――クリスタルタワー、最上階。
二千年の長きに渡り、過去の栄光への妄執に取り憑かれてきた狂気の老人は、
少女の希望の輝きが創り出したクリスタルコアによってその欠片も残さず消滅
した。
皮肉にも、自らが長きに渡り用意したものが、その終わりを導いた。そして
栄華を取り戻すための舞台として作られた塔が、死をも超えた魔人の墓標とな
ったのだ。
すべては終わりを迎えた。そしてここから、また新たな時代が、物語が始ま
るのだ。
いや、まだだ。その前に僕達にはまだ、やるべきことが残っている。
「……これが、本当の成人の儀だ」
純白の衣を纏い、薄桃色の長髪を伸ばした少女が僕に静かに語りかける。そ
の背後には彼女が創り出した、彼女そのものとも言える巨大な水晶が神秘的な、
しかし穏やかで優しい光を放ちながら宙に浮かんでいた。
そのクリスタルと同じ、透き通った青い瞳がまっすぐに僕を射抜く。
「さあ、お前がもう一人で立てることを、その証を私に見せてくれ。
……お前がその剣で、自らの手で、このクリスタルを砕くんだ」
少女――シェルロッタは、そう静かに僕に語りかける。
ついに「この時」がきたのだ。このクリスタルを砕けば、全てが終わる。永
劫の時を超えて紡がれてきた一つの物語が、終わりを迎えるのだ。
そう、それは彼女の悲願。長い孤独と絶望の中で僕と出会い、そして悲しみ
を乗り越えて、彼女の中に生まれた一つの祈りと希望。
だが、シェルロッタが生み出したクリスタルコアが失われれば、その力によ
って不死を得た彼女自身もまた、消え去る定め。そう、消えるのだ。それは彼
女も知っている。僕やレン、この世界との離別を彼女も覚悟しているのだろう。
この塔を上るにつれ、その表情には決意の色が浮かんでいったのだから。辛く
ないはずがない。それでもなお、シェルロッタは願うのだろう。
だが、僕はそんな結末、望まない。認められない。許せない。
彼女は、もっと幸せになっていいはずなんだ。二千年前のあんな事件が無けれ
ば、極普通の女の子として暮らしていけたはずなんだ。望まぬ不死を得、この
塔で虚ろな身体を道具同然に弄ばれ、やっと取り戻した彼女自身の時間が、こ
んな形で、あっという間に終わってしまうなんて、それじゃあ……あんまりじ
ゃないか!
「最初の時」は、それでも仕方ないと思った。命の時間は限られているから
こそ尊く、美しい。過ぎ去りし古の時代においていかれた彼女もまた、あるべ
き所へ帰らなければならないのだと。
そして、村の皆が言っていたように、彼女たちの思い出は、彼女の想いは僕
の中で永遠に生き続けるのだと、そう考えようとした。
だから僕は「あの時」はクリスタルをこの手で砕き、全てを終わらせたのだ。
けれども、僕の心の中に残った小さな想いは、決して消えることはなかった。
そのせいだろうか? ふと僕のポケットに最後のクリスタルの欠片が残ってい
たことを思い出し、森の泉――すべての始まりの場所に返しに行ったあの時。
不意にクリスタルが輝き、僕を、あの日――物語の最初の一ページ目、あの成
人の儀の朝へと飛ばしたのだ。記憶も、力も全てを終わらせた時そのままに。
あれから僕は、再びこのクロニクルを紡いできた。クリスタルと過去の栄光
に囚われた哀れな老人の夢を砕くために。クリスタルと過去の悲劇に縛られた
悲しき少女の悪夢を終わらせるために。
そして、シェルロッタを、僕が見たあの未来から救うために。
「お前の気持ちは分かる。だが、これはなるべくしてなったこと。世界は今を
生きる者達のためのものなんだ。だから……」
押し黙る僕に、既に決意を固めたシェルロッタの声がかけられる。彼女の言
葉は正しい。だが、不死であろうと今、こうして僕の前でちゃんと生きている
シェルロッタにだって、「今を生きる権利」があっていいはずなんだ。
あの終わりから、ずっと考えてきた。どうやったら彼女を救えるのか。その
ために物語の最初にまで戻り、もう一度歩んできた。研鑽を積み、戦ってきた。
そして、考えついたことがある。もしかしたら今の僕なら、あの泉でクリス
タルの力を取り込み、そしてさらに幾多の戦いを潜り抜け、成長してきた僕な
ら、あるいは。その僕の考えが正しければ……。
それを確かめるためには、やはり前に進むしかないだろう。
僕は頷くと剣を鞘から抜き、構える。それを認めたシェルロッタは、儚げな
笑みを浮かべながらも、しっかりと頷き返す。
下段に剣を構え、力と精神を集中する。握った柄から刀身にエネルギーが送
られ、剣が輝きだす。そして、ひときわ強い輝きが剣に宿った瞬間、僕は裂帛
の気合と共に大上段から振り下ろし、ブレイクを放つ。
一瞬の静寂。だが、すぐにぴしりという小さな音が周囲に立ち込めていた静
けさを破る。その音と共に透明なクリスタルに小さな亀裂が入り、そして全体
へと広がっていく。
「ああ……」
シェルロッタは、そんな様子を少しだけ寂しそうに、だがどこか嬉しそうに
見つめる。そして僕のほうに向き直ると、優しく微笑みかけてくれた。
「……そんな顔をするな。お前には辛い役目をさせてしまったが、最後にお前
が立派に成長した姿を見ることが出来てよかった。お前とのこの16年間は、
私が生きてきた中で一番幸せな時間だったよ。ありがとう。
……さあ、もうお別れしなければ。もうお前も大人だ。私がいなくても、独り
で生きていけるな?」
彼女がそういって、もう一度にっこりと微笑む。「あの時」はただ頷き、見
送ることしか出来なかった。でも、もう二度と大切な人を失ってたまるか!
僕はポケットから、成人のお祝いにシェルロッタがくれたクリスタルの欠片
を取り出し、強く念じる。クリスタルが人々の希望から生まれたものならば、
人々の祈りを託されたものならば、今こそ応えろ!
「お前、なにを!?」
シェルロッタの驚く声が聞こえる。だが僕は構わず、精神を集中し、願いを
込め、希望をクリスタルに託す。
少女の背後では、ついにクリスタルコアが崩壊を始めていた。内部から湧き
出る光がその勢いを増し、虚空に波動がほとばしる。
そして、まるで光が爆発するかのようにクリスタルコアは砕け散り、その破
片も光の粒子となって消え去っていく。
全てが真っ白い光に塗りつぶされる瞬間、僕は目の前の少女に向かって駆け
出し、しっかりとその手を掴んだ。
・
・
・
「う……」
耳元で誰かの声が聞こえる。どうやら僕も気を失っていたらしい。あまりに
強い光だったせいか、まだ目がちかちかしてまぶたが開けられない。
「うう……、い、一体何が……」
僕の腕の中で、誰かが身をよじる。やわらかく華奢な身体。滑らかですべすべ
な肌。長い髪が僕の頬に当たる感触が、少しくすぐったい。
ようやく視力が回復してきた。おそるおそる目を開けると、さっきまでの僕
と同じようにしっかりと目をつぶった少女、ほかでもない、僕の一番大切な女
の子――シェルロッタが、腕の中に抱かれていた。
やがて彼女のまぶたがゆっくりと上がっていく。まだ上手く焦点の合ってい
ない青い瞳が、戸惑ったように左右に泳いだ。
「ここは……そうか、天国か。なんだ。あんまり綺麗なところじゃないな。
いやまあ、少なくとも死んだ後も大好きなあいつの姿が見れるんだから、これ
以上贅沢はいえんか。うん、やっぱり天国なんだろうな」
シェルロッタはぼんやりと呟きながら、僕の胸に顔を埋める。
「それにしても。最近の天国はすごいな。この感触。まるで本物のあいつに抱
きついているかのようだ。まあ、生きてるうちに出来なかったのが残念だが、
あと1000年生きられたとしても、恥ずかしくてできなかったような気もす
るから、これはこれでいいな」
顔を少し染めながら、まるでネコのように頬ずりをする少女。僕はなんだか
その姿がいつものお姉さんぶったシェルロッタらしくなくて、くすくすと笑い
声を漏らした。
「む。なんだ笑ったりして。失礼なヤツだな。いいか? 私は死んでしまった
とはいえ、お前よりずっとお姉さんなんだぞ? 幻とはいえそれを笑うとは何
事だ……って……」
そこでようやく気付いたのか、シェルロッタは顔を上げると、目をパチクリ
させて僕の顔をまじまじと覗き込む。
「おい、まさかお前、本物か?」
戸惑いながら聞き返す彼女に、僕はこっくりと頷く。それを見た彼女は先ほ
ど以上に目をまん丸にすると、パニック一歩手前の様子で矢継ぎ早に言葉を発
した。
「な、ななななななんだと!? まさか、お、おま、お前も死んだのか!?
いや、それにしては足があるな!? 顔色もいい! こうして身体もちゃんと
触れるし! もしかして、い、生きてるのか!? お前!
本当の本当に正真正銘本物のお前なのか!? というか、これは……私が消え
なかったということなのか!?」
僕からはじかれるように飛びのき、僕の身体を頭のてっぺんから足の先まで
あちこち見回したり、ぺたぺたと触る彼女。されるがままの僕はもう一度頷き
返す。
「ま、まさか……。信じられん。一体、どうして。何故私は現世にとどまるこ
とが出来たんだ……?」
戸惑い、いまだ納得がいかないといった様子の彼女に、僕は手を開き先ほど
からずっと握っていたモノを見せた。
「それは……!」
シェルロッタが驚きに息を呑む。僕の手の中にあったもの、それは淡い輝き
を発し続ける、小さなクリスタルの欠片だった。
「あの森の奥で、成人の祝いに私があげたものか……?」
その言葉に、僕はこくりと頷く。あの日からずっと考えていた。なぜ、僕が
持っていたクリスタルの欠片だけは、あの後も消えなかったのか。そしてここ、
塔の上で老人と対峙した彼女が言った言葉を思い出したとき、僕は一つの可能
性を思いついたのだ。
クリスタルが、彼女の言ったように人々の希望の結晶なら。この最後の欠片
には、僕が彼女と一緒にいたいと願った祈り、そして彼女自身が、僕と一緒に
いたいと願った想い、そしていつかまた出会えるという二人の希望が宿ってい
たのではないだろうか。
だからこそ、全てが終わっても消えず、僕をもう一度あの日へと運び、こう
してシェルロッタを世界につなぎとめてくれたのではないだろうか。
「信じられない……。まだ私に、紡いでいける時があるなんて……」
まだ上手く事態が把握できない様子で、シェルロッタは呆然と呟く。彼女は
自らの体をその細い腕で抱きしめ、その身がいまだ確たる実体を持って、地を
踏みしめていることを確かめた。
「いいのか? 私は……こうして地に立って、息をして、そして……お前と一
緒にずっと生きて、いいのか……?」
目に涙をいっぱいにためて、シェルロッタはかすれる声で僕に尋ねる。
彼女の問に、僕はもう一度手の中のクリスタルを取り出す。クリスタルは彼女
を許すように、祝福するかのように、ただ静かな光をたたえていた。
これからは、このクリスタルが彼女の命だ。だが、こんな小さな欠片ではも
う、シェルロッタは不死の身体を保つことも、新たなクリスタルを作り出すこ
とも出来ないだろう。そう、長い時の旅の果てに、ようやく彼女は不死の魔女
という呪い、クリスタルの巫女という役目からも解放されたのだ。
「そうか……お前に、助けられたのだな……。あの小さかった赤ん坊が、本当
に立派になったものだ。改めて御礼を言おう。ありがとう」
その言葉と共に、シェルロッタの瞳から涙がつう、と流れ落ちる。
「あ、あれ……おかしいな。嬉しいのに、涙が……」
涙は堰を切ったようにあとからあとからとめどなく零れ落ち、彼女は恥ずかし
そうにそれを可愛らしい指でぬぐった。
「ダメだな、私はお姉さんなのに。お前の前でこんな、みっともない。
うう、笑っているな? お前の顔はぼやけてよく見えないが、気配で分かるぞ」
わざとらしく怒ったような声を出すシェルロッタ。でもちっとも怖くない。
だって、僕だって視界がぼやけて、その怒った顔は良く見えないんだもの。
「なんだ、お前も泣いているのか? まったく、ようやく大人になったという
のにいつまでも子どものようなヤツだな。仕方が無い。まだ当分は、私がお前
の側にいてやらないといけないようだ」
涙がこぼれるのにも構わず、シェルロッタは腰に手を当ててお姉さんぶると、
ふふ、と本当に嬉しそうに笑う。僕も同じように笑い返すと、両手を大きく広
げた。一瞬の間もなく、僕の胸にシェルロッタが飛び込んでくる。そうして僕
達はお互いに腕をその背に回し、固く抱き合う。もう二度と、大事な人を失わ
ないように。二度と、大好きな人と離れないように。
そして、僕はずっと言いたかった言葉を彼女の耳元で、そっと囁く。
「おかえりなさい、シェルロッタ」
彼女もまた、その顔に心から幸せそうな、穏やかな笑みを浮かべ、いつもの
優しい声で、僕の耳に囁いた。
「ああ、ただいま」
そして僕達はどちらからとも無くゆっくりと顔を近づけ、永遠の愛を誓い合
う恋人達のようにそっと、口付けを交わした。
僕達の間に、言葉はもういらなかった。このキスが、触れ合う身体が、唇の
やわらかさが、感じる激しい鼓動が、二人の心をお互いに伝え合っていた。
長い戦いの果てに、ようやく少年は愛する少女を本当に救ったのだ。そして
少女は、愛する少年のもとへと帰ることが出来たのだった。
二人の長い長いキスを、満点の星空に浮かぶ月が祝福するかのように静かに
見守っていた……。
・
・
・
―― FINAL FANTASY ――
CRYSTAL CHRONICLES
Echoes oF Time
〜 Fin 〜
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・
それから数年後、図書館の町の人々の間で、いつしか一つの噂が囁かれるよ
うになった。
街道の先、鬱蒼と広がる大森林の奥に、幸せそうな少年と少女が静かに暮ら
す小さな家がある、と……。
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