――むかし、むかし。あるところに、人々から忘れ去られたお屋敷がありました。
   そこには一人の少女が住み、とても、とても大切なものを守っておりました……。

―――――――――――――

 あたりを濃い闇が覆いつくし、生き物たちには穏やかな眠りが訪れる夜。街から遠く離れ
た森の中にひっそりと佇む館の周りにも等しく夜の帳は下り、降り注ぐ月の光が静かに木々
に囲まれた屋敷を照らしている。
 その建物の中、点々と蝋燭の明かりが灯る廊下を私は歩く。もっとも、夜目の効く私にと
ってはそんなものが無くとも、困りなどはしなかったが。
 足を止め、窓の外にちらりと目を向ければ、庭の向こうに森の木々が影絵のように映る。
人ならば本能的に身を竦ませるであろう蒼い闇と黒い影も、私にとっては心の安らぐお気に
入りの色であった。
 再び歩き出してほどなく、私の目には目的の部屋のドアが映った。かすかに開いた隙間か
らは、室内からほんのわずか灯りが漏れ出ている。
「まったく」
 私は呟くと取っ手を握り、そっとドアを開ける。ゆっくりと開かれた戸の向こうでは、一
人の少年がこちらに背を向けて椅子に腰掛け、読書にふけっていた。書斎として作られたこ
の部屋の壁一面にはいくつもの本棚が並び、その中には様々な本が隙間無くぎっしりと詰め
られている。
 その部屋の真ん中、高い背もたれの影から、少年が手に持った書物のページをめくる音が
時折室内に響いていた。よほど集中しているのか、彼が私に気付いた様子も無い。
 その姿に私は小さく溜息をつき、少年にそっと近寄りながら、彼の背に声をかける。
「セフィ。もう夜も遅いわ。そろそろ寝なさい」
「うん、分かったよ。もう寝る」
 特に驚いた様子も無く、そう返事をしつつも、彼は手元の書物に没頭したままであった。
その目はこちらに向けられることなく、先ほどから変わらず紙の上の文字を追っている。ぱ
らりぱらりとページをめくり続ける少年に対して再び溜息をつくと、私は背後から手を伸ば
し、その本を取り上げた。
「あっ……」
 突如眼前に現れた、闇色の毛に包まれた手への驚きと、本を奪われたことへの悲しげな響
きを少しだけ含んだ声をあげ、少年が私に振り向く。暗闇の中でも輝くような金髪と深く澄
んだ青の瞳。背格好は十代半ばくらいにみえるものの、母譲りの容貌のせいか、その顔立ち
にはいまだ幼さが色濃い。
「セフィロ。『夜の読書は十の刻まで』、約束したでしょう?」
 私は取り上げた本を持った片手を腰に当て、人差し指を立てたもう一方の手を彼の前に突
き出しながら、もう何度目かも分からない同じ内容のお説教を繰り返す。
 私にじっと見つめられた少年、セフィロはしゅんとうなだれ、素直に謝罪の言葉を口にす
る。
「ご、ごめんなさい、ロゼッタ」
「よしよし。素直でよろしい」
 それに私は頷き、少年の頭を優しく撫でてあげる。ちなみにロゼッタという名はここに住
むようになってからの私の名前だ。元は種族名である「アヌビス」とだけ名乗っていたのだ
が、それじゃダメだということでとある人物に名をつけられたのである。
「ええとロゼッタ。そ、そろそろ頭なでるの、止めない?」
 彼は柔らかな毛に包まれた私の手で撫でられる感触に、少しだけくすぐったそうな、恥ず
かしそうな表情を浮かべながら、言う。しかし決して心から嫌がっているようなそぶりは見
せず、実際の所は私の手のひらの感触を気持ちよさそうに受け入れている。
 その顔を見つめる私自身も無意識のうちに感じた幸福感に、腰から伸びる豊かな毛並みを
持った尻尾がいつの間にか振られていた。多分、頭の上の獣の耳もぴこぴこと動いていただ
ろう。傍から見たら少しだけ間抜けな姿だとは思うが、幸いこの場所には私たち以外に、誰
もいなかった。
 私はセフィロの頭をなでながら、まっすぐ彼の瞳を覗き込み、もう一度念を押す。
「ちゃんとわかったの?」
「は、はい。ちゃんと約束は守ります」
「はい、良い返事です。次は怒られる前に寝なさいね。それじゃあ続きは明日にして、本は
ちゃんと片付けなさい。そうしたら、一緒に寝ましょう?」
「うん」
 撫でる手を止め、私がそう言って取り上げた本をセフィロに返すと、彼は素直に頷く。そ
のまま私から離れた少年は壁際の本棚へと向かい、本を丁寧に元の場所へと戻した。
 再び私のところに戻ってきたセフィロと共に書斎を出、寝室へと向かう。その途中、廊下
に置かれた大きな鏡を通り過ぎる際にちらりと視線を流すと、獣の耳と尻尾、そしてそれら
と同じ黒い毛で覆われた手足を持つ魔物であるアヌビスの私と、それよりも少しだけ背の低
い少年、セフィロの姿が映るのが見えた。
 いつもの、見慣れた、「いつでも全く同じ」二人の姿。だがそこに映った姿に、私の心が
かすかに痛む。
「ロゼッタ、どうかした?」
 不意に足を止めた私に、セフィロが声をかける。ずっと一緒に暮らしているせいか、この
子は私のことになるとやたらと勘が働くのだ。 
「……ううん、なんでもないわ」
 彼を心配させないよう思いを押し隠し、努めていつもの声を出す。セフィロはしばし、訝
しげな表情を浮かべて私を見つめていたが、それ以上何も答えない私の態度に、問い詰める
ような強い視線はやがて和らいだ。
「わかった。ロゼッタがなんでもないっていうなら、これ以上は聞かない。でも辛いことは
自分だけで溜め込まないでね」
 セフィロはそう言うと、何事も無かったかのように廊下を歩き出す。彼の後ろ姿を見なが
ら、これじゃあどちらが「保護者」なのかわからないわね、と私はぼんやり思った。

――――――――――――――

 廊下の角を曲がり、少し歩くと寝室のドアが見えた。私の先を歩くセフィロがドアノブを
掴み、下げると小さく軋む音と共に扉が開く。寝室の中には既にベッドの用意が出来ており、
部屋の隅に設えられた暖炉の中では火が赤々と燃え、小さくはぜていた。
「暖炉の火は?」
「いいわ、私が消すから」
 セフィロの言葉にそう返し、少年がベッドに横になるのを見届けると、私自身も休むため
の用意をする。既に着ていたネグリジェの上に羽織っていたケープとガウンを脱ぎ、爪に引
っ掛けて破いてしまわないように気をつけながら、きちんと折りたたんだ。丁寧にたたまれ
たそれを、私はベッド横のチェストの上にそっと置く。
 私は少しの間、何とはなしにその布地を見つめていた。最初、故郷のものとはあれこれと
違う異国の服に戸惑うことも多かったが、今ではそんな衣装を纏うことにも随分と慣れたも
のだった。
「……ふう。私も休みましょうか」
 暖炉の火を消し、ベッドに向かおうとしながら姿見に目を向ければ、どこか扇情的な雰囲
気を纏った女性がこちらを見返していた。薄い布地の向こうに柔らかなラインが透けて見え
る。自分で言うのもなんではあるが、それなりに整ったプロポーションだと密かに思ってい
たりするのだ。
 燭台に揺らめく灯りが、私を照らす。炎の赤が暗闇の中に褐色の肌を浮かび上がらせ、纏
った白いシルクとのコントラストがどこか妖しげな雰囲気を己に纏わせているような気がし
た。
 そんな自分の姿を、ベッドに横たわったセフィロがじっと見つめている。その視線に気付
いた私の頭には一瞬、燃え盛るような熱が渦巻いた。赤々と燃える熱情が、視界を覆いつく
そうとする。
「……と。いけないいけない」
 私は声になるかならないかぐらいに小さく呟き、欲望を押さえ込む。つい、魔物の本能に
流されそうになってしまった。
 気取られないように細心の注意を払いながら、セフィロの元へと戻る。
「いいのよ。そのまま横になってて」
 彼が体を起こしかけるのを押し留めると、私は布団の端を持ち上げ、ベッドにもぐりこむ。
体を横に向け、少年と向かい合う形になると、彼はいつものように体を寄せてきた。
「ふふ。なんだかんだ言って、まだまだ甘えん坊ね」
「う……」
 赤面するセフィロに笑いかけ、私は掛け布団の上から少年の細い体をそっと撫でる。
「そういえば、さっきは何を読んでいたの?」
「ん?」
 ふと、思いついた疑問を口にすると、彼はほんのわずかきょとんとした表情を浮かべた。
だがすぐに顔を輝かせると、興奮した調子で話し出す。
「あ、えと『冒険姫ティンドール、第十七巻、魔都クレストリアの伝承』だよ。やっぱり
あの本、すごく面白いよ! 朽ち果てた不気味な都市、襲い掛かる恐ろしい魔物の群れ! 
そして力をあわせてそれらを蹴散らし、遺跡を進む冒険姫ティンドールと仲間たち!」
 英雄譚に憧れるどこにでもいる子どものように、主人公たちの冒険を語るセフィロの瞳は
すぐ側に物語の英雄を見るような、憧憬の色を宿していた。
「ほらほら、布団がずり落ちるわよ」
 子どもらしく目を輝かせる彼に小さく苦笑しながら、私は身を起こそうとする少年の体を
軽く抑える。
「セフィロは本当に冒険者の話が好きね。そのお話はもう何度も読んで、結末も知っている
でしょうに」
「そうだけど。やっぱり面白いから、何度読んでも飽きないよ。僕もいつか、あの本に書い
てあるみたいな冒険をするんだ」
 ふっと視線をそらし、どこか遠くを見るような瞳で、彼は呟く。その横顔を私は複雑な想
いで見つめていた。
 やがてセフィロは視線を私に戻し、いつものお願いをする。
「ねえ。ロゼッタは冒険者だった僕の母さんのこと、いろいろ知ってるんだよね。また、そ
の話を聞かせてくれない?」
「また? ふう……正直、私にとってはあんまりいい思い出ばかりじゃないんだけどね」
 少年の頼みにいつもの通り、私は眉根を寄せる。本当に、セフィロの母については私の中
でも気持ちの整理が付いていないことが多いのだ。それに、彼には知らせないほうがいいこ
とも少なからず、その話の中には混じってくる。
 私は目をつぶり、しばし考え込む。
「仕方ないわね。じゃあ、この話が終わったらちゃんと寝るのよ?」
「うん、約束する」
 とはいえ、彼のお願いを無下に断るわけにも行かなかった。なんだかんだ言いつつも、結
局はセフィロの望みどおり、寝物語に彼の母の冒険をこの少年に話すことになるのだった。
 私は溜息を一つつくと、今は記憶の中にのみ存在する女性の姿を呼び起こす。
「本当に、彼女にはとんでもない目に遭わされたわ」
 私はかつての彼女の行動に呆れたような表情を浮かべているつもりだったが、その声はど
こか楽しそうで、口からはすらすらと言葉が出て行く。
 そう、私にとってもセフィロの母である女性というのは、大きな存在だったのだ。私にと
っても、そんな彼女のことを語るのは決して嫌なわけは無かった。
「あなたの母親のことを一言で言い表すとするならば、そうね。『型破り』、これ以上ぴっ
たりな言葉はないでしょうね」
 横たわる少年の華奢な肩を獣の手で優しく撫でながら、私は遥か遠いかつての日々を懐か
しむ。あれからもう、随分とたくさんの月日が流れてしまった。
 でも、どれほど月日が流れても、目を閉じれば彼女との出会い、その記憶はまるで昨日の
ことのように思い出せる。彼女が私に焼き付けていったイメージはとても鮮烈で、長い長い
時の流れの中でも色あせることは無かった。
「もう、どれくらい昔になるのかしら。今は無きあの迷宮……なんだか思い返すだけでも懐
かしいわね……」



 今はもう遠き日の記憶、それはどこまでも深い暗闇の黒と、その中に浮かぶいくつもの燭
台に灯る炎の赤がその殆どを占める。
 その頃の私には名前などというものは無く、遺跡を守護する魔物――アヌビスとして、迷
宮の最奥に封じられた宝を守る日々を過ごしていた。
 私にとっては静寂と闇が支配する迷宮が世界の全てで、召喚者である主が遺した「守れ」
という命令を実行し続けることが生きる意味の全てであった。これ以外の世界は無く、それ
以外の生き方など知らなかったし、知る必要も無かった。
 そこでの私の生活は、変化に乏しくはあるが、静かで穏やかなものであった。時折、宝の
噂を聞きつけた人間が迷宮に足を踏み入れること以外に、私の寝所でもあるこの遺跡を訪れ
るものは無かった。実際は彼らの殆どが途中の罠やガードゴーレムに行く手を阻まれ、宝を
諦めて引き返していたから、私の守る宝の場所までたどり着けるものはめったにおらず、平
穏が破られたことなど数えるほどしかなかった。
 彼女が、この遺跡にやってくるまでは。



「あら、貴女がこの迷宮の主さん? 想像とは違って、思った以上に可愛らしいお嬢さんね」
「なっ……! 貴様、主から預かる封域に踏み入った挙句、私を愚弄するか!」
 眼前でくすくすと笑う女の言葉に、頭に血が上った私は思わず叫ぶ。
「ほら、そんな顔しちゃダメよ。折角の可愛い顔が台無しになっちゃうわ」
 そう言いながら、女は無造作に私に向かって歩き出す。肩にかかる長い金髪が揺れ、成熟
した女性らしさを持つ体の線を、動きやすさを重視した服が浮かび上がらせている。闇の中
でも光を放つように輝く碧眼と、人懐っこい笑みを浮かべるその顔がどこか子どもっぽい印
象を見るものに与えていた。
 まるで通い慣れた道を歩くかのように、自然な歩みで距離を詰める女に私は思わず後ずさ
る。彼女の立ち居振る舞いに惑わされず、アヌビスとしての本能は目の前の人間の実力を見
抜いていた。そもそも、今まで数多くの冒険者を撃退してきた罠も仕掛けも、守護のゴーレ
ムさえもこの女の歩みを妨げることは出来なかったのだ。それだけでも、彼女の実力は今ま
で目にしてきた冒険者の中でもトップクラスだと分かった。
「身勝手なお願いだとは分かってるんだけどね。貴女の後ろのその宝箱の中身、できれば私
に使わせてもらいたいのよ」
 私の背後、壇上に置かれた小さな箱を指差し、人間の女はすまなそうな表情を浮かべる。
「盗人風情がよくもぬけぬけと……! そんなことを許すわけがないだろう! 強欲の報い、
貴様の体で思い知るがいい!」
 私は叫び、彼女が間合いに入った瞬間、手をかざすと呪いの力を放つ。とはいえ、命まで
とるつもりは無かった。この呪いの効果はせいぜい全身の力を丸一日ほど奪って行動不能に
する、というものだ。その後は迷宮の外に転がしておけばいい。痛い目を見れば、二度とこ
こに近づこうなどという考えは起こすまい。
 不可視の呪いの波動が、女性に向けて収束する。人間である彼女には何が起こったか理解
する間もなく、一瞬の後には意識を失うだろう。
「あら、いきなり実力行使? それはちょっとあんまりなんじゃない?」
 だが、彼女が短く何かを呟くと、その体が淡く輝きだす。私の呪いと彼女の体を守るよう
に覆う輝きがぶつかったと思った瞬間、呪力はあっさりと無効化され、霧散した。
「な、ばかな……?」
 今まで破られたことなど無かった技が、こうも簡単に無力化されたことに私は呆然と呟く。
「もう、だめじゃない。出会った人をいきなり呪うなんて。そんなんじゃあ仲良くできるも
のも、出来なくなっちゃうわよ?」
 指を一本立て、わが子を叱る親のように彼女は言う。何を言っているのか理解できず、思
わず黙り込んだ私に彼女は顔をずいと近づける。
「返事は?」
「は、はい」
 有無を言わせぬ迫力に、いつの間にか女性のペースに巻き込まれ、返事を返してしまう私。
それを彼女は満足げに見つめ、うんうんと頷いた。
「はい、良い返事です」
「って、な……なんなんだ貴様! ふざけているのか!?」
 ようやくいつもの思考を取り戻し、怒鳴った私に彼女は至極当然といったように、普通の
調子で言う。
「ふざけてなんて無いわよ。この迷宮、見たところ『人』は貴女だけでしょう? 役目があ
るとはいえ、それじゃいくらなんでも寂しいと思って。やってきた人と仲良くなれば、きっ
と楽しいわよ?」
「仲良く? 楽しい? ふん! そんなものは無用だ! 私の役目はこの迷宮で、主の遺し
た宝を守ることだけだ!」
 叫んだ私に、女性はちょっとだけ困ったような表情を浮かべた。
「あらら……ほんとに真面目、というよりは頑固な子ね。なるほど、ここの宝を守らせる役
目にこの子を選んだ人の目は確かだわ。ただ、悪いけど……私にも、譲れないものがあるの
よね」
 その言葉と共に、女性の持つ雰囲気が変化した。いままでの明るく暖かで余裕を滲ませて
いたものから、冷たく鋭く、触れれば切れるようなものに。
「お願いよ、そこをどいて」
 短く呟き、彼女は手に魔力を集中させ、輝く剣を現出させる。ひゅんと風切る刃の音が、
私には死神の声に感じられた。
「う、うぅ……」
 一瞬で空気が張り詰め、私の背を冷たい汗が伝う。眼前の人間が一歩踏み出し、信念と覚
悟を秘めた瞳が私をまっすぐに射抜いた。
「貴女と、あなたの主には本当に申し訳ないけれど……、秘宝『命の宝玉』、いただいてい
きます!」
 彼女が足を進めるたびに、重圧は大きくなっていく。今までに経験したことの無い恐怖が
心を染めつくし、まるで私を押しつぶそうとしているかのようだった。
「そ、そうは……させ、ない……!」
 折れそうになる心を使命感で必死に支え、私は腰の曲刀を抜く。震える手で柄を握り締め、
鳴り出しそうになる歯を食いしばって目の前の敵を睨んだ。
「…………」
 その視線を受けつつも、彼女の表情には微塵の変化も無い。敵意を露にした、武器を手に
持った魔物を前にしているというのに、彼女はそれをまるで問題にしてはいないようだった。
 ただ、そこに立っているだけで、その存在感が私を圧倒する。耳を伏せ、尻尾をすぐにで
も股の間に入れたくなるのをなんとか堪え、私はかろうじて逃げ出さずにいるのがやっとだ
った。
 きりきりと空気が軋むような錯覚。あたりの重圧は、体を押しつぶしそうなほどだ。
「う……、うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
 ついに耐え切れなくなった私は絶叫と共に駆け出し、彼女の眼前に迫ると手にした曲刀を
振りかぶる。全力の一撃を打ちこもうとしたその瞬間、彼女が寂しげに笑ったような、悲し
みを堪えるような言いようの無い複雑な表情を浮かべた。
「ごめんね……」
 全身に鈍い衝撃。悲しげな声で呟く彼女の声を遠くに聞いたのを最後に、私の意識は闇に
沈んでいった。



「それで? それでどうなったの? 母さんは? ロゼッタは?」
 そこで一度話を区切り、息をつく私にセフィロが、続きをせがむ。先ほどから私の語る話
の内容に目を輝かせたり、息を呑んだりしながら聞き入っていた様子を見るまでも無く、こ
の先を聞きたくて仕方ないようだ。
 もう何度も聞かせた話で、この先の展開も良く知っているはずなのだが、彼は毎回初めて
聞くかのような反応を示すのであった。
 私は一度目をつぶり、かつての出来事に思いを馳せる。ほんの一瞬の回顧ののち、少年を
見つめると続きを語りだした。
「うん、それで……結局彼女は手加減してくれてたのね。次に私が目を覚ました時には、心
配そうに覗き込む彼女の顔が目の前にあったわ」
 あの時の印象を思い出しながら、私は続ける。
「自分が生きていることにも驚いたけど、それ以上に彼女が私の気がつくまで、宝に手を出
さずずっと側にいてくれたことが驚きだった。『どうして私が気を失ってる間に宝を奪って
いかなかったのか』って聞いたら、『やっぱり、守護者の貴女には宝を持って行くことを許
してもらいたかったから』だって」
「へぇ……」
「で、それで私はもう、完全に彼女に負けた、って思っちゃったの。だから、彼女が箱の中
から宝珠を取り出す――私の役目が全うできなかった証を見ても、かすかな寂しさこそ感じ
たものの、恨んだり憎んだりなんてしなかったわ」
「やっぱり、母さんってすごかったんだね。なんか、かっこいいな……」
「ええ、そうね」
 憧れの表情で自らの母の姿を思い浮かべる少年に、私は優しく微笑む。だが、その後の出
来事を思い返した私は、自らの表情がなんともいえないものになるのが自分でも分かった。
「本当に、そこで終われば格好よかったんだけどね」
「……」
 この先の結末を知っているセフィロも、私の微妙な表情の変化に気付き、同じようななん
ともいえない表情になる。
「実はその迷宮は、私のかつての主がとんでもなく厄介な怪物を封じた場所で、宝はその封
印の鍵だったのよね。で、彼女が宝の封を解いた結果、怪物の封印も解けて、そいつが目を
覚ましそうになってしまったの」
 呆れたような、疲れたような調子の声が、自分の口から溜息と共に出て行く。諦念にも近
い感情の響きを持つ声を自分でも聞きながら、私は語り続けた。
「結局、にっちもさっちも行かなくなって、最終的に彼女は『紅蓮の大槍』を37発、『蒼
氷の剣刃』56発、大技の『星光の矢』4発という数の魔術を撃ち込んで、封じられていた
怪物もろとも迷宮を完膚なきまでに破壊しちゃったのよね。それはもう、まさしく迷宮があ
った痕跡すらわからないほどに、木っ端微塵に」
「…………」
「で、路頭に迷うハメになった私は、最終的には彼女の実家だったここに住むことになった
わけね。半ば無理やり連れてこられたようなものだったけど、あの時は選択肢が無いに等し
かったから、まあ仕方なかったわね」
 苦笑しつつも、私は彼女の申し出に感謝していた。もしあの時、彼女が手を差し伸べてく
れなかったならば、住む所も生きるための目的もなくした私は、迷宮の外のことも知らず、
世界の厳しさと素晴らしさを理解することも無く、どこかで野たれ死んでいたことだろう。
「それに、貴方に出会うことも無かったしね……」
 小さく呟き、セフィロに視線を向ける。だが少年は既に眠りに落ち、静かな寝息を立てて
いた。いまだ成長途中の筋肉の付いていない胸が、規則正しく上下している。
「と。寝てしまったのね。ふふ、おやすみなさい」
 私は彼の寝顔に微笑むと、その頬に軽く口付ける。ずれかけた毛布をそっと直し、金髪を
獣の手で優しく梳いてあげた。
 しばし、私は無言で穏やかな眠りを享受するセフィロを見守る。幼さが色濃いその顔立ち
を見つめる時、私はいつも少年の母の遺した言葉を、願いを思い出さずにはいられないのだ
った。



 住処を失い、役目を失ったアヌビスの私がその元凶である女性に連れられ、彼女の生家に
やってきたのは秋も深まったある日のことであった。
 木々が色づいた葉を風に舞わせ、地面には落ち葉が美しい絨毯を敷く。
「ロゼッタ、余所見ばかりしているとはぐれるわよ」
「う……し、仕方ないじゃない! こんな色鮮やかな風景、今まで見たこと無かったんだも
の」
「まあ、それもそうよね。しかしそんなに尻尾を振っちゃって……まるで子どもね」
 頬を染めつつ声を返す私を見つめ、彼女はぷっと噴出す。
「ば、馬鹿にした! いま私を馬鹿にしたな! ゆ、許せない!」
 笑われたことに先ほど以上に顔を赤くした私だったが、それでも迷宮暮らしが長かった身
には見るもの全てが目新しく、きょろきょろと周囲に広がる鮮やかな紅葉に視線を巡らせた。
 人通りのない森の中を貫く道を歩きながら、しばし私は自然の作り出した芸術を楽しむ。
 とはいえ、流石に同じ景色がずうっと続いたのでは、私も少しばかり飽きてくる。しばら
く歩き続けた後、私は目の前を歩く女性の背に声をかけた。
「うーん、結構歩いたと思うけど……。あなたの家って、まだ先なの?」
「もうすぐ見えてくるわ。あ、ほら、あれよ」
 その言葉の通り、彼女の指差す先に立派な門が見えてきた。木々に囲まれるようにして佇
む屋敷を、高い塀が囲み、立派な鉄柵の門が守るようにそびえている。
「うわ……、すご……」
 その姿に、思わず私は感嘆の声を漏らす。
「そんな立派なものじゃないわよ。王都にいけば、これくらいの屋敷ごろごろしてるしね」
 私の様子に苦笑しながら、彼女は門を押し開け、庭へと足を進める。
「ほら、そんなところにいつまでも突っ立ってないで、中入りましょ?」
「あ、待ってってば。今行くわよ」
 慌てて私もその後を追い、敷地に踏み入った。
 庭には鮮やかな紅葉を見せる木々が立ち並び、あちこちに立つ白い大理石の彫刻とともに
見事な景観を作り上げていた。美しく研磨された石を敷き詰めた道を歩きながら、広がる庭
園を見回した私は思わず吐息を漏らす。
「……はぁ〜」
「なに? どうかした?」
「いや、あなたみたいな魔女ってもっとこう、おどろおどろしい小屋みたいなのに住んでる
と思ってたから。こんなお屋敷は、予想外だったというか」
 私の言葉に一瞬ぽかんとした表情を浮かべた彼女は、次の瞬間小さく噴出す。
「な、なによ!」
「いえ、ごめんなさいね。ちょっと前まで外のことなんて何も知らなかった貴女から、随分
と大衆的な魔女のイメージが出てきたものだから。でも、そうよね。確かに魔術師の家らし
くはないかもしれないわね、ここ」
 笑いながら、彼女は慣れた足取りで庭を通り抜け、玄関のドアを開ける。重厚なつくりの
扉に何となく気後れした私が立ち尽くしていると、彼女が手招きをした。
「ほらほら、遠慮してないでどうぞ」
「で、でも。私みたいな魔物が入ってもいいの?」
 不意にそんな考えが頭に浮かぶ。今までは彼女との二人旅だったから気にしてはいなかっ
たが、本来人間は私達のような存在を恐れ、忌み嫌うもののはずだった。彼女はまったくそ
んなそぶりを見せはしなかったが、他の人間が彼女と同じとは限らない。
 しかし私の言葉に、彼女はほんの少しだけ寂しげな色を瞳に宿し、呟いた。
「……いいのよ。ここには、貴女を嫌うような人間はいないから」
「え……?」
 いつもの彼女らしくない声音に思わず顔を上げる。だが、既に彼女は私に背を向け、建物
の中へと姿を消していく所だった。
「今の……」
 彼女の言葉、その真意がつかめず混乱した頭のまま、私も後を追って見事な彫刻が刻まれ
た扉をくぐり、屋敷へと足を踏み入れた。

 屋敷に入ってすぐの所は、貴族の邸宅らしく広々とした玄関ホールとなっていた。床には
絨毯が引かれ、柱には彫刻が施され、壁にはいくつもの絵画が掛けられている。入り口の正
面からやや左手側には二階へと続く階段が見えた。そこにもいくつかの調度品が置かれ、そ
の豪華さ、配置の巧みさは流石といったところで、内装も庭園の見事さに負けずとも劣らな
いものであった。
「すごい、けど、なんだか……」
 だがそういった豪華な内装よりも私の気を引いたものは、屋敷全体に漂う気配であった。
いや、正しくは人の気配があまりにも無いというべきだろう。荒れた様子がないのは定期的
に人の手が入っているからなのだろうが、それにも関わらずこの館には生活の痕跡がほとん
ど全くと言っていいほど、無い。
 今まで旅してきた中で見た町や、私がかつて暮らしていた迷宮でさえ生きるものが住む以
上、なんらかの痕跡、気配があったというのに。外の世界の知識に乏しい私といえども、そ
のくらいは分かった。
 無言の私を見やり、彼女が口を開く。
「気付いたのね。そう。以前はともかく、今じゃここで暮らしているのは、私くらいよ。も
っとも、私もしょっちゅう留守にしてたけどね」
 自嘲気味に笑いながら、彼女は階段を上る。
「こっちよ」
 その後について階段を上り、廊下を歩きながら、私は先ほどの彼女の言葉で気になってい
たことを尋ねた。
「さっき、『私くらい』って言ったわね。ということは、あなた以外にもここには人が?」
「流石に鋭いわね。ええ、そうよ。私の他にあと、一人。これから行く部屋に、私の息子が
いるわ」
「息子、さん……?」
 反射的に聞き返した私に振り返った彼女は、かすかに呆れたような顔に、笑みを浮かべる。
「何よその顔。私が既婚者の子持ちだっていうのが、そんなにおかしい?」
「い、いや……そういうわけじゃないけど、なんていうか、この家といい、まるで予想外だ
ったから」
「そういう反応は、なんだかこっちとしても微妙ねえ。まあ、既婚って言っても旦那様は早
くに病気で亡くなっちゃってて、その後もちょっといろいろなごたごたがあってね。この家
から人は使用人も含めてみんないなくなるし、私もトレジャーハンターなんて妙な商売に手
を出すことになっちゃったのよ」
「え、ええと……」
 どう返したものかわからず、私は曖昧な言葉を発する。
 そうしているうちにどうやら目的の部屋へと到着したようだった。彼女が足を止め、ドア
の前で私に振りかえる。
「ここよ。とりあえず、入って」
 彼女に招き入れられ、私は室内に足を踏み入れる。そこは落ち着いた色合いの床と壁の、
子ども部屋のようであった。床には塵一つ落ちていないにもかかわらず、他の場所と同様、
やはり生活の気配が無い。
 だが、他の場所と違い、ここには私たち以外の命の鼓動があった。
 部屋の真ん中に置かれたベッドに歩み寄った彼女が、布団に包まれ穏やかな寝顔を見せる
少年に微笑む。どこか寂しげなその笑顔に声をかけられずにいた私の視線を受けた彼女は少
年の頬をそっと撫で、こちらに向き直った。
「紹介するわ。私の息子、セフィロよ」
 そういって再び見つめる視線の先で、ベッドに横たわっていたのはまだ年端も行かない少
年であった。母親と同じ金髪が枕に広がり、染み一つ無いつややかな肌はまるで名のある芸
術家の作り上げた彫像のよう。幼い顔はまぶたを閉じ、穏やかな眠りに染められている。
 一見、ごく普通の少年が眠っているだけの、ごく普通の光景に見える。だが、私にはその
裏に隠された異様さが一目で分かった。
「……その、子……。いえ、生きている、それは確かだわ。で、でも……」
「本当に、鋭いのね。ええ、そう……この子は呪われているわ。それもとんでもなく厄介な
病魔にね。今はこうして術法で仮死状態にして、病の進行を遅らせているけれど、それもい
つまで保つか。もし今術を解いたら、おそらくセフィロは一月もたないでしょうね」
「だから……?」
 尋ねる私に、彼女はわが子に視線を落とし、小さく頷く。
「そう言えば、私があの宝を欲した理由、貴女にはまだちゃんと話していなかったわね。貴
女の想像のとおりよ。持ち主に不老不死、永遠の命すら与えるという至宝『命の宝珠』。そ
の力があれば、今までどんな薬でも、魔術でも解くことのできなかったこの子の呪いを消し
去ることが出来るかもしれない」
「……」
「馬鹿な母親だって、笑う? でもね、私にとって、残されたのはもうこの子だけなの。愛
する旦那様も、家族も、親しい使用人も、皆失ってしまった私には……」
「……」
 本当ならば、宝珠の守護者として私は彼女を止めるべきだったのかもしれない。でも、そ
うすることは出来なかった。いつもの明るさの裏に隠された彼女の、悲痛な、切実な願いを
知ってしまった私には。
 私に出来たことといえば、彼女が腰のポーチから輝く宝珠を取り出し、眠り続ける少年の
胸元にそっと置くのを見つめることだけだった。
「宝珠よ。我が願い、聞き届けたまえ。彼の者に巣食い、その身を蝕む呪いを消し去り、命
の祝福を与えたまえ……!」
 彼女が宝珠に手をかざし、祈るように囁く。彼女の祈り、その願いに応えるように宝珠は
明滅を繰り返し、内部に渦巻く魔力が高まっていく。
 そして、その力が最高に達した瞬間。光が爆発した。



 後でわかったことだが、あの宝珠には確かに不老不死を実現するだけの力があった。
 だが、当然ながらそれは願っただけで何の代償も無しに得られるような都合のいいもので
は無かった。
「命の宝珠」。その正体はかつて永遠の命を求めた一人の魔術師が作り上げた、禁忌の魔道
具。「他者の命を吸い取り、自らの糧として生きながらえる」という人の醜いエゴの結晶で
あった。
 歪んだ望みから生まれた道具が幸福をもたらすはずも無く、むしろそれは世界に混迷を呼
び、悲劇を引き起こすこととなる。
 永遠の命をもたらす宝、その存在を知った権力者たちは宝珠を得ようと血で血を洗う争い
を繰り返した。数多の策謀と裏切りが繰り返され、数え切れないほどの人が命を落とし、い
くつもの国がたった一つの宝珠のために滅んだ。
 晩年、その行為の愚かしさに気付き、自らの所業を悔いた魔術師はそれが決して悪用され
ないよう、忌まわしき魔道具を迷宮の奥に封じた。二度と人の手に渡らないよう、アヌビス
の少女に「守れ」と厳命して。さらに、万一それでも封を破るものがいた場合の罠として、
宝珠の力で縛った強力な守護者を共に眠らせて。
 時は流れ、いつしか人々の記憶からはその魔道具のことも忘れられていった。愚かしき道
具は、そのまま歴史の彼方に葬られるはずであった。
 一人の女魔術師が、人の世から失われたはずの宝珠の伝承に出会わなければ。

 それでも、結論だけを見れば、彼女の願いは叶った。確かに宝珠の力によって最愛の息子
セフィロの体からは病魔の呪いはその痕跡を欠片も残さず、消え去ったのだ。
 母親の命の時間、つまり残りの寿命と引き換えに。
 だが、それだけの犠牲を払ったというのに、少年が目を覚ますことは無かった。宝珠の副
作用か、病が消えたと同時に、セフィロの時は止まってしまったのだ。それは比喩表現など
ではなく、今まで仮死状態の時にはほんの微かながらもあった呼吸も、鼓動も完全に。
 ある意味、少年のその姿は、かつて宝珠を欲した人々が願った不老不死を実現させている
ともいえたが……母親がそんなものを望んでいなかったことは、確かめるまでも無く明らか
であった。
 時の棺に納められたわが子の姿を見た彼女は、一体どんな想いを抱いたのだろうか。

「入るわよ」
「……どうぞ」
 ノックに対する返事にドアを開け、室内に入った私の姿を見、彼女は微笑む。だがそこに
は命の衰えの影が、はっきりと現れていた。
 それに私はぎこちなく作った笑顔を返し、声をかける。
「……具合は、どう?」
「ロゼッタ、そう何度も見に来てもらわなくてもいいのよ。私はまだ、大丈夫だから」
 誰が見ても強がりが丸分かりな彼女の言葉に、無意識のうちに私の顔が歪む。
「でも……」
「いいの。あの時、貴女が助けてくれなければ、私はもうこの世にいなかったわ。今こうし
て生きていられるだけでも、十分」
 発動の際、飛び込んだ私が彼女の手を宝珠から無理やり引き剥がしたため、その場ですべ
ての命を吸い取られることの無かった彼女はかろうじて一命を取り留めた。だが、それでも、
セフィロの母親に残された命の時間は、ほんのわずかでしかなかった。今も突然咳き込んだ
彼女の姿に、私はそれを強く感じる。
「ごめんなさい……貴女には、迷惑ばかりかけてしまったわね」
「いいから、無理しないで」
 身を起こそうとする彼女の体をベッドに押し戻し、私は側の椅子に座る。
 日に日に衰弱していく彼女と、凍りついた人形のように命を止めたセフィロの姿は、どう
しようもなく私を沈ませた。
 不意に、ベッドの側に立っていた私の手を、彼女が不意に握った。様々な思いが浮かんで
は消える顔の中、そこだけは出会った時と何も変わらない碧い瞳が私を覗き込む。
 枕元に顔を寄せ、柔らかな毛で包まれた手でやせた手を握り返した私に、彼女は希うよう
にささやいた。
「身勝手なお願いだけど……どうか、あの子の側にいてあげて。そして、守ってあげて……
それだけが、私の最期の、お願い……」
 何度も頷く私に、彼女は安心したように、弱弱しく微笑む。そしてそれが、私の聞いた彼
女の最期の言葉となった。



 彼女の最期を看取った私は、その遺体を森の中でもっとも大きな木の根元に埋めた。そし
て、遺言の通り、彼女の愛した少年を守ろうと誓った。宝珠によって止められた時を再び動
かし、彼に幸せな時間を過ごさせるようにすることが、私の新たな生きる目標となったのだ。
 しかしながら、それはそう簡単にいくものではなかった。
 最初の数年は、それはもうひどいものだった。私の全身全霊、全魔力を込めた必死の解呪
を毎日欠かさず行ったにも関わらず、セフィロの時は止まったままだったのだ。少年の体は
成長するどころか、髪の毛一本、爪一つとして伸びはせず、季節が移り変わり、月日がどれ
だけ流れようとも全く変わらぬ姿を保っていた。
 私は折れそうになる心をなんとか支え、その後の十年は宝珠についての知識を集め、その
術式を解き明かすことに歳月を費やした。
 しかしながらセフィロを救う為とはいえ、彼女の願いを無にして少年を残し旅に出ること
は出来なかったため、私は魔術師であったセフィロの母が遺した蔵書や、時たまこの辺りに
立ち寄る商人などから書物を購入し、片っ端から読み解いていった。呪いや魔術に関する知
識は多少なりとも持ってはいたものの、その力や仕組みについて考えたり調べたりすること
の無かった私にとって、それは語るほど簡単なことではなかったが、彼女との最期の約束と、
それ以上に少年を救いたいという私自身の想いが辛い日々の中でも、心を支えていた。
 そして、その研究結果を元に新たな解呪法を作り出し、祈るような気持ちで少年に施して
いったのだ。ある術がダメならまた別のものを、それも失敗したならばさらに新しい方法を、
と。
 その苦労がようやく実を結んだのは今から数十年前のこと。彼は長い長い眠りからようや
く目を覚まし、時の流れをその身に感じることが出来るようになった。そして、普通の人間
に比べればずっと遅い速度ではあるが、体も人並みの成長を見せてくれるようになっていた。
 だが、彼の体に浸透した宝珠の魔力をすべて打ち消すことはいまだ出来ていなかった。
 今でもセフィロの体はどんな怪我でも一瞬で治し、その身はどんな病にも冒されることは
無い。しかしその代償として、他者とは相容れぬ時間を刻み続けねばならないのだ。私はそ
んな彼を利用するものが現れないよう、この館を魔術によって人の目から隠し、彼には決し
て屋敷から出てはならないと言いつけてきた。そうして、私と少年は人々に存在すら忘れ去
られたこの館に、人の世から隠れるようにひっそりと暮らしているのであった。
 今でも、彼には本当のことを隠したまま、私は解呪を続けている。彼に真実を語れないこ
とは私の心に罪の意識を積もらせ続けている。
 私に出来ることは、いつの日か彼が呪われた宝珠の祝福から解き放たれることを願って、
彼を守り続けることだけだった。
 そしてそのときこそ、私は彼女の願い、その想いをすべて、彼に伝えることが出来るのだ
ろう。



 不意に窓の外を風が吹き抜ける音に、耳がぴくんと震え、私の意識を現実に引き戻す。
「……さて、と」
 そっと息を吐き出し、私はセフィロを起こさないように細心の注意を払いながら、ベッド
から身を起こし、ケープとガウンをまとって立ち上がる。ふと視線を向けた窓の外、夜空に
は月と星がいつもと変わらず、静かに輝いていた。
 窓を開け、眼下の景色を見る。夜闇の濃い青で塗られた庭に月光が降り注ぎ、影の濃淡が
昼間とはうって変わって神秘的な印象を与える。動くものは何も無く、聞こえる音といえば
風の音ばかり。一見特に変わった様子の無い、いつもの夜だ。
「いい夜ね。でも……」
 私は窓枠を掴み身を乗り出すと、躊躇い無く虚空に身を躍らせた。一瞬の浮遊感。音も無
く中庭に降り立った私を、月の光が照らす。
 顔を上げてまっすぐ前を見れば、見慣れた門から入り口まで続く石畳の通路が映る。ただ、
そこにはいつもの景色と違う点が一つ。丁度通路の真ん中あたり、噴水を背にして奇妙な物
体があった。
 大きさは子ども一人がちょうど入れるくらいの、箱。金で縁取りがされ、精緻な装飾が施
されている。ゆるい曲線を描く蓋も同様の細工がなされ、正面に鍵穴を持つそれは、どこか
らどう見ても「宝箱」であった。
 確かに、この屋敷にも宝箱はある。そういう意味ではそこまで場違いなものではないのか
もしれなかったが、いくらなんでも庭の真ん中に置かれるようなものではない。
「やれやれ」
 私は溜息をつくと、足元の小石を拾い上げ、奇妙な宝箱に向けて投げつける。まっすぐに
飛んだ小石は過たず宝箱に命中し、板とぶつかってかつんと言う音を立てた。
 それと同時に、箱から少女の声が響く。
「いった〜い!」
 私の目の前で蓋が開いたかと思うと、細い腕が飛び出す。底面からは同じくすらりとした
足が伸びだし、正体不明の宝箱が立ち上がった。開いた口から飛び出た腕が箱の縁をつかむ
と、そこから長い髪と、大きなリボンをつけた頭が姿を見せ、次に身を乗り出すようにして
素肌にリボンを巻きつけたような風変わりな格好をした体が姿を現した。
 宝箱から足と、上半身を生やしたような不思議な姿の少女は頭をさすりながら、こちらを
恨めしげに睨む。
「もう、ひどいよ〜。いきなり石をぶつけるなんて〜」
 少女に対し、私は冷ややかな視線を向けながらその抗議をばっさりと切り捨てる。
「勝手に人の家に入ってくるあなたが悪い。だいたい、あんな不自然な場所に宝箱が置かれ
てるわけないでしょう。そんなミミックに引っかかる者がいますか」
「え〜。それが逆に狙い目だと思ったんだけどな〜。『まさかこんな場所に置かれた宝箱が
罠なはずがない!』とかいって」
 私の言葉に不満げな表情を浮かべる少女の正体は、宝箱に擬態し、不用意にあけたものに
襲い掛かる魔物、ミミックである。
 本来彼女たちの種族は人知れず自分を迷宮の中に送り込み、本物の宝箱にまぎれて冒険者
を待つ性質を持っているのだが、何故か目の前のこの子はわざとばれそうな場所にばかり姿
を現すのだ。
 それに、そもそも結界のせいでこの屋敷にはやってくるような冒険者などいないというの
に。
「そんな間抜けな冒険者ばっかりなら、私の仕事も楽なんでしょうけどね。まったく、毎度
毎度無駄に警戒させないで頂戴。あいにくこっちは人手不足なんですからね」
「あ、じゃあさじゃあさ、あたしのこと正式にここに置かせてよ。これでも、ミミックとし
ての能力は確かだって前の主にも認めてもらってたんだからさ」
「その話もどこまで信用できるやら。大体、そんなに優秀なミミックならどうして暇を出さ
れたのよ」
 こちらに小走りで駆け寄り、ガウンの裾を引っ張るミミックの少女に私はじと目を向ける。
その途端、ミミックは私の視線から逃れるように目をそらし、小さくもごもごと呟いた。
「……い、いや〜それは……、ちょ、ちょ〜っとばっかり趣味のアイテムコレクションの方
を優先させすぎて怒られちゃったというか……」
「で、確かあなたの迷宮の主が大事に守ってた宝石を勝手に持ち出して、あまつさえ冒険者
に取られちゃったんだったわね。それは暇も出されるわ。ミミックなんだから中身なんて関
係ないはずなのに、変わってるわよね」
「う。い、言わないでよ〜。そもそも聞くまでも無くこの話知ってたくせに。人のトラウマ
えぐるなんてひどいよー」
「というかあなた、人じゃないでしょ」
「うう、石頭のアヌビスには冗談が通じない……」
「とにかく。こっちはいろいろ忙しいんだからさっさと出て行ってよね。今度また忍び込ん
だら、本気で攻撃するからそのつもりで」
 涙目で恨めしげな声を出すミミックを突き放し、私は彼女に背を向けて玄関の扉へと向か
う。
 その私の背に、ミミックの少女の声がかけられた。
「ふーん。そうやってあの子を世界から切り離して、独占してるわけだ」
 不意に調子の変わったミミックの声に、私は思わず足を止め、振りかえる。
「まあ、あの子自体が今じゃ一つの秘宝みたいなものだしね。財宝守りがお役目のアヌビス
であるあなたらしいって言えば、らしいかも。いや、元々は墓守だっけ?」
 彼女の口から語られる言葉に、私の体が強張る。
「お、おまえ……なんで……。いや、どこまで、知ってる……? お前の本当の狙いは、な
んだ!?」
 無意識のうちに震えた私の声にも構わず、ミミックは続ける。
「にしても、よくわかんないわね〜。わざわざ不老不死の効果を無くそうなんて。今のまま
なら、あの子はあなたとずっと一緒にいられるのに。何も知らない無垢な少年を、好みの色
に染め上げて自分だけの物にするなんて、ちょっと憧れちゃわない?」
「質問に、答えろ!」
 淡々と語る声の調子に、私は思わずミミックの少女へと跳びかかる。だが、混乱する頭で
繰り出した一撃が相手を捕らえられるはずも無く、振りぬかれた腕は空しく虚空を薙いだ。
「あら、珍しく怒ったね? ちゃんとそういう顔もするんだ」
 背後から聞こえてきた声に慌てて振りかえるも、予想に反してそこにミミックの姿はなか
った。
「ふざけるな! 貴様!」
 相手の姿を見失った私は、辺りに視線をめぐらし、叫ぶ。しかしその声は暗闇へと吸い込
まれていくだけだった。焦る私に声は小ばかにするような、同情するような響きを持って耳
へと届く。
「別にふざけてなんていないよ。魔物なら、みんな多少なりとも持っている願望じゃない?
無理して押さえつけても、辛いだけよ?」
「だまれっ! 私は彼女に約束したんだ! あの子を守るって!」
 どこからともなく響く声に、私は半ば意地になって叫び返す。
「無理しちゃって。本当、不器用で真面目よね。でもそれが本当に、彼の望みなの?」
「え……っ?」 
「確かに、あなたにとってその約束は大切なのものなんでしょう。でも、今あなたと共に日
々を過ごしているのは、その側に、目の前にいるのは、誰なの?」
「それ、は……」
「あなたはもう少し、考え方を柔らかくして物事を見たほうがいいと思うわ。差出がましい
かもしれないけど、同じ魔物としての、私からの忠告」
 その言葉に私の体から力が抜け、腕と共に尻尾がだらりと垂れ下がった。
「…………」
「それじゃあね。私をここに置くこと、考えてみてよ。いい返事を期待しているよ〜」
 今まで考えまいと目を背けていたことを指摘された私は、ふざけた調子のミミックに返す
言葉もなく、しばし暗闇の庭園に立ち尽くしていた。



「このままセフィロの呪いを解かなければ、私と彼はずっと一緒にいられる……? いや、
ダメだ! そうしたら、あの子は人の世に戻ることは出来ない。でも、でも……私は、どう
すれば……」
 それからしばらく後、ぶつぶつと自問自答を繰り返しながらのろのろと歩いて、私はよう
やく寝室へと戻ってきた。いまだ考えはまとまらず、頭の上では耳も力なくぺたんと伏せて
いる。
 よろよろと戸を押し開け、室内へと足を踏み入れる。その私を、予想外の声が迎えた。
「おかえり、ロゼッタ」
「セフィロ……」
 窓から射す月光の中、ベッドの上に少年が身を起こし、私をじっと見つめている。何故か
胸がざわめくのを感じながら、私は彼の側へと近寄った。
「ごめんなさい、起こしちゃったかしら」
「ううん。何となく、目が覚めちゃっただけだよ」
「そ、そう……」
「ねえ、ロゼッタ。聞いて欲しいことがあるんだけど」
「待って、セフィロ」
 明確な決意を感じさせる彼の言葉に、私は思わず目を逸らす。
「ほ、ほら、明日起きられなくなっちゃうから、もう一度、一緒に寝ましょう?」
 何を言っているのか自分でもよく分からないまま発した言葉を、少年の声が遮る。
「ロゼッタ。僕、本当は知ってたんだ」
「え……?」
 不意に、私の心に不吉な予感が忍び寄る。反射的に見つめた彼の目には、今までに無い強
い光が宿っていた。
「僕がこの屋敷から出ちゃいけない本当の理由。そして、僕自身の体のこと。ずっと前から、
うすうす変だなって思ってはいたけど……僕は、普通の人とは違うんでしょう? そしてそ
れは、母さんが病気に侵されていた僕を助けるためにしたってことも」
「どうして、それを……」
 自分の発した声をどこか遠くに聞きながら、私はセフィロを見つめる。しばし、私と少年
の視線がぶつかりあり、やがて彼は少しだけ寂しげに視線を逸らした。
「母さんの手紙。ちょっと前に、書斎に隠してあったのを見つけたんだ。全部、そこに書い
てあったよ。それから、きっとロゼッタは自分ひとりで背負い込んじゃうだろうから助けて
あげて、って」
「そう、だったの……」
「ごめんね。僕のせいで……母さんも、ロゼッタもずっと辛い思いをしてきたんだよね。僕
のために、ロゼッタはずっとここに縛られて……」
 自分の力のなさを悔いるようなセフィロの声が、私の胸を締め付ける。彼の辛そうな顔を
見たくない一心で、私は叫んだ。
「違う! 違うのよセフィロ! 確かに私はあなたのお母さんと約束をしたけれど、それだ
けがここにいた理由じゃないの! 私は……私は、ただ単に、あなたと一緒にいたかったの
よ!」
「ロゼッタ……!」
 私の本心からの叫びに、彼が顔を上げる。その表情には驚きと、そしてはっきりとした嬉
しさが浮かんでいた。
 目元に浮かんだ涙を腕でぬぐい、セフィロは力強く頷く。
「うん、僕も、ロゼッタとずっと一緒にいたい」
 その言葉を聞いた瞬間、考えるよりも先に体が動いていた。私は少年の体を抱きしめ、彼
と口付けを交わす。
「んっ……」
 突然のキスに驚いた表情を見せたのも一瞬、彼もまた、私の背に腕を回して力強く抱きし
め返し、私の想いに応えてくれた。それだけで、私の心に今までに無い幸福感が満たされる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……、ごめんね、セフィロ……。そして、ありがとう……」
「ううん。こっちこそ、ありがとうロゼッタ。今まで、ずっと側にいてくれて。僕のことを、
ずっとずっと守ってくれて。わがままかもしれないけど、これからも、ずっと側にいて……
お願い」
 私たちは口付けを交わしながら、互いに謝罪と感謝の言葉を囁き続ける。
「ふあ、セフィロ、セフィロぉ……んちゅ、ぷ……あむ……」
 始めの啄むようなキスでは物足りなくなった私は、舌を伸ばし、セフィロの口内に侵入さ
せる。優しく動かす私の舌が彼の口腔を舐めまわし、唾液を塗りたくっていく。
 未知の感触に戸惑いの表情を浮かべた少年だったが、優しい笑みを浮かべた私に安堵の色
を浮かべ、彼もまたおずおずと舌を伸ばす。
「ロゼッタ、あ……ちゅ……、ん、んん……」
 つんつんとわずかに触れるような彼の舌の動きに、私も舌を動かして答える。次第に触れ
合う感触に彼が慣れて来た頃を見計らい、私は舌を絡ませた。
「ん、んぷ……あっ……」
 彼の目には先ほど以上に激しく動く舌への驚きが映ったが、それも一瞬であった。体は炎
よりも熱く、続々とした感触が背筋を震わせる。
 私たちはお互いに、ただ無心で舌を絡め、唇を重ね続けあった。
「……ぷ、ぁ……」
 やがて、名残を惜しみながら唇を離した私たちは、間近でお互いの顔を見つめながら、ど
ちらからともなく頷く。
「それじゃ、セフィロ」
「うん」
 それ以上何も言わなくても、お互いの気持ちは分かっていた。月光が降り注ぐ中、そっと
服を脱いだ私たちは、触れられるほど間近の距離で互いに向き合う。
「あんまり見ないで。その……恥ずかしいから」
 一糸纏わぬ姿を見つめられ、不意に羞恥を感じた私は今まで出したことの無いような声で
セフィロへ呟く。だが、それと同時に私の中でじわじわと興奮が高まっていくのをも、確か
に感じていた。
「ご、ごめんなさい」
 私の言葉に慌てて目をそらすセフィロ。だが、好奇心と興奮は抑えきれないのか、ちらち
らと何度もこちらに顔を向けようとしては慌てて視線を外すことを繰り返す。どうやら興奮
が高まっているのはあちらも同じようだった。
 その証拠に、セフィロの顔は真っ赤に染まり、彼の一物は既に硬く勃ち上がっている。
 彼が私の体で興奮してくれていることが分かり、私の心には女として嬉しさが満ち溢れて
くる。
「こっちこそごめんね。ちょっと意地悪だったわね。こんなになってるのに、我慢するの辛
いよね」
 そう言いながら、私は黒い獣毛に包まれた手をセフィロの股間へと伸ばす。
「ロゼッタ、何を……うぁっ!」
 いまだ少年の体ではありながら、立派に男としての機能を備えたそれを私はそっと包み、
ゆっくりと手を動かした。敏感な器官を愛撫され、少年が快楽に耐え切れずあげる声と、手
の中で熱く脈動する一物が私をも高ぶらせていく。尻尾は興奮に激しく振られ、布団に当た
ってうるさいくらいの音を立てる。
「気持ちいい? はぁ、あ……セフィロ、気持ちいい?」
 自分の顔が熱く、真っ赤になっているのは鏡を見なくとも分かった。私は熱に浮かされた
ように、彼へと問いかけ奉仕を続ける。それに少年もまた快楽に途切れ途切れの声で答える。
「あっ、いい、いいよ……きもち、いいよぉ……! う、あぁ……っ!!」
 やがて、私の手淫に限界を迎えた彼から、白濁した液体が迸る。勢いよく迸ったそれは、
私の漆黒の獣毛を白く汚した。
「ああ……すご、ぃ……私の手に、セフィロの匂いがいっぱい……。んっ、ぺろ……」
 手に付いた精液を見つめ、少年の匂いにうっとりとした表情を浮かべた私は舌を伸ばして
それを舐め取る。今までの経験には無い味であったが、しかし決して不快感はなかった。む
しろ、これでもっとセフィロと一緒になれるような気さえした。
 でも、それだけではまだ足りなかった。もっと深く、強く繋がりたいと望んだ私は静かに
ベッドに寝ころび、自らの指で秘所を押し広げる。既にぐっしょりと濡れたそこはひくひく
と蠢き、早く一つになりたいと訴えかけているかのようだった。
「セフィロ……来て……。わたしと、一つに……」
「うん……」
 私の呼びかけにセフィロは緊張した顔で小さく頷く。私は彼ににこりと微笑み、空いた手
でその頬をそっと撫でた。
「大丈夫。怖がらないで……ね?」
「う、うん。その、ロゼッタ……?」
「なに?」
 ためらいがちに囁く彼に、私は小さく首をかしげ問いかける。それにセフィロは決意を込
めた瞳で、誓うように言った。
「ぼ、ぼく……ロゼッタが気持ちよくなれるよう、頑張るから」
「うふふ。ありがとう、セフィロ……でも、今は自分でもこの幸せを感じることだけを考え
て、ね?」
「……わかったよ。それじゃ、いくよロゼッタ……」
 声と共に、私の中にセフィロが入ってくる。硬く閉じられた肉がこじ開けられ、膣内の壁
と彼が擦れる感触に私の背を稲妻が貫く。
「うぅ……ぐ、き、きつい……」
「ふぁ、う……あ、はぁぁ……ん……っ!」
 やがて根元までを埋め込んだ彼が動きを止め、大きく息を吐き出す。私も同じく呼吸を整
え、二人はしばし繋がったまま、お互いを見つめあった。
「……もう、大丈夫よ。動いて構わないわ、セフィロ」
「……ん」
 始めは恐る恐るといった調子でゆっくりと、だがやがて快感の火がついた彼は普段のおと
なしい様子とは別人のような激しさで、私に一物を突き入れる。
 激しい挿入と抽出に私の理性はあっという間に焼き尽くされ、淫らな一匹の雌犬となって
彼に応えた。
「はぁ、あっ、ああぁ! いい、いいよ! 気持ちいいよ、セフィロぉ……! んぁっ、ふ
あ、あ……、わたし、私も、もっとしてあげるね……!」
 私は熱に蕩けた表情でつぶやくと、セフィロに口付けし彼の腰を掴んで自らも激しく動き
始める。
「あぁ……っ、はあぁ……っ……ふぁぁぁ……!!」
 お互いの熱が興奮を高めあい、私たちはどんどんと高みへ上り詰めていく。あまりの快感
にかすれた声を上げながら、私たちはひたすら快感を貪った。
 やがて限界を感じた私たちは、最後のスパートとばかりにその動きを加速させていく。
「く、あああぁ……っ!!」
 一際強く突き入れられた快感に、私の膣は反射的に強く彼を締め付ける。それが止めとな
ってセフィロのモノから熱い液が迸った。
「あ、やぁ……、あ、あつぃ……あつい、のぉ……!!」
 彼のモノから精液を最奥へと注がれ、私は全身が蕩けてしまうような錯覚に背を仰け反ら
せ、絶頂する。
 やがて全てを出し切り、力の抜けた体を私へともたれかからせながら、彼はかすかに不安
げに囁く。
「ね、ロゼッタ……。気持ち、よかった……?」
 どこまでも優しい少年に、その華奢な体を抱きしめた私は微笑みながら唇を重ねる。
「ええ、セフィロ。とても、気持ちよかったわ……。ありがとう。」
「良かった。これでちょっとでも、今までの恩返しが出来たかな……?」
 照れたように笑う少年に、私の心がじんわりと熱くなる。
「セフィロ……。今度はわたしが、あなたをもっと気持ちよく、させてあげたいの……」
 膣内に揺れる精液と、太く硬い少年を感じながら、私はセフィロに初めてのおねだりをす
る。
「うん……僕も。僕も、もっとロゼッタと気持ちよく、なりたい……」
 それに彼もまた、私がしているであろうものと同じ表情を浮かべて頷く。私たちは小さく
笑いあうと、どちらからとも無く再び動き出した。
 今までの長い年月の間に積もった想いをすべて吐き出すように、その行為はいつまでも続
いていた。



 何度果てたかも分からないほど行為に夢中になった私たちは、いつの間にか眠ってしまっ
ていたらしい。
 不意に射す月光にふと目を覚ました私は、すぐ側に最愛の人が寝ていることを確かめ、そ
の体を優しく撫でる。たったそれだけで、私の尻尾は意思を裏切って歓喜に暴れ、泣きたく
なるほどの幸福感が心を襲った。
 私の手を覆う毛の感触がくすぐったいのか、かすかにセフィロが身をよじる。
「……ロゼッタ……、ずっと、いっしょ、に……」
 夢の中でも私と抱き合っているのだろうか。穏やかな寝顔を見せるセフィロの口から私の
名前が漏れ、その手がネグリジェの裾をつかむ。
「うん、ずっと、一緒に……」
 微笑みながら私も彼に優しく応え、少年の手にそっと自分の手を重ねる。もう一度だけ、
と誰にともなく断りを入れると、私は静かに彼の唇に口付ける。
「……願わくはこの暖かな生活がいつまでもいつまでも続きますように……」
 中空に輝く月に祈りながら、私はまぶたを下ろす。彼の体温を間近で感じながら、ほどな
く私の意識は優しい闇へと落ちていった。
 分かつことなど出来ないように固く抱き合う私たちを、不変に変わらぬ月だけが静かに見
守っていた……。

――『月光の刻に抱かれて』 Fin ――


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