『幻灯綺譚』
「いやだいやだいやだ!」
夕闇に包まれた庭の真ん中で、一人の幼子が声をあげている。
丁寧に仕立てられた着物を着た男の子の歳は三つか四つ。黒髪を短くそろえ、垂らした髪型は幼い顔立ちとあいまって少女のようにも見えるが、腰に差した小さな刀が男の子であることを示している。
日は既に大きな屋敷の背後に隠れ、玉砂利の敷かれた庭に長い影を落としている。門まで点々と置かれた丸石の両脇には、石造りの灯篭が規則正しく並び、その中に蝋燭の炎を灯していた。
「わがままをいってはいけません。早くしないと先方の三原家にもご迷惑がかかりますよ」
男の子の数歩先に立つ母親はその整った顔に困り顔を浮かべながらも、むずかる子をたしなめる。
一児の母とは思えぬほど若々しい彼女の纏うのは、藤色の小袖。しかしそれは一目見ただけで上物と分かる生地で作られ、腕のいい職人の手によるものと分かる精緻な刺繍が入っている。長い黒髪は結髪せずにゆったりと背に流されていたが、彼女の立ち居振る舞いにあふれる美しさのためか、不思議と品を感じさせた。
「ほら、そんな古びた提灯はしまって。こちらを使いなさい」
そういって母親が、手にした提灯を差し出す。竹ひごに障子紙を張った卵形の高張提灯と呼ばれるもので、火袋の中で灯る蝋燭の火が、全体を橙色に染めている。火袋に張られた紙も真新しく綺麗なままで、出かけるために下ろしたばかりなのだろうと分かる。
だが男の子は差し出された新品の提灯から一歩下がると、先ほど以上に大きな声を出す。
「やだぁ!」
広い庭にあまねく響くような声に驚いたひぐらしが鳴き止み、庭にそびえる木から飛び立っていった。遠くでは犬が吼え、庭木はざわざわと、葉ずれの音を立てる。
それに構わず、男の子は涙を浮かべながら母親に背を向ける。唇を真一文字に引き結び、そのまま何か大事なものを守るかのようにその場にしゃがみこんだ。
その小さな手がしっかと握り締めるのは、母親の手にあるものと同じ、手提げの提灯だった。
子供が持つにはやや大きい、巴紋の入った、高張提灯。ずいぶんと年季の入った品のようで、張られた紙は古び、留め金にも錆が目立つ。
ついさっきまでは中で燃えていた火は、男の子がしゃがんだ拍子に消えてしまったようだ。それでも男の子は提灯の柄を握り締めたまま、固まったようにしゃがみこみ続ける。
「ほら、由緒正しい刀祢家の跡取りがそんなことでどうするのですか」
母親の声にも男の子は答えず、ぎゅっと目を瞑る。
「その古い提灯では、三原の方々に笑われてしまうでしょう?」
先ほどよりかは幾分やさしげな声で掛けられた言葉にも、男の子はぶんぶんと首を振る。その姿はこの古びた提灯でなければいやだと、てこでも動かないと雄弁に語っていた。
そんな息子のことを母親は困ったように見つめていたが、やがてふうと小さく息を吐き出した。
いつの間にか深さを増した闇の中に、諦め交じりの母親の声が響く。
「そんなにその提灯がいいなら、仕方ありませんね」
先ほどまでとは変わった母親の声色に、男の子が顔を上げる。きょとんとした顔の息子を見つめ、それから視線を外して門の方を見やりながら、母はどこか自分に言い聞かせるように呟いた。
「その提灯は……旦那様が愛用していた品ですし、付き合いの長い三原の方々なら分かってくれるでしょう」
母親は男の子を立たせ、しなやかな指でそっと彼の目元に浮いたままの涙を拭う。それから自分の差し出していた提灯をたたみ、赤々と燃える蝋燭を露にした。
「ほら、貸してごらんなさい。」
母親の言葉に、男の子は提灯を握る手に力をこめる。
「……」
その様子を見て苦笑した母親は、彼の頭をそっと撫でて言った。
「心配せずとも取り上げはしませんよ。いつまでも火が消えたままじゃ、その提灯もかわいそうでしょう?」
そういって手を差し出した母親に、男の子は恐る恐る自らの持つ提灯を差し出す。それを受け取った母親は、やや短めの蝋燭の先端へと、炎を近づけた。
黒い芯に小さな火が移り、彼の手にした提灯に再び明かりが灯ると、ほのかな明かりが涙に濡れた男の子の頬を染め、母親の穏やかな笑みを浮かび上がらせた。
母親は男の子の提灯を元通りに伸ばすと、その柄を再び小さな手に握らせる。
「はい、これでよし。これ以上遅くなってしまうといけませんから、少し急ぎますよ」
自分の提灯を右手に持ち、反対側の手で男の子の手をとると、母親は門へ向かって歩き始める。すっかり夜色に染まった庭の先には、屋敷をぐるりと取り囲む塀と、大きな木の扉を開けた門がある。その側にはいつの間にか篝火が焚かれ、ぱちぱちと音を立てていた。
母親と手を繋ぎ、漆塗りの下駄が玉砂利を踏みしめる音を聞きながら、男の子もまた足を進める。
その小さな手に握られた柄の先で、古びた提灯が嬉しそうに揺れるのだった。
・・・・・・・・・・・・
「う……ん……」
無意識のうちに漏れたうめきが耳に届き、僕の意識を眠りから浮上させていく。いまだに体の感覚はどこか遠く、まどろみの残滓は抜け切っていなかったが、胸元までかかる布団の重さと温かさ、頭に当たる枕の柔らかな感触が、ここが臥所であることを教えてくれる。
室内は静けさに包まれ、瞼越しにも夜明けの光は感じない。まだ、朝にはなっていないようだ。時刻はよく分からなかったが、なんとなく、丑三つ時くらいだろうかと思った。
日の出までには時間があるが、変に目が冴えてしまったせいでもう一度眠る気にはなれなかった。かといって誰かを起こすわけにもいかない。
何をして過ごしたものかと、胸中で息を吐き出す。
それにしても、ずいぶんと昔の夢を見ていたようだ。もう、二十年以上は前か。物心がつくかつかないかの歳のころのことなど、普段はさっぱり忘れているというのに。
僕はもぞもぞと布団の中で身をよじり、ゆっくりと瞼を上げていく。黒く塗りつぶされた天井に、うっすらと木組みの濃淡が浮かぶ。
と、その視界の端に、穏やかな橙色が滲んだ。
静かに目を向ける。寝起きの頭でもすぐに、その正体を理解することが出来た。
布団に仰向けに横たわる僕のすぐ側に、ゆらゆらと揺らめく炎がある。静かに燃えるともし火の色は僕の顔にかかり、同時に背後の障子をも橙色に染めていた。
火の玉からゆっくりと視線をずらしていくと、小さなちゃんちゃんこを纏った小ぶりな胸、そして幼さが色濃く残る女の子の顔が映る。
こちらを覗き込む顔には影がかかっているものの、そのあどけない表情の可愛らしさは少しも損なわれていなかった。短くそろえられた前髪の下では、やや赤みがかった大きな瞳が僕の顔を見つめている。
「あっ……」
視線が合い、女の子が小さく声を漏らす。僕を起こしてしまったことに気づいた少女は、わずかに気まずそうな顔を浮かべた。部屋の隅まで慌てて飛びのき、こわごわとこちらの様子を伺う。
小動物めいたその姿に思わず小さく噴き出した僕は、女の子に向けてやさしく声をかける。
「怒ってないよ」
「……」
それでもまだ不安なのか、たんすの陰からおそるおそるこちらを見やる少女。
僕は身体を起こすと、布団の上に胡坐をかき、彼女の名を呼んだ。
「ほら、火ノ香。こっちにおいで」
少女を見つめながら、ちょいちょい、と手招きをしてやる。しばらくの逡巡を見せた後、彼女はようやくたんすの陰から姿を現した。
少女の幼い体が身につけるのはちゃんちゃんこと、それから大きな袖。上着と分かれた袖には、黒く染められた巴紋が大きく描かれていた。茜色をした短めの髪の上、ちょこんと乗っかった丸い頭巾のような帽子からは、長い尻尾のようにも見える細長い房が伸びている。
顔立ちや、背丈だけを見たなら、年端もいかない少女ともいえる火ノ香。その可憐さは、街中を歩けば人目を惹くに十分なものを持っている。
しかし何よりも目を引くのは、彼女のおなかの中で赤々と燃える、炎だった。
胸元から覗く肌は、人と同じ色。けれどもそれはやわらかな曲線を描くおなかの辺りで薄く透け、ちょうどへその辺りで内にほとんど透明となり、周囲を照らす火の玉が見て取れる。
常識では考えられない、不可思議な光景だった。
さらには、膨らんだかぼちゃのような腰履きから伸びる滑らかな肌を持つ彼女の足も、そのつま先は地面に触れず、畳からわずかに上にある。小さな足は火袋を半分にしたような形のものに包まれ、断面は燃える炎のように不規則に揺らめいていた。
まるで少女の姿をした提灯というか、提灯のような格好をした少女というか、言葉にするのも奇妙な姿。
だがそれも、少女の正体を知れば納得できるだろう。
火ノ香は付喪神、いわゆる「あやかし」の類なのだ。その見た目からも想像できる通り、元は年経た手提げ提灯である。積もり積もった念と妖の力が結びつき、人のような姿を得たのが、今僕の目の前に浮かぶ、火ノ香という少女なのだ。
ちなみに火ノ香というのは、僕が付けた名だ。本来、付喪神はそれぞれ元となった道具の種別による呼び名があるのだが、「提灯おばけ」というその名前は、彼女にとってはあまり好きなものではなかったようだったからだ。まあ、異形とはいえ女子であれば、「おばけ」呼ばわりされて喜ぶものはいないだろう。
それに、自分が考えた名前を気に入って、その名を呼ばれることを喜んでくれるというのは、こちらとしてもなかなかに嬉しいものだ。
そんなことを考えながら僕が火ノ香を見つめていると、不意に彼女がうつむいてしまった。
「どうかした?」
問いかけてみるも、答えはない。だが、すぐにその理由は分かった。
どうやらまじまじと見られるのが恥ずかしかったらしい。柔らかな曲線を描く彼女の頬は、薄暗い中でもそれと分かるほどに朱色に染まっている。
先ほどまでは僕の寝顔をじっとのぞいていたくせに、自分が見つめられるのは恥ずかしいらしい。妖のわりに、妙なところでこの子は初心なのだ。
けれど、そんな様子も、とても可愛らしい。
「火ノ香」
微笑みつつ、もう一度名を呼び、手招きを続ける。僕の声にいまだ桜色をした顔を上げた彼女は、それでようやく決心がついたのか、ややためらいながらもこちらへと近づいてきた。
空を滑る火ノ香に合わせ、室内の壁や天井を橙の明かりが照らす。壁に映る小柄な影が揺れ、室内にかすかな風が起こった。
僕は胡坐をかいたまま、そっと腕を伸ばす。ふよふよと浮き、ゆっくりと僕の傍らまでやってきた火ノ香の手を取り、やさしく引き寄せた。
「ひゃ……」
小さく声を上げながらも、火ノ香は僕に身を任せ、手を引かれるまま胸の中に飛び込む。
強く抱けば壊れてしまいそうな小柄な身体を、やさしく包み込んだ。
「ごしゅじんさま」
嬉しそうに、声を上げる火ノ香。間近で見つめ合うと、少女の頬の桜が深みを増した。恥ずかしそうな顔で視線を外そうとする彼女の頬に手をあてがい、その肌を撫でる。
「んっ……」
くすぐったそうな中にも、嬉しさを滲ませて火ノ香が声を漏らす。元が道具とは思えないほどに、その肌は滑らかで、伝わる体温は温かい。
頬を撫でるたびに、彼女の耳を隠す髪の房が僕の手に当たり、さわさわとくすぐる。
そのうちに恥ずかしさも薄れたのか、それとも触れ合ううちに興奮が高まってきたのか、火ノ香からも僕に身体を摺り寄せてきた。小さな頭を傾け、そっと胸元に預ける。
「えへへ……ごしゅじんさまのおと……」
彼女はうっとりとした表情でつぶやき、僕の心音に耳を澄ます。身体が触れ合い、互いの鼓動が伝わる。僕が頭を撫でてやると、火ノ香は気持ち良さそうに目を細めた。
「ごしゅじんさまにだっこしてもらうの、だいすき……」
胸に頬を摺りつけ、両手を身体に回して抱きつきながら、火ノ香が甘えた声を漏らす。その直截な言葉に、思わず照れてしまう。一瞬で体温が上がった気さえした。
ひとしきり頬ずりを堪能した火ノ香は顔を上げ、僕を見つめる。間近で揺れる、紅い瞳。その中に強い想いを感じ、僕はしらず、鼓動を早めた。
「あの、ごしゅじんさま……」
何かを期待し、ねだるような声で、火ノ香が僕を呼ぶ。その先の言葉は、聞くまでもなかった。次第に熱を持ち始めた僕の身体に気付いたわけではないだろうが、あまりに絶妙な火ノ香の声と表情は、僕の理性を押し切るには十分すぎた。
火ノ香のおとがいに手をあて、上を向かせると間髪いれずにその唇をふさぐ。
「あ……ん……っ」
驚いたように目を開いた火ノ香に微笑み、今度はやさしく唇を吸う。彼女もまた、潤んだ瞳を伏せ、自らの唇を押し当ててきた。
「んん……っ、ちゅ……」
ぎゅっと目を閉じながらも、僕に自分の唇を押し当ててくる火ノ香。口付けを交わすたびに、彼女の中で燃える炎、その熱が触れ合う唇を通して僕の中に染み込んでくるような気がした。
加速する興奮に自分が抑えきれず、いつしか僕は火ノ香の唇を割り、舌を差し入れていた。彼女の小さな口の中を差し込んだ舌がうごめき、舐める。
「んぅ……んっ、んじゅ、ぁ……っ」
火ノ香もまた、快感に身悶えながらも懸命に舌を絡め合わせ、応える。口元からは涎が垂れ、胸元に落ちて汗と混じり、その肌を汚した。
唇を吸いながら、僕は火ノ香の胸元に手を伸ばす。手探りで紐の結び目を解き、ちゃんちゃんこをはだけさせると、小ぶりな胸が、灯りに晒された。
「あっ……ごしゅじんさま……っ」
唇を離し、羞恥の声をあげる火ノ香に構わず、僕は胸にそっと舌を這わせる。
「ひゃうぅ……っ!」
滑らかな火ノ香の肌は興奮に火照り、ほんのりと汗の味がした。僕は子猫のように何度もその乳房を舐め、つんと立った乳首を舌でつつく。そのたびに火ノ香は震え、小さな口から嬌声を漏らした。
「あ……」
不意に、火ノ香が声を上げる。火ノ香の視線を追って目をやれば、いつの間にか下穿きを押し上げるものが、彼女の下腹部に押し当てられていた。
「あ、いや。これは……」
少々ばつの悪いものを感じて、僕は目を逸らす。
だが火ノ香は両手を僕の頬にあてがい、自分に向きなおさせるとやさしく微笑み、耳元に囁いた。
「いいんですよ、ごしゅじんさま」
その言葉にわずかに目を見開く僕に、そっと口付ける火ノ香。そのまま僕の頭を両手で抱き、言葉を続ける。
「わたしの一番の幸せは、ごしゅじんさまに使ってもらうこと。わたしでごしゅじんさまが気持ちよくなってくれるのが、何よりの悦びなんですから」
そういって、彼女はそっと自らの腰履きの紐を解き、ずり下げる。ともし火に照らされ浮かび上がった少女の幼い秘所は既に濡れ、てらてらと光っていた。
「……っ」
それでもやはり羞恥は感じるのか、頬を染めたまま目を伏せる火ノ香。僕は彼女を抱き寄せ、その唇にそっと触れる。
「ありがとう、火ノ香」
その言葉に、恥ずかしげな中にも嬉しそうな笑みを浮かべ、火ノ香が小さく頷く。
僕は抑えきれない興奮に急かされるように下穿きを脱ぎ、己のものを露にした。既に肉棒は硬く勃ち上がり、外気に触れてびくびくと震える。
その様子に、火ノ香は小さく息を呑む。
「こわい?」
涙を浮かべつつも、気丈にふるふると首を振る火ノ香。その姿に心を打たれながらも、僕は心中で荒れ狂う獣欲を抑えることはできなかった。
火ノ香の秘所に亀頭をあてがう。それだけで、背中を稲妻が通り抜けるような感覚が襲った。
「く……」
「んぅ……っ」
それは彼女も同じだったようで、閉じた瞳、震えるまつげの端から涙の雫が一粒、零れる。彼女の受ける快感を表すように、お腹の炎がひときわ大きく揺れた。
性器同士を触れ合わせたまま、動きを止めた僕らはわずかの間、見つめ合い呼吸を整える。それからもう一度、僕は火ノ香の唇を吸い声をかけた。
「それじゃ……」
「はい、いれ……ますね」
その言葉と共に火ノ香は僕の肩に手を置き、ゆっくりと腰を沈める。
くちり、というかすかな音と共に彼女の割れ目が開かれ、僕のものが埋め込まれていった。
「くぅ……っ、あ……」
火ノ香の小さな膣が、ぎちぎちと僕を締め付ける。痛みにも似た強烈な感覚。歯を食いしばって刺激に耐えようとするが、堪えきれない声が漏れてしまう。
「ひ……んぁ……っ、うぅ……」
火ノ香もまた、自分の中に収めるにはあまりに大きな剛直に声を上げていた。しかしその顔に浮かぶのは苦悶の色だけではなく、愛するものと繋がる至福と、これ以上ないほどの快楽が滲んでいる。
肉棒が奥へと進むたび、火ノ香の締め付けは増し、同時に快感は高まっていく。ともすれば壊れてしまうのではないかと思うほどの狭い膣内は、しかし同時に背徳的な興奮をも与え、僕の理性を焼き尽くしていく。
「はぁ……もっと、もっとおくにぃ……」
普段からは想像できないほど、淫らな顔と声で、火ノ香が囁く。僕の肩に置かれた手は痛いくらいに力がこめられ、つややかな肌には珠の汗が浮かぶ。けれども今の彼女には、僕と繋がる一点しか感じられていないように見えた。
「う……く、うぅ……」
火ノ香の太ももをつかみ、僕は肉棒の根元までを彼女に埋める。気を抜けばすぐにでも果ててしまいそうなほどの心地よさ。長い息を吐き出し、吹きすさぶ嵐のような快感をなだめる。
「ぜんぶ、入ったよ……火ノ香」
僕の言葉に、結合部に目をやった火ノ香が嬉しそうに頷く。そのまま僕らはしばし抱き合ったまま動きを止め、互いの瞳を見つめていた。
「ごしゅじんさま……、そろそろ、だいじょうぶです」
僕の耳元に火ノ香が囁いた。そういいながらもいまだ彼女の目元には涙が浮かび、額には汗が滲んでいる。けれども、僕のことを想う彼女の気持ちを無下にはできなかった。
「ありがとう、でも、無理はしないでね」
そう囁き、ゆっくりと、火ノ香のことを想いながら、腰を動かし始める。絡みつくような肉襞が僕のものを擦り、わずかに動かすだけで強烈な刺激が走る。
「んっ、あっ……いぃ、ごしゅじん、さま……」
僕の身体にしがみつきながら、火ノ香が嬉しそうに声を上げる。視覚、聴覚、触角、それぞれから得られる快感に、思考を焼くような熱を感じながら、僕は火ノ香の膣内から肉棒を引き出した。
「く、あ……」
完全に抜ける瞬間動きを止め、もう一度中へと押し込む。ずちゅりという水音と共に、再び僕のものが彼女の中を犯していく。
「ん、ふぁぁ……っ」
火ノ香の上げる快感の声に、ぞくぞくするものを感じつつ、僕は肉棒を挿入する。先ほどよりは多少快感にはなれるかと思ったが、生き物のように絡みつく彼女の膣内は暴力的なまでに僕のものを締め付け、精気を搾り取ろうとするかのようだった。
抽挿を繰り返すうちに、いつしか火ノ香の炎はかがり火の如く大きくなり、彼女の動きも激しさを増していく。僕の上で腰を振り、膣の奥、子宮へと亀頭をぶつけんばかりに乱れる姿に、僕もまた獣と化した動きで応えた。
しばし、室内に荒い呼吸の音と肉同士がぶつかる音、そして至福に満ちた嬌声が響く。
「ごしゅじん、さま……っ、わたし……、わたし……っ」
ぶるぶると震えながら搾り出した火ノ香の声に、僕は限界が近いことを察した。
「ああ……僕も……っ、く……ほのか、もう……」
今にも爆発しそうになるのを必死で堪え、最後の力を込めて、思い切り突きこむ。ひときわ強烈な挿入に、火ノ香はびくびくと身体を痙攣させながら、懸命に動きをあわせた。
「ひゃ、あうぅっ、だめっ、んんぅ、いっちゃい、ますぅ……!」
その声と共に、火ノ香の膣内が僕のものを強烈に締め付けた。
その瞬間、僕も限界を超えた。
「くぁ……っ、だめだっ……でる……っ!」
「ふあ、あぁぁぁぁっんっ!」
根元まで埋め込んだ肉棒が脈動し、勢いよく精液を吐き出していく。自らの最奥で強烈な刺激を味わう火ノ香は、歓喜に満ちた声を上げながら、僕にしがみついた。
白濁した液が膣内に迸るたび、火ノ香の中で灯る炎がひときわ大きく燃え上がる。その間にも肉棒はびゅくびゅくと精液を吐き出し、彼女の中を満たしていく。
「はぁっ……はぁっ……はぁ……」
やがてそのすべてを吐き出した僕は、ゆっくりと呼吸を整える。腕の中の火ノ香も、いまだくすぶる快感に身体を震わせながらもこちらを見つめ、幸せそうに微笑んだ。
「お疲れ様、火ノ香。ありがとう、気持ちよかったよ」
「あっ……あふ……ごしゅじん、さまぁ……」
うわごとのように呟く火ノ香の頭を抱き、そっと髪を梳いてやる。気持ちよさげに目を細める彼女をやさしく抱きしめると、僕はゆっくりと布団の上に倒れるのだった。
・・・・・・・・・・・・
深い藍色が満ちる臥所の中、抱き合ったままの僕らは布団の上に横たわっていた。火ノ香のお腹の中で揺らめく灯が暗闇を押しのけ、室内をぼんやりと照らしている。
室内には情事の気配が色濃く残り、僕らの身体をいまだ快感の残滓がわずかに火照らせている。先ほどまで勢いよく燃え盛っていた火ノ香の炎は、今はいつもどおりの大きさに戻っていたが、時折思い出したように揺れ、彼女の中にくすぶる熱を示していた。
二人とも、無言。障子の外、庭からも虫の声すらしない。世界すべてが眠りについたような、穏やかな静寂が辺りに満ちている。
火ノ香は伸ばした僕の腕を枕にし、こちらに抱きつくような格好で胸に手をあてていた。やや垂れ目がちな大きな瞳は閉じられ、縁取るまつげが時折揺れる。眠っているのではなく、僕の体温を感じることに集中しているのだろう。
気持ち良さそうな少女の表情から視線を外し、僕はぼんやりと閉められた障子を眺める。外はまだ暗く、日の出まではずいぶんと時間があるようだ。
ふうぅ、と長い息を吐き出す。その音に火ノ香が閉じていた目を開け、こちらを向いた。
じっ、とこちらを見つめる瞳は、闇の中でもまるで珠のように美しく輝いている。
どうしたの、と問いかける彼女の視線を受け、僕は口を開いた。
「体の火照りを覚ましにでも、少し外へ散歩にでも出るかい?」
僕の言葉に顔を上げた火ノ香が、嬉しそうにこくこくと頷く。
元が提灯である彼女は化生となった今でも、いや、化生となったからこそ、かつてのように道具として使ってもらうことが大好きなのだ。
「よし、そうと決まれば早速行こうか」
「はい」
布団の上で火ノ香と共に身体を起こす。僕は枕元に置かれた刀をつかみ、静かに立ち上がった。そっと戸を開け、廊下へと足を踏み出す。その後ろに宙に浮かぶ火ノ香が続いた。
板張りの廊下には、闇が満ちていた。縁側の雨戸が開けられたままのおかげで、吹き込む夜風が心地よい。家人を起こさないようにそっと歩き、寝所となっている建物を抜け出す。
つい、と僕の前に進み出た火ノ香が、足元を照らしてくれる。
「ありがとう、火ノ香」
「いいえ、お役に立てて、嬉しいです」
僕が声をかけると、火ノ香はにこりと微笑んだ。
寝所から渡り廊下を通り、足音を殺して母屋へと進む。使用人たちが寝泊りしているのは離れなので、ちょっとやそっとの物音では目を覚ますことはないだろうが、わざわざ眠りを妨げることもないだろう。
玄関で草履を履き、鍵を開けて外に出る。玉砂利の敷き詰められた庭を通り抜け、闇の中にもその威容を誇る表門へとたどりついた僕たちは、しっかりと閉じられた扉の隣に設えられた小さな木戸をくぐり、屋敷の外へと足を踏み出した。
表門の外、僕の目の前には、左右それぞれにまっすぐ伸びる道が続いている。田んぼや畑は闇の中に沈み、吹き抜ける風に稲穂が揺れていた。
道にそって眺めていけば、遠くに村の家々が見えた。どの家も明かりは消え、濃紺が影絵のように屋敷の形を浮かび上がらせている。振り返って反対側に延びている道をたどれば、川を一つ越えて刀祢が治める領域のはずれへと続いていく。こんもりと盛り上がる森の影からは、ふくろうの声がかすかに響いていた。
「それじゃ、その辺をぐるっと歩いてこようか」
「はい。お供します、ごしゅじんさま」
特に目的のある散歩でもなかったのだが、僕は集落とは反対側へと続く道に向かって足を踏み出す。冷静に考えれば、こんな夜更けに村の誰かと会うことはないだろうが、なんだか今は火ノ香と二人きりの散歩を邪魔されたくはなかったのだ。
踏みしめられた道を、火ノ香と連れ立って、ゆっくりと歩く。道の両脇を覆う草は夜露に濡れ、野の匂いを辺りに漂わせている。
歩きながら、僕はぼんやりと目の前の少女の姿を見やる。お腹の中に炎を灯し、ふよふよと浮く火ノ香。
人とは異なる姿ではありながらも、不思議と恐怖よりも可愛らしさ、あるいはある種の滑稽さを感じさせるのは、彼女に悪意や害意の類が欠片もないからなのか。いや、それに加えておそらく穏やかな火ノ香自体の気性も手伝っているのだろう。
そもそも、火ノ香曰く、彼女は大事に使われた道具の感謝の念から生まれた付喪神だという。人と共にあることを喜び、人に使われることを幸せと感じる彼女が、邪悪なはずがない。
そのためだろう。今、僕と一緒に歩く彼女の後姿は、どことなく楽しそうだ。
頬に当たる夜気を感じながら、僕は火ノ香に声をかけた。
「涼しくてきもちいいね」
「はい」
僕の一歩前を浮く火ノ香も、それに頷く。声に弾んだ調子を感じるのは、気のせいではないだろう。自然と、僕まで顔が綻んでしまう。
空を見上げれば、薄くかかった雲と、細い月が見えた。田んぼに植えられた稲も、その先に穂を付け出している。もう少しすれば、稲刈りの時期だ。収穫祭が迫れば、この辺り一体の名主のような立場にある刀祢の家も忙しくなるだろう。
そんな事を考えながら足を進めていると、ふと、僕の前に浮かんでいた火ノ香が立ち止まった。くるりと振り向き、ややうつむきがちにこちらの様子を伺う。
「どうかしたかい?」
僕が尋ねると、火ノ香はしばし迷うようなそぶりを見せていたが、やがておずおずと口を開いた。
「あ、あの……。手を繋いでも、いいですか?」
「手を?」
「は、はい……。だめ、ですか?」
顔から火が出るのではないかと思うくらい、頬を真っ赤にした火ノ香に思わず笑ってしまう。
年経た道具が変化する付喪神だが、元の提灯として使われていた年月はともかく、妖としての火ノ香は生まれてまだ一年と経っていない。いうなれば、まだまだ人恋しい子供なのだ。
僕のことを恋人としてのほかに、父として見ている節があったりするのも、そのせいなのかもしれなかった。
「あぅ……」
恥ずかしさにうっすら涙を浮かべた火ノ香の頭をやさしくぽんぽんとたたく。顔を上げた彼女に、僕は笑みを浮かべて手を差し出した。
「もちろんいいよ。ほら」
途端、ぱあっと顔を輝かせ、嬉しそうに手を握る火ノ香。
「えへへ……ごしゅじんさまの手、おっきいです」
「そりゃまあ、これでも男だからね」
そう返し、僕は包み込めるほど小さな手を握り返して再び歩き出す。
年頃の男が小さな女の子と手を繋いで歩いている姿は少し可笑しくもあったが、人気のない夜道ならば見咎めるものはいない。僕も気にせず、笑顔を浮かべる火ノ香と同じく微笑を浮かべた。
夜道を歩きながら、不意に火ノ香が口を開く。
「ごしゅじんさま、覚えてますか?」
「ん?」
その声に僕が火ノ香に顔を向けると、彼女はどこか遠くを見るような瞳でまっすぐ前を見つめたまま、ぽつぽつと語りだした。
「ごしゅじんさまは、夜にお出かけするときはいつもわたしを使ってくださいましたよね」
「そうだったなぁ……」
言われて、遠い記憶を呼び起こす。確かに、夜に出かける際は決まって火ノ香の元になった提灯を手にしていた。何度言われても頑として火ノ香を使い続けていた僕が、母親に怒られたのは一度や二度ではない。
「前の持ち主、ごしゅじんさまのお父様もわたしのことはよく使ってくださいましたけど、ごしゅじんさまは本当に、わたしのことを大事に大事につかってくださいましたよね」
火ノ香はこちらにやさしい笑みを向けると、そっと目を閉じる。
「夏の日も、秋のお祭りも、雪の降る冬の夜も、いつもこの手がわたしを優しく包んでくれました。あの時はまだ、ただの提灯だったわたしには夜道を照らすことしか出来なかったけれど……」
静かに瞼を開いた火ノ香の瞳に、僕の姿が映る。
「今はこうして、ごしゅじんさまと触れ合い、言葉を交わし、感謝を伝えることが出来る。ごしゅじんさまがわたしを大事に、大事に使って、愛してくれたから」
身体の中に燃える炎に手をあて、想いを確かめるようにゆっくりと呟く火ノ香。僕はただ無言で、彼女の言葉に耳を傾ける。
「だから、わたしは幸せです。ありがとうございます、ごしゅじんさま」
うっすらと喜びの涙を浮かべ、火ノ香が微笑む。
それに僕も、自然と答えていた。
「僕も……幸せだよ。火ノ香とこうして、一緒にいられて」
言葉にしてから、恥ずかしさに頬が熱くなる。火ノ香は僕の言葉に嬉しそうに頷き、再び前を向いた。
火ノ香は繋いだ手を小さく振り、虫の声を伴奏に歌いだす。
とぉりゃんせー とぉりゃんせー
こーこはどーこのほそみちじゃー
ふわふわと浮きながら、楽しそうにわらべ歌を口ずさむ少女。懐かしい歌だった。僕がまだ小さいころ、夜に出かけるときに母上が歌ってくれた歌だ。そしてその時にはいつも、僕は手に古びた提灯を持っていた。
そのころにはまだ、ただの提灯であった火ノ香もこの歌を一緒に聞いて、覚えていたのだろうか。きっと、そうなのだろう。
気付けばいつの間にか、僕も歌詞を口ずさんでいた。火ノ香の澄んだ高い声と、僕の声が重なって夜の風に乗り、暗闇の中に流れては消えていく。
今はぼやけた記憶となった幼いころの日々を思いながら、僕は昔のように提灯を握り、足を進めるのだった。
歌も終わり、それからしばらく歩いたころ、僕らは川にかかる橋を渡り、村はずれにぽつんと立つ小さな社にまでたどり着いた。ここまでが刀祢の領地である。
「少しだけ休んでいこうか」
僕の言葉に頷く火ノ香。
朱の色も褪せた小さな鳥居を並んでくぐると、正面に赤い屋根のお社が見える。その側には旅人が腰を休めるのにちょうどいい高さの石が、無造作に転がっていた。
どちらからともなく腰を下ろし、ふうっと息をつく。さらさらと流れる水の音と、虫たちの声に耳を澄ませた。
隣に座る火ノ香が、僕にもたれかかると肩に頭を預ける。わずかな重みと、柔らかな頬の感触が僕に伝わる。
「つかれたかい?」
「ううん」
尋ねる僕に、首を振る火ノ香。その小柄な身体をそっと支えると、彼女は安心しきった表情で瞳を閉じた。身体に回した僕の手に自分の手を重ね、気持ち良さそうに静かな呼吸を繰り返す。
火ノ香の炎が、穏やかに闇を照らす。ゆっくりと流れる時間を感じながら、僕はぼんやりと遠くに見える夜の里を眺めた。
「おやおや、こんな夜更けに誰かと思えば刀祢の主殿に提灯娘じゃないか」
と、僕ら以外の声が頭上から降ってきた。驚いて顔を上げると、月を覆い隠す影が目に映った。影はだんだん大きくなり、ばさりという羽音と共に僕らの前に舞い降りる。
「……っ」
火ノ香が怯えたように僕の着物をつかみ、背に隠れる。僕もまた、無意識のうちに腰に差した刀に手をやっていた。突然の闖入者を油断なく見据え、いつでも抜けるよう、柄を握る手に力を込める。
が、すぐにそれは無用のことだと気付いた。
「大丈夫だよ、火ノ香」
傍らの火ノ香に安心させるように声をかけると、彼女はおそるおそるといった風に僕の背から離れた。同時に、彼女の灯りが来訪者の姿を照らし、暗闇の中から浮かび上がらせる。
僕らから数歩の距離の降り立ったのは、修験者のような衣装に身を包み、両腕の代わりに大きな翼を持った独特の姿をした少女。見間違うはずもない、彼女は近くの山に住むあやかし、烏天狗である。整った顔立ちにどことなくいたずらっぽい表情を浮かべるその顔には、見覚えがあった。刀祢の屋敷にも、何度か使いとして訪れたことのある顔である。
「こんなところで会うとは奇遇だね」
「同感だな」
「こ、こんばんは……」
親しげに声をかけてくる烏天狗の少女に、こちらも言葉を返す。それに続けて、まだ少し怯えの残る火ノ香の言葉。
僕にひしとしがみつく火ノ香の様子を見、彼女は顔に笑みを浮かべて言う。
「夜闇に紛れて逢引かい? なかなか大胆だね、主殿も」
くすくすと笑う烏天狗に、僕は少々顔が熱くなるのを感じつつも答える。
「からかうのはよしてくれ。ただの散歩だよ」
僕の答えに意味ありげな視線を返し、烏天狗はわざとらしく鼻を鳴らす。
「そうかい? それにしては二人とも、情事の残り香がぷんぷんするようだけどね」
その言葉に図星を突かれ、僕は自分の頬がいっそう熱くなるのを感じた。火ノ香も同じらしく、恥ずかしさを隠すように僕の袖をつかみ、顔を押し付ける。
「あはは、相変わらず仲が良さそうで何よりだよ」
烏天狗はそんな僕らの様子を見、愉快そうにからからと笑う。僕と火ノ香の仲を否定するつもりはないが、こう茶化されるのはあまり好きではない。僕の顔が苦虫を噛み潰したようになってしまうのは、仕方ないことだろう。
「そっちこそ、こんな夜更けにどうしたんだい?」
ふと思い浮かんだ疑問を僕が尋ねると、烏天狗は笑いを納め、その翼で器用に頬を書きながら答える」
「なに、今夜は山で宴会があったんだけどね。うちの山の大将が悪酔いしちゃったもんだから、面倒ごとになる前に失礼してきたのさ」
「そりゃまた難儀なことで。けどいいのか? 上を置き去りに場を抜け出したりしたら、あとが面倒だろう」
僕の言葉に、火ノ香もこくこくと頷く。
「怒られちゃいますよ……?」
本心からの心配顔を浮かべた火ノ香に微笑み、烏天狗は言う。
「なに、どうせ大将は寝て起きたら忘れているさ。だから朝までこうして夜空の散歩としゃれこんでたんだけどね」
「たまたま僕らを見つけた、と」
「そういうこと」
相変わらずの笑顔に、僕は内心げんなりとする。うわさ好きのこの烏天狗のことだ、明日には山のあやかしどころか、村人たちにも今夜の一件が広まっているだろう。
僕の内心を表情から読み取ったか、烏天狗はやれやれといった風に肩をすくめる。
「主殿はめんどうくさいねえ。そんなことを気にするくらいなら、早くそこの娘を娶って上げなよ。なんなら、私ら烏天狗も力を貸してあげるからさ」
「め、娶って……」
あまりに直接的な言葉に、火ノ香は両手で顔を抑えて言葉を失う。僕も同じくらいに赤面していたのだろうが、正直なところ、疑問が先にたった。
「おいおい、いきなりどういう風の吹き回しだ?」
確かに僕とこの烏天狗とは顔見知りだが、そこまで親しい仲であるとは思っていない。そこまで入れ込む理由があるだろうか。
いぶかしむ僕に、烏天狗の少女は笑みを消し、まっすぐにこちらを見つめる。
「まじめな話さ。主殿は歴代の中でも私らあやかしに良くしてくれるしね。幸せになってもらいたいじゃないか。そっちの提灯娘ともお似合いだしさ」
「……」
その言葉に嘘はないのだろうが、なんとなく、それ以外の理由もあるように感じられた。が、僕にはそこまで確かめる気も起こらなかった。それにきっと問い詰めたところでこの烏天狗にははぐらかされておしまいだろう。
「さて、それじゃ私はいくとするかね」
会話が途切れたのを見計らい、烏天狗は一歩、僕らから距離を取る。
「そんなわけで祝言には呼んでおくれね。山の烏天狗一同、お祝いさせてもらうからさ」
「考えておくよ」
そう答える僕ににかっと笑い、烏天狗はばさりと翼を一打ちすると夜空に舞い上がった。巻き起こる風に火ノ香の袖がはためき、草が揺れる。
最後に僕と火ノ香に一度ずつ目をやり、意味ありげな笑みを見せると、それきりこちらを振り返ることもなく、暗い夜空を山向こうへと悠々と飛び去っていった。
「やれやれ……」
にぎやかな烏天狗が去ったあとも、僕はしばし夜空を見上げていた。
「祝言、ね」
烏天狗の少女が残した言葉を呟き、肩をすくめる。それを思わないことはなかったが、なにぶん名のある家の跡取りなどという立場では、簡単なことではないのだ。
まあ、今はあまり深く考えまい。火ノ香と一緒にいる、その時間を大切にすることを思っていればいい。
そう考え、傍らの女の子に目を向ける。と、僕と同じように夜空を眺めていた火ノ香が、自分のお腹をそっと押さえていることに気づいた。
「どうした? 冷えてきたかい?」
「ううん」
僕の問いかけに首を振り、火ノ香はお腹へと視線を落とす。まるで大事なものを抱えるように小さな手を当てたそこをやさしく見つめ、彼女は口を開いた。
「結婚して、ごしゅじんさまと、わたしの子ども、いつかできたらいいなあ、って」
恥ずかしそうにしながらも、彼女は自分のお腹、赤く燃える炎をそっと撫でる。夢見るような、希望と祈りの混じった響き。音もなく輝く赤を見つめ、僕は呟く。
「こども、か……」
そういえば、と僕は思い返す。火ノ香と身体を重ねるのは今日が初めてではないが、いまだに火ノ香が子供を身ごもるような気配はなかった。人とあやかしの間には子が出来づらいとは聞いていたが、もしや普通のやり方では子を授かることは出来ないのだろうか。
僕の視線から疑念を読み取ったのか、火ノ香はちょっとだけためらいがちに、口を開いた。
「あの……さっきの烏天狗さんとか、鬼さんみたいなあやかしなら、普通に子どもも出来るんですが……わたしは、付喪神ですから。この身に赤ちゃんを宿すことは、できないんです」
少しだけ残念そうな、悲しそうな調子が、声に混じる。
「そうか……」
なんと言葉をかければいいのか思いつかず、僕はそれだけを呟く。
その沈み込んだ空気に慌てて火ノ香は言葉を続けた。
「あ、でも、わたしに子どもが出来ないわけじゃないんですよ。寄り代に、わたしが宿した新しい魂を宿せば、わたしとごしゅじんさまの子どもが出来るんです」
「新しい、寄り代? それは、つまり」
「はい、新しい提灯、です」
「なるほど……」
火ノ香の言葉に、僕は頷く。
「それじゃあ、明日にでも新しい提灯を見繕いに行こうか」
「え……? あ、明日、ですか?」
目を丸くして聞き返す火ノ香に、ちょっとだけ不安になりつつも僕は言う。
「ああ、こういうのは早い方がいいだろ? 思い立ったが吉日、ともいうしさ。それともやっぱり急すぎるか?」
「い、いいえ! そんなことないです!」
僕の顔を見、彼女は慌ててぶんぶんと首を振る。その反応に、僕はほっと安堵の息を吐き出した。
「そっか、ならよかった」
「あ、でも」
そう呟き、不意に笑みを消した火ノ香が眉をしかめる。
「新しい提灯を選ぶ時には、ちゃんとわたしも連れて行ってくださいね。ごしゅじんさまとわたしの娘になるんですから、綺麗で可愛い、それでいて丈夫で立派な提灯じゃなくちゃ、いやですよ?」
僕が一人で出かけてしまうことを危惧したのか、火ノ香はぷくりと頬を膨らませ、いつになく強い視線で睨む。
「心配しなくても、火ノ香のことも連れて行くさ。いやまてよ、そうだな、折角だし、腕のいい職人を呼んで、一つ作ってもらうのもいいな」
「新しい提灯を、作って……?」
その言葉に僕が頷くと、火ノ香の顔がぱあっと輝いた。だがすぐにその眉根が寄り、僕の袖をつかむ。僕の顔を覗き込み、口を開く。
「紙はいいものじゃなくちゃダメですよ? あ、あと竹も。蝋燭も、きちんと綺麗な炎を灯せるものを選んでもらってくださいね」
真剣な表情を浮かべ、矢継ぎ早にあれこれと注文を付ける火ノ香に、僕は思わず苦笑を浮かべる。
「わかってるさ。火ノ香の好きな茜色で火袋を作ってもらって、巴の紋も大きく入れてもらおうな」
そういって火ノ香の髪を梳いてやると、彼女もようやく納得したようだった。こくりと頷き、気持ち良さそうに身を任せた。
「わたしと、ごしゅじんさまの、こども……うふふ、楽しみです」
「ああ、そうだな」
一陣の風が吹き、僕らの頬を撫でていく。ふるる、と思い出したように身を震わせる火ノ香の手を取り、やさしく握り締める。
「さ、風邪を引くといけないし、そろそろ帰ろう」
「はい、ごしゅじんさま」
答える火ノ香と共に、もと来た道を眺める。見れば、遠く山の端がいくらか白み始めていた。それでもまだ辺りは暗く、道は闇の中に溶けている。
夜闇を照らす火ノ香の灯りに包まれながら、僕は彼女を握る手にそっと力を込めた。それに応え、彼女もまた、繋いだ手を握り締めた。
「ちゃんと照らしますから、足元に気をつけてくださいね」
「ああ」
どこか得意げな火ノ香に微笑を浮かべ、僕は鳥居をくぐる。
そして穏やかに見つめる月の下、屋敷への道を火ノ香と二人、手を繋いで歩いていくのだった。
『幻灯綺譚』おわり