えた。

「んんっ、あ、ルフくん、ちゅ、ぷ……きもちよく、なってぇ……ちゅ、じゅ……」

切れ切れになった僕の声や、びくびくと脈動する肉棒から絶頂に達するのが近いのを察したのか、フレアの行為はますます激しさを増していく。

「も、もう……、くぅ……フレ、ア……あ、うああ……っ!」

僕が限界を感じ、掠れる声で彼女の名を呼ぶ。それに応じるように、強烈に鈴口を吸い上げられた瞬間、僕のものから白濁した液体が迸った。

「んぶぅっ!? んっ、んん……っ!」

 口元で爆発したように噴出す精液に、フレアは一瞬だけ驚き、口を離す。その間も迸り続けていた粘液は彼女の顔と胸にかかり、白く汚していった。が、ホルスタウロスの少女はまるで気にした様子もなく、改めて肉棒を口に含むとうっとりした表情を浮かべ精液をすする。

「ん……んぅ……ちゅ、んじゅ……ん……」

「フレア、無理しないで……」

 目の端に浮かべた涙を零す彼女を案じ、声をかける。しかしフレアは僕に笑顔のまま首を振ると、精液を飲み込んでいった。こくん、こくんとのどが鳴り、口内に溜まった液体が彼女の中へと送り込まれていく。

「あは……、これ、すっごく、おいしぃ……」

うっとりと、まるでお酒に酔ったかのように言うフレア。やがて口内にたまった全てを飲み下すと、彼女は顔や胸についたものをも拭い、ぺろりと舐めた。

「んっ……、これも、きれいにするね〜」

 僕の目の前で僕のものを名残惜しげにしゃぶりながら、フレアはぽつりと漏らす。星明りの下、紅に染まった頬で僕のものを愛しげに舐めるその姿は、のんびりとしたいつものフレアからは想像することすら出来ないほど淫靡で、それゆえにこの上なく綺麗だった。

互いに向けた視線が絡み合い、僕とフレアの心が通い合う。言葉はいらなかった。ただ顔を見つめ合うだけで、僕達は同じことを望んでいることを理解できた。

「ね……」

「うん……」

それだけを言うと、どちらからともなく、僕らはお互いの体を抱き寄せる。互いのぬくもりを感じあい、それから一度離す。暗闇に覆い隠されながらも、精液とミルクで白く染まっていたフレアの体は、黒い景色の中にはっきりと浮かび上がっているかのようだった。

「そんなにじっと見つめられると〜。ちょっと……恥ずかしい、かも〜」

羞恥に目を伏せながらも、期待と興奮が滲んだ声でフレアが言う。彼女は草の上に腰を降ろすと、腰から下を覆う毛を指でかきわけ、秘所をあらわにした。

しっとりと濡れた毛が、星の明かりを受けてきらきらと煌いている。淫靡なその姿に僕は抗うことなどできるわけがなく、無意識のうちにつばを飲み込むと、引き寄せられていった。

「綺麗だよ、フレア……」

興奮と緊張で上手く動かないのどから、なんとか言葉を搾り出す。彼女は真っ赤になって震えたものの、秘所に添えた手をどけて、そこを隠したりはしなかった。

「ね……きてぇ……」

潤んだ瞳が言葉と共に、僕を誘う。それに僕は行動で応えた。

既に先ほどから興奮のあまり痛いくらい硬くなっていたものを、彼女の秘所に突き入れる。

「あっ…………ああぁぁぁぁ〜……っ!!

勢いよく自分の中へと肉棒を突き込まれ、フレアはその背を仰け反らせて叫んだ。罪悪感が胸に生まれるが、強烈な快感の前に、自分の体を止めることは出来そうになかった。せめてもの救いなのは、彼女の叫びと表情には苦痛だけではなく、歓喜の色があったことである。

「くっ……あ……、き、きつ……」

 フレアの中はきつく、強烈に僕のものを締め付けてくる。だがそれは痛みを伴うものではなく、脳を焼ききるかのような快感を伴うものだった。気を抜きでもしたら、すぐに終わってしまいそうだ。

僕は歯を食いしばり、腰を進める。やがて一瞬の抵抗を感じた後、何かを突き破る感触。それが処女の証だったと、遅れて気付く。

「あ……」

「あぁ……私のはじめて、ルフくんが貰ってくれたぁ〜……。はぁ、あ……うれしぃ……ふぁ……うれしいよぉ……」

 僕に抱きつきながら、フレアがぽろぽろと涙を零す。至福の表情を浮かべた彼女を目にした瞬間、僕の中で泣きたくなるくらいの愛情が湧きあがる。

「ありがとう、フレア」

 様々な想いが脳裏を巡ったが、僕が言葉に出来たのは、結局それだけだった。彼女は優しく目を伏せ、小さく首を振る。

それから最奥まで肉棒を進めると、僕達はしばしそのまま動きを止め、息を整える。

「大丈夫?」

「大丈夫、だよ〜……。ルフくん〜」

 無理をさせていないかと案じ、顔を覗き込んだ僕に、彼女の胸が押し当てられる。

「私、今、これまでで一番〜幸せなの〜……」

 ゆっくりと腰を動かし始めながら、彼女は告白する。

「だから、そんな顔をしないで〜。ルフくんが気持ちよくなってくれるのが〜私もうれしいの〜。ホルスタウロスを選んだのも〜、その……、男の人は大きな胸のほうが、好きだっていうから〜……おっきなおっぱいで〜、ルフくんに、気持ちよくなってもらえたらって〜……んっ、ぁ、あふぁ……っ!」

 彼女の言葉に、僕は行動で応える。言葉を返すことは出来なかった。だって、彼女の想いだけで僕の胸は一杯になってしまっていたのだから。僕に出来ることは、彼女の思いに応え、彼女にも僕と同じか、僕以上に気持ちよくなってもらうことだけだった。

 そして星明りの下、重なり合った僕たちのシルエットはその動きを激しくしていくのだった。

 

・・・・・・・・・・・・

 

「……ルフくん〜?」

 フレアの呼びかけに、僕は閉じていた目を開く。

「起きてるよ、フレア」

 開いた目に映るのは、深い色をした夜の景色。正確には分からないが、おそらく時刻は既に深夜になっているはずだ。体を起こせば遠くに見えるだろう町の気配も、すっかり静まり返っている。

穏やかな闇に包まれ、僕とフレアは抱き合ったまま、草の上に寝転んでいた。事後の体には気だるさが満ち、起き上がるのも億劫だ。時折吹く夜風は涼しく、火照った体を覚ますには丁度いい。夜中に火も焚かず、見張りもなしで野外に寝転んでいるなんて無用心もいいところだったが、この辺りには野盗も危険な獣もいない。それに、なんとなくだけど、僕にはこの時間は何物にも代え難い貴重なものの気がして、起きて火を焚く時間すら惜しかった。

何より、すぐ側に好きな人がいるのだ、間近で可愛らしい彼女の顔を見られるという幸せを、おいそれと手放すのももったいなかった。このまま、気の済むまで抱き合っていたいという思いは二人とも同じらしく、僕らはしばしの間、お互いの体を撫でたり、キスをしたりして、ごろごろと過ごした。

 僕がフレアの髪を軽く梳くと、彼女はくすぐったそうに目を細める。

「ね〜、ルフくん〜。私たち……しちゃった、ね〜」

こちらに顔を向け、いまだ赤い頬のフレアが言う。辺りにはいまだ草の匂いよりも強く、むせ返るような淫臭が漂っていた。その臭いはしばらく経っても消えそうになかった。まあ、そのうちには今日の行為の痕跡も薄れて消えてしまうだろうから、あまり気にする必要はないだろうけれど。

「うん」

 先ほどの場景が脳裏に浮かんだ僕もまた、顔を染めて頷いた。夜風に冷まされた体が、再び熱くなる。羞恥に顔を赤くする僕に笑い、フレアは恍惚の吐息と共にふと言葉を漏らす。

「きもち、よかったね〜……。えっちって、こんなに気持ちいいんだね〜」

「そうだね……確かに、すごく気持ちよかった」

 フレアの耳がぱたぱたと動くのを視界の端に捉えながら、僕も彼女の言葉に同意した。あの強烈な感覚は、今までに味わったことがないものだった。そのうちあの快楽に溺れてしまいそうで、少しだけ怖い。

「ね〜? さっきので〜、私たちの赤ちゃん、できるかな〜?」

「えっ!? あ、ええと……」

 突然の質問に一瞬うろたえてしまったものの、性交をした結果、そういうことについての可能性を考えるのは当然だろう。僕だって、彼女との愛の結晶である子どもが欲しくないわけがない。

 ただ、流石にあれだけで赤ん坊を授かるとは想像しにくかった。

「どうなんだろう……。よくわからないけど、さっきの一回では難しい、かも」

「そっかぁ〜。ちょっと残念、かな〜」

 彼女も僕と考えていることは同じだったのだろう。僕の言葉にもそれほど落胆した様子はなかった。それでも一瞬、寂しげに目を伏せる。

「フレア……」

 僕を見つめつつ、けれどどこか遠くを見るような目で、フレアは語りだす。

「私の夢はね〜。あったかくてやさしい家族、なの〜。お金持ちとか、大きな家とか、立派な地位とか、そういうものはなくてもいいの〜。ただ、私はずっとルフくんの隣にいられて〜、可愛い子どもたちと一緒に〜、毎日穏やかに暮らせればいいの〜。そういう家族を、作りたいの〜。それだけがあれば、私は他に何も要らないの〜」

 どこか祈りにも似た願いの言葉を聞き、僕は彼女を抱きしめる。驚いたのかわずかに震えた彼女の体を抱き、その耳元で囁く。

「きっと作れるよ。新しい町での暮らしは、まだまだ始まったばかりなんだからさ」 

 僕の言葉に彼女は笑顔を浮かべると、

「そうだよね〜。ルフくんと〜私と〜、私たちの子どもとで〜、い〜っぱい、幸せになろうね〜」

「うん」

「そのためには、がんばって赤ちゃんを産まないとね〜。ルフくん〜、一緒に〜がんばろうね〜」

「……う、うん。頑張るよ」

「ふふ〜……これからいっぱい〜、しようね〜」

 彼女の言うとおり、これからしばらくは毎日頑張ることになりそうだ、と僕はぼんやり考える。だけど、それはそれで悪いことではないように思えた。彼女の望む暖かな家庭は、僕も望むものでもある。それを作るための努力なら、どれほどの労を払ってもかまわないとさえ思える。

 僕の決意を感じ取ったのか、フレアはそっと僕の胸にもたれかかる。肩をそっと抱き、僕達はしばし、これからの生活に思いを馳せる。これから始まる日々は決して楽しいことだけではないだろうが、彼女と話した理想の家族のヴィジョンは、それを乗り越えさせる力を与えてくれる気がした。

 ふと夜空を見上げた僕は、頭上に瞬く光の大河に気付く。

「あ、天の川」

「ほんとう〜。きれいね〜」

 僕の上げた声につられ、天を見上げたフレアも感嘆の言葉を漏らす。お互いの体を抱き寄せ、僕達はしばし、空を見つめる。

 煌きながら流れる天の川は、新たな暮らしの第一歩を踏み出した僕達のことを祝福してくれているようだった。降り注ぐ星の光に包まれて、僕達はもう一度想いを確かめ、より強く結びつくようにと口付けを交わすのだった。


――『ミルキーウェイを見上げて』 終わり


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